明るく、賑やかな
今日の夕飯はリノアの手作りなんですってね。
数冊の資料と書類を手に抱え司令室から自室に戻ろうとした所で入れ違いになったキスティスに声を掛けられた。これから徹夜で仕事をするつもりなのか、キスティスの手には学食で購入したと思われるサンドイッチの袋とコーヒーのタンブラーがにぎられている。
いいわね、手作りの夕飯。と、一瞥をくれるように手元のサンドイッチを見つめた後、キスティスは「それもリノアの手作り」と微笑みながら言う。その言葉に悪意が含まれているようには感じられなかったが、どこか、からかうような物言いにあまり好い気はしない。
そのまま何も言葉を返さないで居たからか、それともまたいつもの癖で眉根に皺を寄せていたのかは知らないが、キスティスは小さく笑うと、ごめんなさいと言い腰に手を当てた。
「でも本当に羨ましいのよ?美味しい食事もそうだけど……それよりも食卓が明るくなったんじゃない?」
食卓が明るい?
今までに考えたことも無かった問い掛けに一瞬どう答えるべきか悩み、けれどすぐに思い直す。
ああ
そうだ。確かに明るくなった。
目の前に運び込まれる料理は彩りを気にしているのかそれとも、まったく気に留めていないのかは分からないが、とにかく賑やかなことに間違えはない。それは料理に限って言っている訳ではなく、それ以外の、例えば料理を載せる皿であったり、卓上用の観葉植物であったり、テーブルマットであったり。そういった賑やかさが、テーブルの上には広がっていた。
先程、キスティスが言っていた言葉を思い返す。リノアの料理が羨ましいと言い、食卓が明るくなったのではないかと、問い掛けた彼女はその事が心底羨ましいとでも言いたげな表情を浮かべていた。
突然に投げ掛けられた言葉の意味を、始めのうちこそ理解することが出来なかったのだが、直ぐに思い当たる節が見つかり答える事が出来た。
キスティスの言う通り、実際に明るくなっていた。それも気付かない内に少しずつ。ゆっくりと浸透するように。
卓上に並べられた皿を見る。
端を一周するように鮮やかなライム色で塗られた皿は、ここ最近見かけることが多くなった物の一つだった。
その他にも、皿と対になっていると思われるサラダボールや、毎朝リノアが淹れるコーヒーのカップ、グラスであったりと……。特に気には留めていなかったのだが、改めて意識してみるとそれら全ては今までに目にした事の無い物ばかりだった。そのどれもが色鮮やかであり、デザインにも拘りを感じさせる物ばかり。
明らかに今まで自分が所有していたタイプの物とは異なっていた。
「確かに明るくなった……」
「えっ何?」
アイスティーの入ったグラスを手にして向かいの席へと腰を落ち着かせたリノアが不思議そうに声を掛ける。
「いや、何でもない」
「ふ〜ん……あっ!ねーねー今日の料理はどうかな?美味しそうかな?」
フォークを差し出そうと、手を伸ばしたリノアは、にっこりと微笑むと並べられた料理を披露するかのように両手を広げる。
褒めてもらうのを待つように、両腕を広げたまま首を傾げているリノアは、まるで小さな子供さながらのようで、首から掛けられたエプロンが様になっている。と言うよりは、幼さを強調しているように見えてしまった。
「ああ、旨そうだ」
「本当?やったー……って!何でスコール笑ってるの!?」
「別に。……ほら、早く食べないと冷めるぞ」
まさか、リノアが幼い子供のようで笑っていた。など言えるはずもなく、誤魔化そうと手を伸ばしてフォークを渡してくれと催促する。
「変なの」
と、不満を浮べたリノアは素直にフォークを差し出すものの、今も不思議そうに首を傾げている。だが、切り替えの早い彼女の性格を表すように、すぐ笑顔を取り戻したリノアは「盛り付けるね」と言って近くのサラダボールを手に取った。
ここ最近は、こうやって自室で食事を取る事が多くなっていた。
以前までは食堂で済ませることが殆どであったが、仕事が長引いてしまった時など、食堂の業務時間内までに足を運ぶ事が出来ない事もあり、すると当然のように食事を抜かなければならない。
なにも一食抜いたからと言って大きな問題がある訳ではない。けれど体力の基本は、やはり食事であり、基本であるからには極力省く事はしたくなかった。
そんな時だった。「料理を作るよ」と、張り切った声を出したのがリノアだった。
余程の自信があったのだろう。任せて欲しいと胸を張って言うリノアはどこか誇らしげに見えた。だからそんな彼女に甘えることにし、食事の支度を任せる事にしたのだが。
「ねー、やっぱり今日のスコール何か変だよ?さっきから何笑ってるの?」
二人分のサラダを例のライム色の皿に盛り付けたリノアは、その一方を渡す。
皿に載せられた青々としたレタスの上に、対照的な赤い色を輝かせたトマトがふんだんに乗っている。それを受け取りながら見上げると、リノアは不満を込めた眼差しを真っ直ぐに向けて首を傾げていた。
「たいした事ではないが……そうだな、リノアが料理を作り始めた頃の事を思い出したんだ」
「え?……やっ……やだ!そんなこと思い出さなくてもいいよ!」
「出来れば俺も思い出したくない」
笑って答えるとリノアは頬を膨らまし「あの頃は仕方なかったんです!料理なんて作った事無かったんだもん」と、自分のサラダにフォークを突き刺してレタスを頬張る。
「リノアが料理を作ると言った言葉があまりにも……」
「自信あるように聞こえちゃった?」
「ああ、そうだな。すっかり信用した。料理ができるんだと、そう思っていた。……だから黒焦げの料理を目の前にした時には……正直驚いた」
「ほら、やっぱりさ、私だって何かスコールの役に立ちたかったんだ!少しでも何かしてあげたいと思ったの。だから……料理くらいなら何とかなるかな?って思っちゃったんだよねっ」
誤魔化すようにもう一度レタスにフォークを突き刺して口に運んだリノアは、「うん!美味しい!」と笑う。
そんな彼女につられて小さく笑い、隣の皿へと手を伸ばす。
前もって皿に切り分けて盛り付けてあった若鶏は、たった今オーブンから出されたばかりなのか、肉の焼ける音を微かに響かせていた。見るからに手が込んでいると思われるこの料理からは、焼きたての香ばしい匂いと共にハーブの爽やかな香りが漂っている。どうやら香草焼きらしい。すっきりとした香りが部屋の中には漂っていた。
そのハーブ特有の香りを頭の隅に感じ取りながら、別の小皿へと盛り付ける。
「だが、今は上手くなったな」
言いながら顔を上げ、リノアに取り分けた香草焼きを渡すと、彼女は嬉しそうに肩を竦め「ありがとう」と手を伸ばす。
事実、ここ最近のリノアは見違えるほど腕を上げ、出される料理はどれも満足のいく物ばかりになった。
「リノアのおかげでだいぶ助かっている」
実際その通りだ。
「司令官殿のお役に立てて光栄です!」
SeeDの敬礼を真似ておどけてみせるリノアは、俯くと、赤く染めた頬をほころばせた。
不思議な気持ちだった。具体的に言い表す事は出来ないが、今までに味わった事の無い感情が、ゆっくりと心の奥から湧き上がるのを感じていた。
強いて言うなら陽だまりの中に居るような、温かくて柔らかいそれと、この感情は似ている。
ずっと昔に置き忘れてしまったものがすぐそこにあるような気がした。
けれど、それが何かは……まだ見えない。
卓上に並べられた料理をもう一度見る。
賑わったテーブルの上には、その他にも様々な料理が並べられていた。彩り様々な料理が、彩のよい食器の上に並んでいる。
何から手を付けていいのか悩むほどだ。
――賑やかで、そして明るい。
迷いながらではあったが、やはりまずは香草焼きに手を伸ばすことにする。
深く考えた訳では無く、ただ単純に、口にしてみたかった。
「おいしい?」
一切れを食べ終えた所でリノアが心配そうに眉を下げ、けれど何処か嬉しそうに声を掛けてきたので、「ああ、旨い」と言って答える。
ハーブを使用した料理は過去にも口にした事がる。口にしたそれらは、どれもハーブ特有の味が前面に押し出されていたと記憶している。けれどリノアの場合は違った。しっかりとした味付けに程好く効くハーブは想像よりも控えめな味であり、それがまた肉の旨味を引き立てていた。本当に旨かった。
だからそう伝えたのだが、リノアは俯くと両手で顔を覆ってしまう。
「…………どうしよう」
「どうしよう?」
あまりに突然で予想もしてもいなかった言葉に驚き、訊き返すと、覆っていた手を離したリノアは真っ直ぐに瞳を向けて大きく頷いた。
「そう、どうしたらいいのか分からないの。それくらい…………すっごく嬉しくなっちゃって!」
リノアは瞳を輝かせる。
「嬉しい?褒めたから……か?」
にしては喜び方がオーバー過ぎるのではないだろうか。
「もちろんそれもなんだけど!でも…………。ねぇスコール!スコールは自分の癖を知ってる?」
「癖?」
そう、癖!と言ってリノアは手にしていたフォークを皿の上に乗せる。
先程から目まぐるしく話題を変え、表情を変え、どこか興奮したように話を続けているリノアに少しの戸惑いを覚えながらも、彼女が闇雲に言葉を並べているようには何故か思えず、その意図を理解しようと考えを巡らす。
「……思い当たらないな。癖なんてあるのか?」
「うーん。やっぱり気付いてなかったんだね〜。あのね、スコールって意外と好き嫌いが有るんだよ?それは知ってた?」
「いや……知らない……」
答えながら、自分の好き嫌いを、知る、知らないで答えるのもおかしな話だと思う。
それに嫌いな物が有れば、避けるなどして何かしらの行動を取る筈ではないだろうか。けれどそんな覚えはない。第一、選り好みなどSeeDにとって有るまじき行為だ。無論そんな行動を取った覚えは一切無い。言い切ってもいいくらいだ。
「スコールは、私と違って何でも食べちゃうんだけどね!……でもね、特定の物だけ最後に食べるんだ。
どんな食べ物でも必ず最後には残さず食べる。だけど特定の物だけギリギリまで手を付けない。
はじめはそれに意味が有るなんて思ってもみなかったんだけど……気付いちゃったの。最近になって、あれ?もしかしてって。だってその証拠に……ほら!」
リノアが人差し指を突き出す。
突き出した指が指摘したある部分。
その部分に気付いた時、リノアの言わんとすることの意味を理解した。
いや、理解せざるを得ない。
……なるほど。
「確かに癖だな」
リノアは顔の中心より少し上の……つまり、つい寄せてしまう眉根の、その癖を指摘している。
嫌でも納得せざるを得ないそれは、普段からよく指摘される癖であり、その癖がどう言った時に表れているのか
……それも最近では自覚し、よく知っていた。
「最近こうやっていっしょに食事を取るようになってから気付いたんだけどね、スコールが最後まで残して食べた物って、口にした瞬間に必ず嫌そうに眉を寄せるの!ほんのちょっとなんだけどね!」
「つまりそれが嫌いな食べ物と言う事か?」
「そう!そう言う事〜!でもスコールやっぱり気付いてなかったんだね?きっとスコール自身も気付いてないんだろうなーとは思ってたけど」
「ああ、全くだ。全く気付いていなかった。だが……言われてみると……そうかもしれない」
リノアはくすくすと笑い出す。
「嫌いなのに残さず食べてた理由、聞かなくても何となく分かるよ?ね、司令官殿?」
「リノアが言いたいことが何かも、聞くまでもなく分かる……悪かったな」
好き嫌いか。
……そんなこと。有るまじき行為だ。
「でね!リノアちゃんは、そんな司令官殿の為に、どうすれば料理を全部美味しく食べてもらえるのかなー?て、色々と考えて挑戦してたんだ!スコールはきっと知らなかったと思うけど、スコールの苦手な食べ物を毎日食卓に並べるようにしたり、もちろん味付けに工夫して!それでいつか、スコールの口から美味しいって言ってもらえる日が来ればいいなって思ってたの。
それで今日…………その成果が実っちゃった!」
はっとし自分の手元の皿に視線を向ける。
そこには、少し冷めてしまったが、未だに食欲を誘う香りを漂わす……香草焼きが乗せられていた。
香ばしさの中に混ざる爽やかなハーブの香りと共に。
「……ハーブか」
「そう!ハーブ!」
「確かに……苦手だったかもしれない」
「だと思ったんだ!だってスコール、この前作ったバジルのパスタに目がいった瞬間にピクって皺を寄せたんだもん!」
笑うリノアは指先を自分の眉根に運ぶと数回叩くように触れて示す。
本人ですら気付かない内に表していたその癖を、リノアはよく見ていたものだと、呆れるよりも、むしろ感心していた。
もう一度皿に乗せられた香草焼きに目を向け、そしてリノアを見つめる。
「けれどこれは本当に…………旨かった」
「うん!それも!一番に手を付けてくれたよ!」
二人で顔を見合わせ先に笑い声を上げたのは、果たしてどちらからだっただろう。
気付けば、華やかなテーブルを囲んだまま二人で声を立てて笑い合っていた。
「ねースコール?なんかいいよね、こうやって二人で食卓を囲んで笑い合うのって」
顔を上げたリノアが嬉しそうに目を細める。
優しく目を細めた彼女は柔らかく微笑み、そして言う。
「明るくて賑やかで、楽しくて!……そう、まるで」
ああ……
そうか、そういうことだったのか。
リノアの瞳を見つめ、蘇ったのは司令室の前での記憶だった。
手元を見つめ、リノアとの食事が羨ましいと言っていたキスティス。
あの時、彼女が口にした、あの言葉。
明るく、賑やかで。
つまり……こういうことだ。
「食卓が賑やかになった。そうだろ?」
やっと掴むことの出来た一つの答。
その答えに、リノアは天井を示すようにひとさし指を立てると、そう!それ!と言い、にっこりと満面の笑みで微笑んだ。
