
喉に絡み付くような甘い香りに目が覚めた。
ベッドから起き上がり目を向けた先のキッチンからは、甘い香と共に食器の触れ合う音が響いていた。
その音に今日が何の日であったのかを思い出す。
昨夜は確か―――手作りのチョコレートを作るのだと、リノアが張り切った声を上げていたはずだ。
ベッドから下りるとそのままキチンへと向かい、入り口前の壁に寄り掛かるようにして中の様子をそっと伺った。
枝を折るような軽快な音が小さく鳴っている。その音が一定のリズムを刻むように鳴る度に、背を向けているリノアの髪が小さく揺れて首から肩のラインをなぞって前方に流れていく。それを煩わしそうに身を捩らせるリノアは、首を振ってみたり肩に耳をあてるなどして、どうにか髪を払いのけようとしているようだった。手を使えばいくらでも払えるだろうにそれをしないリノアは、今手を使うことが出来ないのだろう。
その間も枝を折るような音は止まらない。おそらく今この部屋に漂っている香りと何か関係があるのだろう。
「リノア」
呼び掛けて彼女の後ろから片手を伸ばして髪を束ねてやると、リノアは驚いた声を上げて振り向いた。
「わ!スコール、いつから居たの?」
「たった今だ…………これで目が覚めた」
そう言ってリノアの目の前のガラスボールに指を示す。
重なった二つのボールの中には、一方に溶けかかったチョコレートが。もう一方には白い湯気を立ち上らせるお湯が入っていた。
その、チョコレートが入った方のボールの中に、リノアは両手で折った板チョコを順々に落としていた。
「何やってるんだ?」
「何って、チョコを溶かしてるんだよ?」
それは見ればわかる。ボールの中で溶けたチョコレートは端からゆっくりと姿形を無くして、茶色い液体に変わっている。
「それはわかるが……溶かしてどうするんだ」
「どうするって、スコール知らないの?……うーんと、まずコレに入れるでしょ?」
そう言ってリノアは手元にあった銀色の入れ物を手に取った。
あまりにも……と言いたくなるようなハートの形をした入れ物だ。
「それから、この中に溶かしたチョコレートを入れます……」
「……」
「それから冷蔵庫で冷やして、あとはチョコが固まったら出来上がり~!」
とリノアは語尾を上げるようにのばして言った後、自分の手の甲に着いているチョコレートに気が付き、恥ずかしそうに笑って舐め取った。
「リノア……確か、夕べは手作りって言ってなかったか?」
「ん?手作りだよ?ほら、コレにも書いてあるでしょ?」
キッチンの片隅に置いてあった雑誌の一ページを見せたリノアは「ほら!」と言って指をさした。
そこには、チョコレートを作るまでの手順と共に、確かに『手作り』の文字が載っている。
……手抜き、の間違えではないだろうか。
リノアがバレンタインにチョコを作ると言った時、そんなものは必要ないと思った。いや、むしろ口に出して言ったはずだ。
だが……。
今、無性に感じるこの虚しさとも似た複雑な気持ちは、いったい何なのだろうか。
再びチョコを折って砕き始めたリノアの指先には輝く物がちらついている。
体温のせいか、それとも溶かしたチョコが付着したのか……形の無くなった艶やかに輝くチョコレートが、そこにあることを知った。
「えっ……わっ、スコール!」
リノアの手を取り、指先を自分の口元に運ぶ。
驚いて声を上げるリノアにそ知らぬ顔をすると、彼女の指先を口に含みそこに着いていたチョコを舐め取った。
口の中に広がった味は、今まで口にしたどれよりも―――甘い。
この際、ボールに入ったチョコが固められてしまう前に全て、同じようにして食べてしまおうかと考えた自分は……
どうかしているのかもしれない。
