光指す時






「なんで俺が」
学生寮のとある一室。扉の前に佇むスコールは苛立ち露に眉根を寄せていた。


*  *  *  *  *


ことの始まりは、数分前へと遡る。
スコールのもとに一人の候補生が報告に来たのは、じりじりと照りつけていた太陽が傾きはじめた午後のことだった。
現在バラムガーデンはF.H.で修復工事を受けている。セルフィが企画したコンサートから、まだ二日と経っていない数日の間ではあるが、崩れ落ちたガーデンの外壁や校内の破損部分は、徐々に以前の姿を取り戻しつつあった。
そんな日の午後だ。
スコールを呼び出した人物は、学園長でも仲間でもなく、意外にもカドワキ先生だった。

「待って下さい!」

保険室に響き渡るほどの大声を上げたスコールは、カドワキを相手に険しい表情を浮べると、勢いよくその場を後にしていた。
慌ただしく保健室を飛び出し、広い校内を早足で駆け回るスコールは辺りを見回す。
その顔には焦りの色が浮かび、珍しいことに、普段は隠されているはずの感情までもが全身からありありと滲んでいたのだが、今はなりふり構っている余裕はなかった。
――とにかくあいつらを見つけ出して、さっさと事情を説明しなければ。
そんな考えをひたすら脳内に巡らせながら、先にも増す勢いで校内を駆け回っていた。
すると一人、また一人と目的の人物が目に留まる。今では行動を共にするようになった仲間たちだ。
スコールは彼らのもとへ駆け寄ると事情を説明するのだが、彼らから返る答えといえば、どれも――。

「ごめんなさい、学園長に呼ばれているのよ」
「コンサートステージの後片付けが残ってるんだ~。だから~はんちょ宜しく!」
「僕はセルフィの手伝いがあるからさ~」
「おっ、オレか……? いや、そういうのどうすればいいかわからねえし、スコールが行った方が喜ぶんじゃねえか?」

どれも同じようなものばかりだった。

仕方なく保健室に戻ったスコールは、豪快に笑い声を上げるカドワキ先生に恨みがましく目線を送りつけながら、手渡された物を黙ったまま受け取った。
手にする時のはずみで室内に高く小さな音が響く。ぼんやりと手もとに目を向けていると、カドワキ先生の手が肩に添えられていた。

「それじゃあ宜しく。ちゃんと薬も飲むように伝えるんだよ」
「……了解」

渋りながら答えたスコールの両手には、プラスチック製のトレーが乗せられている。
トレーの上には白い陶器製の蓋付き碗がひとつと、たっぷりの水が注がれたクリアガラスのカラフェ。そして、隣には『内用薬』と書かれた小さな紙袋が置かれている。
これを届けるのがスコールに与えられた役目だった。熱を出し寝込んでいるという、リノアのもとへ――。


*  *  *  *  *


整然と扉が並ぶ学生寮の狭い廊下。先程から、ある一室の前で扉をたたく音が反響していた。
嘆息と共に休めた手を腰に当て、顔を上げたスコールは、壁に設置された扉の施錠を示すランプを見上げた。

昨晩リノアは高い熱を出して保健室に運ばれたらしい。
カドワキ先生に聞かされるまでは何も知らなかったが、夜の間はなかなか熱が引かず、結局その日はカドワキ先生に看てもらいながら保健室で一夜を過ごしたのだと、聞かされた。
昼頃になり漸く熱が引きはじめ、個室の方が落ち着くだろうとの配慮でリノアは学生寮の空き部屋へ移ったそうだが、今も体調は回復していないという。
スコールが呼ばれたのは、朝から何も口にしていないリノアに食事を届け、様子を見て来てほしいとのことだった。

見上げていたランプから顔を戻し、左手に抱えていたトレーを持ち替えてから再度ノックを試みる。だが扉の向こうからの返事は、やはりない。
待てど暮らせど、水を打ったような静けさが狭い通路に虚しく漂うだけで、時はいたずらに過ぎてゆくばかりだった。
カドワキ先生から教えられた寮ナンバーに間違えはないはずだから、まだ眠っているのかもしれない。
二度目の溜息を洩らしたスコールは、壁面に取り付けられたランプに再度目をやった。ランプの色は、開錠を示す青色の光が灯っている。

「入るぞ」

いつまで待っていても状況が変わるわけではない。意を決すると、念のため声を掛けてから扉を開くためのスイッチに手を掛ける。
スコールの指先がスイッチに触れると同時に、重苦しい気持ちとは正反対に、扉は随分と軽々しい音を立て横にスライドした。

視界を遮っていた扉が開き、目に飛び込んだ空間は――薄暗かった。

部屋の正面。中庭に向いた窓には、どうやらカーテンがひかれているらしい。そのため、この部屋だけが薄暗くなっているわけだが、昼の明るさと対照的な闇は、どこか不自然に感じられ、まるで時の流れから切り離されたようにぽっかり口をあけて見えた。
カーテンの隙間から射し込むわずかな陽光のおかげで、辛うじて完全な闇にはなっていないが、目が慣れるまではこの明かりを頼りに、注意深く足を向けなければならなそうだった。

手にする物とつま先に意識を傾けながら、床に伸びる一筋の光をたどるように、慎重に室内へと歩みを進める。
そんな調子で部屋の中ほどまで足を踏み入れた時だ。壁に沿って配置されたベッドの脇に、小さな塊が動くのが見えた。
目に留まった小さな塊は、のそりと体を起きあがらせるとスコールのもとへ静かに歩み寄り、ゆるりと顔を上げてから鼻を鳴らす。
手にしていたトレーを近場のデスクに置き、しゃがみ込んだスコールは、甘えたように鼻を鳴らしているアンジェロの頭を軽く撫でてやりながら、ベッドに目を向けた。

「おまえの主は、まだ眠っているみたいだな」

静かな室内にスコールの低い声に交じり、訓練中と思われる候補生たちの声が、遠く窓の外から聞こえてくる。
掛け声のように一定のリズムを保って届く声の中で、ベッドに横たわり眠っているリノアは、息苦しそうな速い呼吸を繰り返していた。室内が薄暗いせいではっきりとは判らないが、顔も少し赤く見える。

「リノア」

アンジェロから離れ、ベッドのそばへ近付いて、見下ろすように彼女の寝顔を見つめたまま名前をぽつりと呼びかけてみるが、よく眠っているようでリノアが目覚める気配はまったくといっていいほどない。
普段くるくるとよく動く瞳は静かに伏せられて、睫毛だけがわずかに震えている。
眠っている。
ただそれだけのことだというのに、何も語らない彼女の姿に“リノア”という存在の半分が失われたような錯覚を覚えたのは……何故だろうか。

深い眠りに就いている所を起こすのは少々気が咎められた。
けれどカドワキ先生に薬を飲ますよう言われている手前、起こさない訳にもいかない。仕方なく声をかけ続ける。

「リノア」
「うぅ……ん」

何度目かの呼びかけで漸く目を覚ましたらしいリノアは、薄く瞼を開くと、ゆっくり瞬きを繰り返す。
寝起き特有のまどろんだ表情でぼんやりと天井を見上げた彼女は、顔へと運んだ片腕を気怠そうに額の上に落下させ、長い呼吸を吐き出した。

「起きれるか」

目を覚ましたばかりのリノアは、まだ覚醒しきらないようで、スコールの存在にも気づかず、今にも瞼を閉じてしまいそうな様子だった。
しかし再び眠ってもらっては困る。しつこく声を掛け続けていると、ゆるりと首を横に回したリノアが、相変らずの寝ぼけ眼をこちらに向けてのんびりと瞬く。ぼんやりと見上げる眼差しには普段のような輝きは無く、漆黒の瞳はガラス玉で作られた人形の目のようだった。人形の目は、スコールの姿を捉えたまま、時が止まったようにじっと一点をみつめている。

ところが――、突然そのガラス玉に輝きが取り戻される。
同時に、光射すようにゆっくりと表情に息を吹きかえしたリノアは、ただでさえ大きく黒々とした瞳をさらに大きくして、口はぱくぱくと魚のように閉じたり開いたりを繰り返した。
かと思えば次の瞬間。リノアは病人とは思えない勢いで、力強く毛布を頭の上まで引っ張り上げていた。

「おい……!」

突然のことに驚き、思わず手を伸ばして毛布を掴むが、すでに顔の半分までを覆い隠していたリノアは潤んだ目もとだけを毛布の端から覗かせて、心底困ったような表情で見上げる。その姿はまるで何かの小動物のようだ。

「なんでぇっ、なんでスコールがいるの……!」
「あんたに食事と薬を持って行くよう、カドワキ先生に頼まれたんだ」

舌足らずの、子供のような力ない声で訊ねるリノアにこれまでの経緯を説明し、掴んでいた毛布から手を離したスコールは、デスクに足を向けた。
置きっぱなしであった食事のトレーを持ち上げて『証拠だ』といわんばかりに前へ突き出してやると、リノアは驚いたように目を丸くした。

口には出さなかったが、『なぜか』だなんて、こっちが訊きたいくらいだった。
他に誰も手が空いていなかったとはいえ、病気で弱っているところ、親しい関係でもない客が見舞いに来るなどリノアも望んでいなかっただろうし、ましてやそれが異性ともなればなおさらである。もしも自分が同じ立場だったら、絶対にお断りしたいところだ。
苛立ちから不機嫌に染まりそうになる気持ちを、カドワキ先生のクライアントなんだろう。との言葉に無理やり抑え込む。今はあれこれ考えていても仕方がない。

「食事、摂れるか」

雑念を振り払い、トレーを持ってリノアの側まで行こうとすると、間髪入れずにリノアが駄々をこねる子供のように首を振った。

「食べたくないの……」
「食欲はないかもしれないが、少量でも食べて薬を飲んでくれ、あんただっていつまでも具合が悪いのは嫌だろ」
「嫌だけど……だけど今は本当に食べられない」

相変らず顔の半分を毛布で被い、目もとだけを覗かせてスコールを見上げるその瞳は、熱のせいなのか少し潤んでいる。
いったいどうしろというのだ。思わず溜息が洩れてしまうと、リノアの「迷惑かけてごめんなさい」と誤る声がする。
目を向けた先には、苦しそうに眉が垂れ、困惑と苦痛が入り混じったような顔があった。
何故そんな顔を向けられなければならないのか。
まるで自分が病人に対して、情け容赦なく虐めでも行っているように思えてしまい、何とも言い難い決まりの悪さと、罪の意識に苛まれそうになる。思わず背を向けてしまうと、それ以上は無理強いする気になどなれなかった。
認めたくないはずの後ろめたさが自然と湧き上がり、「わかった」とだけをどうにか伝えて、トレーを戻すためにデスクへ足を向ける。手にしていた物を机上面に下ろすと、食器の触れ合う音が静まり返った室内に小さく響いた。
ジャケットにしまい込んでいた電子体温計を取り出し、もう一度ベッドに戻る。

「熱だけ測ってくれ」
「……わかった」

リノアに体温計を差し出して、スコールは何も言わず、室内に設置された簡易キッチンへと向かった。
床に置いてあったステンレス製の器を拾い上げ、シンクで軽く水洗いしてから器に犬用のフードを入れてやると、ベッドの隅で顎をぺたりと床に張りつけて眠っていたアンジェロが、耳を欹て体を起こすのが目の端に映り込む。
リノアを仰ぎ見たアンジェロは、どうやら主人の了承を得るように鼻を鳴らしているらしい。
「行っておいで」
そう答える声に、一際大きく鳴いて返事をするのが聞こえた。
キッチンに駆けて来るアンジェロの顔は、嬉しそうだった。犬に表情があるのかは知らないが、リノアの側に居る時のアンジェロはいつも笑ったような顔をしている。
笑顔のままスコールの足もとに駆け寄り、用意した食事を品良く口に運ぶアンジェロを暫く眺め、スコールは体温測定が終える頃合をみて立ち上がった。

「測れたか?」

寝室に戻り問い掛けると、黙ったままのリノアは頷いて体温計を差し出す。
確認のため覗きこんだディスプレイに表示されている数値は少し高めだったが、思っていたよりも酷いものでは無い。このまま熱が下がれば体調も数日で回復するだろう。
受け取った体温計をしまいながら、心の隅で何処か安堵する気持ちが湧き上がっていた。

「ごめんね」

振り返ると、先ほどまで顔を隠すように引き上げていた毛布を、いつの間にか首のあたりに戻したリノアが、真っ直ぐ見つめていた。

「何がだ?」
「熱出ちゃったせいでみんなに迷惑掛けちゃったから。それに出発だって遅れちゃうかもしれないでしょ?」
「出発? 別に……」

――別にそんなこと、あんたが責任を感じることじゃない。

リノアの体調に関係なく、今はここを発てるような状況ではなかった。現在ガーデンはF.H.で修復作業を受けている。本格的に動けるようになるまでは、まだ数日は掛かりそうであったし、大々的に開催されたコンサートの後片付けも終わっていないのだ。たとえリノアの体調がよかったとしても、どちらにせよ直ぐに発つわけにはいかなかった。それに――。

「先を急いでいるわけでもないからな」

付け加えるとリノアが小さく笑う。
不思議に思って顔を向けると、熱でも上がったのだろうか。リノアの頬は先ほどよりもいくらか赤みが増していた。
リノアの顔を眺めながら、心の隅に引っ掛かりのような、どこか妙な感覚が落ちて来る。スコールは眉根を寄せて首を傾げるが、リノアは相変らず微笑を絶やさない。
(なんだよ……)
どうしてだか訳の判らない感情が唐突に胸に疼き、歯がゆさとも似た居心地の悪さから、目を背けたい気分になる。そんな心を見透かすようにタイミングよくリノアの口は開く。

「今のちょっと優しかったね。気を遣って言ってくれたんでしょ?」

(気を遣う?)
何を言われているのか瞬時に理解することができず、混乱してしまう。

「俺はそんなつもりは……」
「いいの、そういうことにしておくの! だってスコールに慰めてもらえた! って思うと元気になれるもん。えへへ……なんだか嬉しいぞ」

目を細め、それ以上は口にするなと言わんばかりに手を突き出したリノアは、広げていた手のひらを毛布の中にそっとしまいこみながら、天井を見上げ、肩を揺らして小さく笑う。

どう解釈すればそうなるのか。到底理解できそうにない理由にも驚かされてしまったのだが、それ以上に、病人のくせに威勢良く声を張って言う姿に虚を衝かれてしまった。
反論する意欲をまるごと削がれてしまったみたいに思考が固まり、何も言えず黙り込んでしまう。すると、そんな様子に気づいたらしいリノアがふいに神妙な面持ちになって、じっと目を見合わせたまま続けた。

「だけど……みんなに迷惑をかけちゃったのは事実だし、それに体調管理が出来ていなかったのは私のミスだよね。ごめんね、すぐに治すから。だから……もう少しだけ待ってね」

相変わらず苦しそうにリノアは肩で呼吸を繰り返している。
それにも拘らず、彼女の顔にはつらさが微塵も表れていない。むしろその表面にはいつもと同じ微笑が当たり前のように存在している。
――そうやって無理するからだ。
他人には、もっと頼れだなんだのと世話を焼きたがるくせに。自分こそ、片肘を張らずこんな時ぐらい周りにたよったらどうなんだ。
リノアの顔を見つめたまま、心の奥底ではそんな考えが沸々と込み上げていた。けれど湧き起こる感情の中に、不思議と苛立ちや怒りといった類のものは含まれていない。自分でも戸惑ってしまうほどに。

「今は何も考えずに休め。あんたにとっては慣れないことも多かっただろうし、疲れが出たんだ。カドワキ先生もそう言っていた」
「うん、そうだね」

静かに瞼を閉じたリノアから目を逸らして、机の上に置いたままであった食器へと首を傾ける。小さな一人用の碗には、重たそうな揃いの蓋が乗せられている。中には粥が入っていると聞かされていた。
デスクに近寄り、片手を碗に添えてみると、表面のつるりとした質感から思い浮かべた冷たさはまったく感じられず、代わりにほどよい温かさが手のひらに伝わった。蓋がされていることで、もう暫くは冷めずに温かさを保っていられるだろう。けれど時間の問題ともいえる。

「食べないならまた後で運ぶが、どうする」
「あっ、そのまま置いておいて。もう暫くしたら食べるから」

その場から顔だけを後ろに向けて尋ねると、頷いて答えたリノアが「薬も飲まないとだしね」と苦笑しながら付け加えた。
もう一度トレーを見下ろしたスコールは、それ以上は何も口にはしなかった。

――要件は済んだ。

これ以上ここに留まる必要はない。
そろそろ立ち去ろうとドアに足を向けたところで、ふと、数歩先に進めた歩みが、自分の意志に反して止まっていた。その場に立ち尽くしたまま振り返ると、ベッドで横になるリノアが不思議そうに小さく目を見開く。
カーテンが引かれたままの薄暗い部屋に差し込む陽光。やわらかな陽射しは、来た時よりも夕暮れの赤みにいくらか染められ、床に伸びていた一筋の光は輪郭が薄らぎはじめていた。
見つめていると、正体の判らない情動が胸を焦がすように無意識の奥底に生まれそうになる。どうしてだか、後ろ髪を引かれるようにその場から離れることが躊躇われ、動くことができずにいた。

「何か食べたい物はあるか?」

見下ろしていた床から顔を上げて足を止めたまま問うと、リノアの目は少し驚いたように丸くなり、やがてスコールが掛けた言葉を鸚鵡返しに呟いて尋ね返す。

「食べたい物とか、食べられそうな物とか……何かあるだろ? 欲しいものがあれば持ってくるが」

もう一度はっきり、そう口にすると、漸く言わんとするところを理解したらしいリノアは、両腕で上半身を支えるように体を起こし、目を見合わせられる姿勢になってから、真っ直ぐ向ける表情をゆっくりと和らげた。
唇に人差し指をあて、思案するように天井を見上げたあと、大きな瞳をくるりとスコールに向け直す。

「モモが食べたい、かな」
「桃?」
「うん。缶詰のモモ」

予想もしていなかった答えに、何だってそんなものが食べたくなるんだ。と言葉にしそうになるが、寸前のところで出かかった声を喉の奥に押し込める。けれど逸早くリノアは何かを察したらしい。
「考えてること判っちゃった」
そう言って小さく肩を揺らすと、片手で口もとを覆ってくすくすと笑い出した。
リノアは自身の口もとに当てていた手のひらを額に運び、指先でトントンと眉根の辺りを数回たたく。不思議に思い首を傾げると、指を眉根に当てたままのリノアは「口にしてくれなくてもスコールの顔を見てると判るもん」と、また笑い出す。

(ああ、そうだったな……)

あれは二日前のコンサートの夜だ。リノアに言われるまで気にしたこともなかったが、どうやら俺は何かを考え込む時、無自覚に眉根を寄せる癖があるらしい。
以前にも聞かされたはずの自分の知らない癖を再度指摘されてしまい、言い返す言葉が見つからず声を失ってしまう。
屈託のない笑顔を向けたリノアが、代わりに沈黙を破る。

「あのね、小さいころ熱を出すと必ずお母さんが食べさせてくれたんだ」
「……缶詰の、桃をか?」
「そう、冷たくてツルっとして甘いでしょ? だから具合が悪くてもあれだけは食べやすくて大好きだったの」

上半身を支えるようにベッドボードに背をもたれかけ、そう語ったリノアの唇は薄い半月を描いて、懐かしいものでも思い浮かべるように毛布の上で組んだ手を見つめていた。
子供の頃を思い返しているのだろうか。リノアの頬は嬉しそうに柔らかく緩んでいる――。

「了解……見付け次第届ける」

伝えると同時に、顔を上げたリノアがわずかに瞳を見開き、そしてゆっくりと双眸を緩めてから頷いた。
いつものような、心からの笑顔を見せたリノアの顔を認めると、固まり縛り付けられていた足もとが、自然と開放されたように一歩を踏み出すことができた。
扉に向かう途中。リノアの呼び止める声が耳に届く。

「スコール、ありがとう」

背後から届いた小さな囁き。
心地よく耳に響いた声に、窓辺に見たやわらかな陽射しの穏やかさが重なった。
スコールは何も語らずその場を後にする。
扉が閉まる瞬間、振り返り確かめることはなかったが、リノアが微笑んでいる姿を見た気がした。

まずは食堂に確認してみるか。そこで手に入らなかったとしても、F.H.のどこかにはあるだろう。
そんな考えを巡らせながら、食堂に続く通路へ出ると、目的の物を探しに向かうその足をスコールは知らず速めていた。

2012/4/27 UP