12時をまわったら






一番はじめに「おめでとう」を言いたいの。


のんびりと過ごす時間は、普段と比べると、とてもゆったりとした流れに感じる。
ふわふわと漂うように穏やかに流れる空間はとても気持ちが良くて心地よい。
まるで、この部屋だけが、どこか別の空間に抜き取られてしまうような、そんな錯覚に陥ってしまいそうな心地よさだった。


見上げていた天井から視線を逸らすようにくるりと寝返りを打ったリノアは、蛍光灯の明りを見つめすぎたせいで少しだけ痛んだ目を瞑り、僅かな力を入れてからゆっくりと瞳を開いた。
リノアと同じようにベッドに仰向で寝そべり天井を見上げていたスコールも、頭の後ろで組んだ腕をそのままに、首だけを動かしてリノアを見つめた。

ガーデンのSeeD専用寮に設けられているベッドは、シングルサイズということもあって、二人で寝そべるにはどこか窮屈だ。
ここ、スコールの部屋においても、ベッドのサイズはやはりシングルサイズなので、二人で寝そべってしまうとほとんど身動きが取れず、少し物足りなさを感じてしまう。
けれど、もともとは一人が使用する為に用意されているベッドなのだから、その場所に二人で横になっている今の状況こそが不自然で、狭さを感じるのは間違えなのだろう。
思いなおしたリノアは、一人クスクスとこぼれてしまった笑いを堪えることなく、ピタリと寄り添うようにスコールの傍に近寄って、彼が使用している枕の端に自分の頭を乗せた。

例え狭くても、リノアにとってはこの小さな空間はとても大切な場所だった。

普段ガーデンで一人きりで過ごす時に胸を貫く『狭さや窮屈感』―――。
空間の広さで言えば、この部屋で過ごすよりもガーデンの図書室や廊下の方がよっぽど広いのに、そこで感じてしまう息苦しさも、不思議とこの部屋では感じなくなってしまう。
こうやって二人でベッドに寝そべる瞬間。
温かくて、ゆったりとした心地よい時間はとても優しくて、幸せという泉が沁み込むようにリノアの心を潤してくれた。


「スコールが居てくれてよかった」

不意に胸に溢れた『スコール』という大切な存在が傍に居てくれる喜びを口に漏らしてしまうと、隣で寝そべっていた彼がわずかに眉根を寄せてリノアを見つめた。

「…………突然、どうしたんだ?」

そう言って言葉に困ったように不思議そうな表情を浮かべて問い掛けるスコールは、頭の後ろで組んでいた腕を解くと、身体をリノアの方に向けて片腕を伸ばした。

彼の腕を見つめながら、スコールは腕枕をしようとしているのだとわかったリノアは、そっと自分の頭を持ち上げると、シーツの上を滑ってリノアの首の下に置かれるスコールの腕を待った。
スコールの腕が定位置に定まるのを確認してから、ゆっくり彼の腕に頭を乗せる。

「……もう、スコールって鈍いなぁ」

引き寄せるスコールの腕に頬を寄せながら、リノアは小さな子供のように唇を尖らせた。
せっかくスコールと一緒に過ごせる喜びや、そこから生まれる幸せの余韻を感じていたと言うのに。そんな淡い気持ちはどうやらスコールには全く伝わっていなかったらしい。
ほんの少し寂しいような悔しさが心に湧き上がると、自然と表情も不機嫌に染まってしまう。
スコールが女心に鈍いのは、今に始まった事ではない。けれど、もう少し気付いてくれてもいいのに。と、そう思いながら頬を膨らますと、そんな様子を見てなのか、何かを考え込むように黙り込んだスコールは、暫くの間を置いてから「ああ……」と、思い当たる節に辿り着いたような声をこぼした。

「今日のことを言ってるのか?」
「…………え?」
「何ヶ月も前から言ってただろ? 明日……どうしても一緒に居てほしいって」

今度はリノアがキョトンと目を丸くして考え込む番だった。
予想していなかった答えに、頭はすぐに追い付かなかった。
さっきまでのスコールと同じように黙り込んでしまうと、スコールが首を傾げて言葉を続ける。

「前に、明日の休暇が取れなくなったと言ったら、せめて今夜だけは一緒に過ごしたいと言っただろ?ここ最近、満足に会える余裕もなかったから、俺も少しでも時間が作れてほっとしたんだが……そういう意味じゃないのか?」
「え?……あ、うん……ちょっとだけ違うような気もするんだけど……でも……」

リノアは歯切れの悪い返事をしながら考える。
確かに今、リノアが求めていたものは、スコールが導き出した答えとは違っていた。
けれど、完全に否定してしまうのも間違っている気がして、答えるのに迷っていた。

リノアがスコールに気付いて欲しかったのは、スコールという“存在”が、リノアの傍に居てくれる事で、普段からどれだけ救いになっているか。という想いだった。
けれどスコールは、『居てくれて』の言葉の意味を、“今”という瞬間を言っているのだと捉えたらしい。

リノアの考えていた想いと、スコールの考えは違ったと言えば違うのだけれど、“今”という時間があるからこそ、スコールという存在を愛おしく感じる事ができた。そう考えると、彼の言葉を完全に否定してしまうのは、間違えているような気がした。

身体を起こしたリノアは、スコールの瞳を見つめて首を左右に振る。

「ううん、スコールの言う通り。今こうやってスコールと一緒に過ごせる事、すごく幸せだよ?それから、お休みの事もありがとう。きっと大変だったよね……?」
「いや、そんなことはない。それよりも……俺の方こそ、いつも一人にして本当にすまない」

誤るスコールが、リノアの頬に触れて少し苦しいような辛い表情を見せる。
スコールの手に自分の手を重ねたリノアは、『大丈夫だよ』と言葉にする代わりに、もう一度首を振って微笑んだ。

スコールは大変ではないと言った。
けれど、この時間を作るのには、本当は相当な苦労をしたのだと思う。



――数ヶ月前。

リノアは、明日、どうしても一緒に過ごせる時間が欲しいとスコールに伝えた。
スコールが休む暇など無いほどに忙しいのも知っていたし、こうやって我儘を言うことで彼を困らせてしまうことも分かっていた。
だから口にすることを何度も躊躇ったのだけれど、どうしても一緒に居たかった。明日だけは、どうしても――――。

けれど結局、スコールの休暇は一日すら取ることは叶わなかった。

その中でせめて少しだけでも。そう願ったリノアの望みを叶えたいと、スコールはどうにか“今”という時間を作る為の努力をしてくれたのだ。

「謝らないで……。私こそ、いつも我儘ばっかり言ってごめんね」

ここ最近のスコールは今まで以上に働き詰めだ。SeeDへの依頼も以前と比べて随分多くなっているようだし、任務以外の業務だってある。
スコールに限らずSeeD全体が忙しさに追われている中で、組織全体を仕切る役割を任されているスコールの辛さは、きっと想像を遙かに超えているのだと思う。

「私ね、スコールと一緒に居られてよかった。本当に嬉しいって思ってるよ?」
「ああ、わかってる……俺も同じだ」

俯くようにスコールの胸に顔を埋めたリノアは泣き出しそうな気持になった。
リノアの頭に大きな手が優しく添えられる。
大切なものを扱うようにそっと触れるスコールの手が、リノアの髪を梳く。何度も何度も、優しく撫でる。
繰り返す度に、彼の愛情が心に伝わるようだった。

顔を上げたリノアは、スコールを見つめて微笑んだ。
応えるように柔らかい表情を見せたスコールの手が、リノアの頭から下ろされる。リノアはベッドの側面に両手をついて上半身を起こし、横に備え付けられているチェストの上に目を向けた。無機質でシンプルなボディーの黒いサイドチェスト。腕を伸ばしてその上に置かれていたスコールの腕時計を手に取ると、体制を整えてベッドの上に座り込み、もう一度ニコリと微笑んだ。

「どうしたんだ?」

リノアの様子を黙ったまま眺めていたスコールは、上半身を起こして向き合った。

「……スコール、きっと忘れてるだろうなって思ったから、だからどうしても伝えたかったの」
「忘れてる?……何をだ?」

包み込むように握りしめていたスコールの腕時計を、蕾が花開くように掌の中でそっと広げて見つめたリノアに、スコールは何の事だと言わんばかりに首を傾げる。
そんな彼の様子に、リノアは「やっぱり」と言ってクスクスと笑った。
掌の中の腕時計に目を移し、文字盤に映し出される数字を確認する。
――――23時57分。
腕時計の文字盤に、デジタル表示の数字が23時57分と浮かび上がっている。

「ねぇスコール、明日が何の日だか……わかる?」
「明日?」
「そう、明日!」

満面の笑みで答えるリノアに、スコールは考えを巡らせるように掌の中の腕時計を見つめた。
新たな時を刻む時計は、23時58分の数字の上に、日付も表示している。


8・22  23:58

スコールの眉根に寄せられた皺がいっそう深くなった時、彼はようやく何かに気付いたように驚いた表情を持ち上げた。

「そういう事か……」

そう言葉にする彼の口の端が微かに上る。
まるで蝋燭の灯りが、フッと消えたように力を抜いたスコールは、表情を和らげてリノアを見つめた。

8月23日

「そう、明日はスコールの誕生日だよ?」

満面の笑みでリノアは頷いた。
とても大切にしていた秘密を、やっとの思いで打ち明ける事ができたように、心に晴れやかさが満ちるのが分かった。
リノアはスコールの手の甲に自分の手を重ねると、嬉しさに微笑む。

「スコール、きっと忘れてるだろうな?って思ったから、当日まで黙ってて驚かせようと思ってたんだ。だけど……本当に覚えてないんだもん。リノアちゃんもビックリです!」
「…………悪かったな。それに、誕生日なんて今まで意識したこと無かったからな」

ちょっとだけムッとしたような、決まりが悪い顔を浮かべているスコールが何だか可笑しくて、リノアはクスクスと声を立てて笑った。
空いている手に握られたままの腕時計に目を移し、時刻を確認したリノアは顔を上げた。
もうすぐ今日から、明日へと移り変わろうとしている。

「あのね、スコール」

呼びかけるリノアに、スコールは顔を向ける。
深い海のように美しい色の瞳が、真っ直ぐリノアの目に向いている。
同じように彼の瞳を見つめたリノアは、ゆっくりと空気を吸い込むと言葉を続けた。

「12時をまわったら一番はじめに『おめでとう』を言いたかったの」

スコールの誕生日。
どうしても一番に伝えたいと思っていた。

「スコールと出逢って好きになって……。私にとってスコールはとても大切で特別な人だから。……だから伝えたかった」

リノアはキュッと力を込めると、優しくスコールの手を握る。


―――― 幾つかの重なりあった偶然。その偶然の中で私達は出逢い、そして恋をした。

彼と出逢ってたくさんの経験をした。想像もしていなかった試練や……運命。
辛いことも、悲しいことも、不安になることも時々ある。だけど、いつだって大丈夫だと思えるのは――――。


『私にはスコールという大切な人がいつも傍に居てくれるから』


相手を想う気持ちを教え、愛される喜びを教えてくれた、スコールという存在。
彼が傍に居てくれるから、どんな時でも頑張れる。

彼と出逢えた奇跡。
“今”というこの時に、彼が居てくれる奇跡。その奇跡に――――今日、この日、感謝したいと思った。



「スコールに出会えて、本当に……良かった」



伝える声は震えていた。

今にも溢れ出てしまいそうになる感情を抑えて下を向き、手元の腕時計を見つめる。

時計が表示する。
『00:00』を――――。

もう一度、大きく息を吸い込んだリノアは、とびっきりの笑顔をスコールに向けた。

「スコール、生まれて来てくれてありがとう!誕生日、本当におめでとう!!」


スコールが微笑んだ。

リノアの頬に触れて、彼が言う。




――――ありがとう。

2010/9/3 UP