かわらないこと






輝く月明かりの下、優雅に空中を浮遊していたガーデンは、ゆっくり降下すると果てなく続く大海原に降り立った。

穏やかに波立つ海に静かに着水し、船となったガーデンは滑るように航行をはじめる。
漆黒の海に浮かんだ月明かりは一筋に伸びる光の道となって揺れ動き、辺り一面にクリスタルを散りばめたような輝きが反射した。
ガーデンのバルコニーでスコールの隣に並んで星空を見上げていたリノアは、海面にたゆたう輝きに真っ先に気づくと、手すりに身を乗り出す勢いで前方へと腕を伸ばして「スコール、見て!」と海を指差す。
歓喜の声を上げて屈託のない笑顔で喜ぶ姿。まるで小さな子供のようだと微笑ましさを覚えながら、スコールもリノアが示す先に目を向けて彼女の感情の熱が高まる理由に納得していた。
声に出して伝えこそしなかったが、水面で揺れ踊りながら拡散する反射光は空から降って来た星のように美しく、煌びやかに海面を舞っている。その幻想的な光景に素直に美しいと感じてしまい、リノアと同じく、時を忘れて目の前に広がる世界に心を奪われ感動を覚えた。
直後には柄にもないなと我に返ったのだが、いくらかの感慨に浸った自分には少しばかり驚いてしまう。
すう、と冷たい空気を吸い込んだスコールはゆっくりと肺に溜まった空気を吐き出してみる。一息に取り込まれた冷気によって凍える胸の奥が、静寂に包まれるように落ち着く。こんなにも穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろうか。古い記憶をたどろうとも、あまりにも遠い昔のことすぎて思い出すことすら困難に思えた。けれど確かに感じている。二度と味わうことのないはずであった感情を。ほんの少しだけ居心地の悪さを残しつつ、それも悪くないなと思い直す。

長い旅は終わったのだ。

スコールの心は今、遠く昔に置き去った安らぎを思い出そうとしていた。
運命に導かれるように続いた旅路は未来の魔女との闘いに勝利を収め、ようやく終わりを迎えた。


***


時間圧縮された空間から抜け出し無事に仲間と再会した後、バラムガーデンへと戻ったのは数日ほど前のことだった。
スコール班がバラムガーデンに帰り着くと、学園長をはじめ、帰還を心待ちにしていた者たちが歓喜と祝福に満ちた声で六人を迎え入れた。
『魔女イデア』が引き起こしたガルバディアガーデンとの交戦では、バラムガーデンにも多大な爪あとを残した。SeeDや候補生など、ガーデン内の多くの者が戦闘により負傷し喪われた命もあったのだ。アルティミシアとの戦いに終結を迎えたことで、彼らの心に深く広がっていた闇もようやく晴れ、同時に重責からも解放されたのかもしれない。勝利を祝して企画したというパーティーが行われているこの時も、穏やかに伝わる時の流れが、彼らの気持ちを言葉にせずともつぶさに物語っているように感じられた。
シド学園長による開会の辞が述べられてから時はずいぶんと経つ。パーティー会場となったホールからは音楽が鳴り止む気配はない。楽器が奏でるメロディーに交わる会話は自然と弾み、誰もが楽しげだ。ここ最近では見かけることのなかった溢れんばかりの笑顔が至る所で浮かび、各々がゆったりと平穏な時を過ごしている。

「帰って来たんだね」

バルコニーの手すりに腕を乗せ、前かがみになって上体を手すりに預けているリノアが、拡散し続ける光を眺めて独り言のようにぽつりと言葉を落とした。顔を向けてみれば、潮風に煽られて乱れた前髪を片手で押さえながら、リノアは優しく細めた眼差しを向ける。

「ガーデンに戻ることができて、またこうしてみんなの笑顔を見ることができて本当によかった」

パーティー会場となっているホールに続く通路へ振り返り、開放されているガラス戸から洩れる温かな光を愛おしそうに眺めたリノアは、その横顔に笑みをたたえる。
彼女の見つめる先からは相変わらずの賑やかな音楽と声が絶えずここまで届いてくる。バラムガーデンは日頃から自由で開放的な校風から常に明るい雰囲気に包まれているのだが、今夜に至ってはやはり特別な賑わいを見せているように思う。スコールも背後にある通路へ顔を向けてリノアと同じように行き交う人々の表情に目を追ってみる。やはり誰もが一様に高揚感に満ちた表情を浮かべており、笑顔は特に印象的に映った。

「そうだな」

リノアの問いに返した一言は素っ気なく短いものになってしまった。けれど気にするでもなく身をすくませるリノアは、気恥ずかしさを含ませたような照れ笑いを浮かべて夜空を見上げた。

「森のフクロウの依頼でスコールと出会って一緒に旅をすることになって、私たち宇宙にまで行ったんだね。何だかいまだに信じられない。時間にするとあっという間の出来事だったのかもしれない。けれど、その短い間に多くのことが起きて、とても長く感じた旅だったから」

空を仰いでから大きく息を吸い込むリノアは、そのままゆっくりと肺に取り込んだ空気を吐き出した。彼女の呼吸に合わせて、ほのかに白く染まった空気が凍える夜空に溶け込む。月明かりで青みがかった夜空を染めた白は、見届ける間もなくその姿を失った。

「私ね、旅の途中にもう駄目かもしれない、このままここで息絶えてしまうのかもしれないって、自分の死を覚悟した瞬間が何度もあったの。ううん、自分だけじゃない。戦いが長引くにつれて大切な仲間までも失ってしまうんじゃないかって、そんな恐怖心に駆られることもあった。今までに感じたことのない大きな不安の中で必死に走り続けていて……だからなのかな、本当は終わった実感なんてまだ少しも湧かないの」

一息に言い終え俯くリノアは、だけど、と噛みしめるように言葉を詰まらせながら、これで全て終わったんだよね。と、まるで自分を納得させるように感慨深げに呟き、再び穏やかに波打つ沖合を見つめていた。

リノアが仲間として加わるきっかけとなったのは、SeeDに就任して初めて与えられた任務、レジスタンス組織「森のフクロウ」へのサポートだった。
目的としていた大統領暗殺が予期せぬ失敗に終わり、その後の成り行きでリノアは行動を共にする仲間となったのだ。
立て続けに起こる想定外の状況。当時は後先を考える暇さえもなく、結果的に巻き込む形のままリノアは旅を続けることになった。SeeDでもなく、ましてや軍事的な教育を受けていたわけでもない彼女にとって激しさを増す戦いは肉体・精神的にも酷であっただろうに、よく臆することなく着いて来たものだといまさらながらに思う。それだけじゃない。旅の先に待ち受けた運命がこれほどまで彼女に大きく圧し掛かろうとは、あの時に誰が想像していただろうか。

「言葉で語れるほど過ごした時間は簡単じゃない、実感が湧かないのも当然なのかもしれない。俺もリノアと同じだ」

これまで過ごした時の中で起きた事柄は、リノアが言うように『終わった』などの一言で片付けてしまえるほど単純では決してないのだろう。
スコールの答える声にリノアは「うん」とだけ言って頷き、伏し目がちに顎を引く。彼女はそれっきり何も語ろうとはしなかった。
リノアの横顔をしばらく眺め、スコールは空に浮かぶ満月を仰ぎ見る。地上を明るく照らし続ける白銀の光が眩しい。宇宙で見た月の全てを呑み込んでしまいそうな禍々しさはここからでは感じられず、反対に目を細めたくなるほどの輝かしさが夜空に美しく浮かんでいる。

「ねえ、そういえば」

静かに波打つ海の音を耳にしながら月を見上げていると、先に口を開いたのは何かを思い出したかのように声を弾ませたリノアだった。

「どうした?」
「うん。あのね、スコールは覚えてる? 出会って間もないころのこと」
「出会って、間もない?」
「そう、SeeDとしてスコールが私の所に来てくれて、まだお互いを何も知らなかったころ。私たちよく喧嘩していたなって思い出したの」

何の前触れもない一言だった。
直前までの会話とあまりにもかけ離れた内容に、一瞬何のことだか判らずスコールは戸惑いを覚えずにはいられなかった。なぜ今になって出会ったばかりの、それも喧嘩などという話題を持ちかけたのか。
先ほどより幾分か弾むように上がったリノアの語り口調から、この先に告げられる内容が重苦しい意味合いを含んでいないのは何処となく察することができる。しかしそうなると話の脈絡はますます掴めなくなる一方で、下手に口を利けずに黙りこんだままスコールがリノアへ目を向けてみれば、可愛らしく首を傾げる彼女は「スコールは覚えてる?」と、こちらの心情など微塵も気にしない様子で続けようとする。

「唐突だな、いきなりどうしたんだ?」
「うん、今みたいに相手の気持ちに共感しながらスコールと会話ができるようになれて嬉しいなって考えていたら、つい昔のことまで思い出しちゃって」
「会話が嬉しい?」
「そう」

一段と明るく答えたリノアは大きく頷く。

「出会ったばかりのスコール、会話は必要最低限のみで、返って来る言葉はいつも優しくないことばかりだった。冷淡で容赦ない人。スコールはSeeDとしての正しい在り方を貫こうとしていたのかもしれない。私の考えの甘さに怒らせてしまった時もあった。けれどそれとは別に、人との関わりにさえ否定的に距離を置いているように見えてしまった時はどうしようもなく悲しくて、納得もいかなくて……だからつい楯突くようなことを口走っちゃったの」

悪戯の種明かしでもするようにチラリと舌を覗かせたリノアが、苦みを含ませた表情で見上げて笑う。
確かにリノアと出会ったばかりの頃は衝突が絶えなかった。口論の殆どは互いの価値観のずれによるもので、仲間への思い遣りや配慮の足りなさの指摘がリノアの言うところの『喧嘩』の口火となることは多かったように思う。ガルバディアガーデンへ向かう森の道中では、重大な失態を犯したゼルへ仲間として励ましの言葉を何故かけてやらないのだと怒鳴られたこともあった。
心優しい気質で人一倍仲間に対する情の深いリノア。だからこそ黙って見過ごせなかったのかもしれない。けれど、そんな『リノア』という人物を理解し受け入れられるようになったのはずっと後になってからで、正直なところ、突っかかられる度にまたかと疎ましく感じていたのも事実だ。

「そんなこともあったな」
「だけどね、一緒に過ごす内にスコールは冷淡な人なんかじゃないって気づいたの。突き放すような物言いで最初は気づけなかったけど、見せようとしてくれない心の奥で本当は優しさを秘めている人なんだって。それからかな、スコールの考をもっと聞かせて欲しい。スコールのことを知りたい。たくさん会話したいって思うようになった」

バルコニーの手すりに腕を乗せ、軽く握った手にかすかな力をこめて顔を上げたリノアは、肩から滑り落ちて頬を覆った髪を耳にかけ直しながら前方を真っ直ぐ見据える。そんなリノアの横顔に目を向け、スコールは息を吸い上げたままかける言葉が見つからなかった。
思い返すとリノアは何かと理由を付けてはそばに居たがったように思う。ガーデンを案内してほしい。散歩へ誘いに来ただとか、それ以外にもたくさん。
寄り添うようにいつも隣に並びたがり、そして考えを聞かせて欲しいのだと願ったリノアの行動の裏にそんな気持ちが隠されていたと知るのは少しばかり気恥ずかしく、同時にやんわりとした温かさが、胸の奥底を緩やかに広がって行くのを感じる。
いつだってリノアは嬉しそうに喜びを頬に浮かべていたのだ。誘いに応じるスコールの態度は至極面倒くさそうであっただろうに、俯きながら長い黒髪を耳にかけ直していたリノアは、その耳と頬に薄っすらと赤みを差しながら嬉しそうに目を細めていたのだ。

「ねえ、スコール笑ってる?」
「いや、別に」
「あ、もしかして何か言いたいこと隠してる? たった今『考えを聞かせて欲しい』って話したつもりだったんだけど」
「隠しているつもりはないが……そうだな、誰にでも言いたくないことのひとつくらいはあるもんだろ?」

それと同じだ。と伝えると、返答に窮するリノアが不服そうに唇を尖らせた。
くるくると変わるリノアの表情は見ていて飽きない。気持ちの切り替えが得意なのだろう。まさにこの瞬間も彼女の性格を象徴するように、尖っていたはずの唇はすっかり姿を隠してしまい、今度は柔らかな笑みが浮かんでいた。

「そうだね。まあ、スコールの貴重な笑顔を見られたんだもの! リノアさんも少しは認めてもらえたってことでよしとしようかな」

わざとらしくおどけた調子で言うリノア。そんなリノアにつられてしまうスコールの唇にも新たな笑みがこぼれていた。
少し前であれば、こんなふうに笑うことも穏やかな気持ちを噛みしめることも忘れていただろう。じわりと胸に浸透する温かさは、いつの頃からか当たり前のようにスコールの心に根を張って大きく葉を広げようとしていた。
心の片隅では、やはりまだ受け入れ難いのだと躊躇う自分がいるのも確かだ。失うことへの恐れもそう簡単には払拭しきれそうにない。けれど意識の深い奥底で、凍てついた氷が暖かな陽に撫でられるように、徐々に溶かされていくのも感じている。
何がきっかけとなりこれまでの考えを一変させたのか正しくは判らない。けれど、自問する度に不思議とリノアの存在がそこには浮かび上がった。全力で真っ直ぐに気持ちをぶつけようとするリノア。彼女の姿に影響を受けたのは否定できない事実なのだろう。常に新しい風を吹き込もうとするリノアの存在を疎ましく感じていたはずが、気づけば自ら彼女を求めるようにもなっていた。

「みんなと過ごせる時間も残りわずかだね。一緒に居られなくなると思うと、寂しいな」

それは何気なく呟かれた一言だった。はっとして振り返ると、目を向けた先のリノアは、微笑みを唇にのせたままクリスタルのような輝きを放つ海を眺めていた。
表面上は先ほどまでと何ら変わらない穏やかな微笑みをリノアは浮かべている。けれど、細められた瞳にわずかに違った感情が隠されているように思えたのは、気のせいだろうか。
いや、違う。気のせいなどではないと確信する。リノアの浮かべる微笑みが、ラグナロクの中で魔女の力を継承したと打ち明けた時に見せた、あの哀しげな表情と一致しているのを見過ごすことができなかった。
人には考えを口にしないと言うが、リノアも同じではないか。肝心な時に素直じゃない。

「不安なのか、リノア」
「……え?」
「無理して隠そうとしなくてもいい。俺の前では……そのままのあんたで居て欲しいんだ」

振り返ったリノアの双眸は揺れていた。
噛むように唇が引き結ばれた後、顔を背けてしまったリノアは、石造りの手すりに両手を掛けると握った拳にさらに力を込めて俯いた。
長い沈黙が二人の間を重く圧し掛かって訪れる。月の浮かぶ位置は知らぬうちに少しずつ移動していたようで、その動きに伴って海面の輝きも角度を変えていた。星のように舞っていた海面の煌めきも今は静かに波の上に浮かんで漂うように揺れている。
話を切り出そう、そう思った次の瞬間。意を決するように、隣に並ぶリノアが呼吸を整えるのが気配で伝わる。

「本当はね、これからどうなるんだろうって考えると怖くてたまらない。魔女の力を持ってしまった私が一人でどうすればいいのか、強く恐ろしい力を抑えられずに、アルティミシアに操られた時のように暴走してしまったら。きっと……いつかはみんなが離れていってしまうんじゃないかって、考え出すとわからないことだらけで不安でたまらないの」
「リノア」
「考えても仕方のないことだって、頭では理解しているつもりなんだけど。ごめんなさい……エスタの魔女記念館でスコールが封印装置から助けてくれた時、確かに嬉しいって感じていたはずなのに。すべてが終わった今は本当にこれで良かったのかなって、また迷ってしまう自分が居るの」

もうリノアは平静を装うことはなかった。今にも泣き出してしまいそうな心もとない表情で縋るような眼差しを向けて見上げる。色をなくした顔は儚げで、空の闇と海の深い底にこのまま呑み込まれてしまうのではないかと、錯覚に陥りそうになる。
その時、まるで助けを求めるように微かに震えるリノアの手がスコールの腕を掴もうと伸びてきた。けれどスコールの衣服に触れる寸前に躊躇うように動きを止めると、そのままぶつりと意識を失ったかのように真っ直ぐ降下する。何も掴むことのできなかったリノアの手は、彷徨うように行き場を失い、拳を握ることさえままならずに虚しく垂れ下がった。
ふいに思い出したのは、ガンブレードを握る手に伝わった振動と重い衝撃だった。何の温度も感じられない冷たく無機質な空間に並ぶいくつもの機材。複雑に絡み合った管から勢いよく漏れ出した蒸気の音。
目の前に立つリノアの顔に、魔女記念館の封印装置から飛び出し、駆け寄る彼女の顔がフラッシュバックのように重なって蘇る。
胸の奥を強く締め付ける痛みと、全身を切り裂くように熱くこみ上げる衝動があった。

「イデアの家で『約束の場所』を決めた時のこと、覚えてるか?」
「約束の場所……あの花畑のこと?」
「ああ、あの時に決めたんだ。言葉にして伝えはしなかったが……リノアの騎士になるって。あんたが俺を導いたように、今度は俺がリノアを導く。不安にかられて答えを出せそうにない時、いつもそばに居て守りたい。そう思ったんだ。だからもう迷うな、リノアは一人じゃない。俺がリノアを一人にはさせない」

恥じらいもなく、こんな言葉がすらすら出るとはスコール自身も驚いてしまう程に信じられないことだった。恐らくリノアにとっても驚きは同じ、あるいはそれ以上だったのかもしれない。じっと目を向ける彼女は、大きな瞳をさらに大きく見開いて言葉を失っていた。
胸元に手をやり、ネックレスのチェーンに掛けられたグリーヴァを片手で握り締めたリノアは、薄く開いたままの唇から思い出したように溜まっていた息をつく。リングを握り締めたままの手にもう片方の手が添えられ、更に力が込められる。俯くリノアがそっと顔を上げ、泣き笑いにも似た微笑みが目の前に浮かんだ。

「……魔女でもいいの?」
「言っただろ、魔女でもいいって」

封印装置から救出した時、駆け寄るリノアを自分の腕の中にしっかりと抱きとめ、震える細い肩を引き寄せながら伝えた言葉。
互いの存在を確かめながら抱き合い、全身に伝わる温もりの愛おしさを噛みしめて告げたあの言葉に偽りはない。
――魔女でもいい。本心から伝えた言葉だった。
たとえ、世界の人々にとって魔女が恐れられる存在だろうと、リノアを恐れる必要がどこにあるのだろう。あの時も、今だってそうだ。問われるまでもなく答えは初めから決まっている。

「魔女の力を継承していても、リノアはリノアだろ」

――――何もかわらない。

明るく仲間想いで真っ直ぐな所も、怒りっぽくて少しお節介なところも、何もかわらない。
リノアがリノアであることにかわりはしない。だから迷う必要はなかった。

「俺だけじゃない。きっと、あいつらだって同じように思っているはずさ」

旅を共にした仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。彼らならきっと、いや間違えなく同じようにリノアに告げるだろう。彼らにとってもリノアは大切な仲間であるのだから。

「それに忘れたのか?」
「えっ、何を?」
「俺たちとの契約だ。学園長からの契約書には、ティンバー独立まであんたをサポートするように書いてあった。アルティミシアとの戦いには決着がついたが、まだSeeDとしての役割が終わってない。そういった意味でも当分の間は一緒に居られるだろ?」
「あっ、そう言えば!」

忘れていたと言わんばかりに、口もとに手を当てたリノアが目を丸くする。何となく予想は付いていたのだが、案の定リノアは契約が残っていることも本来の目的についても失念していたらしい。あれだけのことが起きた後なのだから仕方ないと言えばそうなのだが、決まりが悪そうに肩をすくめたリノアが苦笑する。

「当面はいい加減なクライアントに振り回されそうだな」
「ちょっと何それ! あ、スコールもしかして私のこと前からそんなふうに思っていたんじゃないでしょうね!」
「そういう訳じゃ……だが、そうだな。床に座って作戦会議はさすがに驚かされたけどな」
「そっ、それだったらスコールだって、クライアントに対する態度が少し冷たすぎると思うんですけど!」

負けまいと反論するリノアが頬を膨らまして睨みを利かせる。けれど、その表情に真の怒りが込められているようには見受けられず、お互いに目を合わせている内にどちらともなく自然と頬が緩んで笑い合ってしまう。

「お互い様だろ」
「そうだね」

互いに見つめ合ったまま二人の存在がより近くなるのを感じる。優しく細められるリノアの瞳から目を逸らすことができない。
口もとを押さえながら小さく肩を揺らして笑うリノアにつられ、またひとつ笑みがこぼれる、その時だった。

「なんだかいい感じ~~」

背後から間延びしたような口調で声が掛かり、慌てて声の方向へと振り返る。いつからそこに居たのかセルフィがバルコニーの入口に立っていた。室内から漏れ出る柔らかな光を背負いながら、軽やかな足取りで駆け寄るセルフィは、スコールとリノアの目の前まで来て両足を揃えて立ち止ると、敬礼でもしそうな勢いで直立不動の姿勢をとる。その場で背筋を正したセルフィは、改まった様子でコホンとわざとらしい咳払いをひとつ落としてから満足気な笑みを浮かべた。

「突然ですがお二人さん、これからガーデンを抜け出すよ~」

あまりにも唐突な一言だった。
一瞬、聞き慣れない言葉でも耳にしたのかと錯覚を起こすほどに、意味を理解するのに時間を要した。ガーデンを抜け出すとは、どういうことか。
呆気に取られながら隣に並ぶリノアに顔を向けると、リノアも同じように当惑した表情でスコールを見上げていた。もしかしたらリノアだけは事前に何か知らされていたのではないかと当たりをつけたものの、眉をひそめて唖然としたままの表情を見る限り、どうやら同じように何も聞かされていないのだろう。

「抜け出すだって?」
「それも、今から?」
「そう! もうすぐガーデンがバラムに到着するらしいんだ。二人にはまだ伝えてなかったけど、陸に上がったらここを抜け出して今度は私たち六人だけでお疲れさまパーティーを開いちゃおうって話してたんだ~!」

心を躍らせるように楽しげに笑って跳びはねるセルフィ。その後ろにはいつから居たのか、すっかり顔馴染みとなったメンバーがホールとバルコニーを繋ぐ窓の前に集い、セルフィと同様に笑顔を向けて待っていた。
トレードマークのテンガロンハットを指で押し上げて目を細めるアーヴァイン。困ったように腕を組んで溜息をつきながらも楽しそうに微笑むキスティス。そして早くしろとでも言うように手招いて白い歯をこぼすゼル。
旅を共にした仲間たちが待っている。
彼らに目を向けたまま、スコールは呼吸すら忘れて立ち尽くしていた。すると痺れを切らしたのか、顔を傾げたセルフィが「スコール、リノア」と呼び掛けながら腕を取る。

 「二人とも早く行くよ!」

そう告げながら無邪気な笑顔を見せるセルフィは、くい、とスコールの腕を引き、逆の手ではリノアの腕を同じように引き寄せる。ちょうど三人で輪になって手を繋ぐような格好になり、思わず目を見張ってしまう。何をしだすのかと思えば、そのまま促すようにしてスコールとリノアの手を強引に繋ぎ合わせる。混乱が増す一方だ。

 「おい、何やってるんだ」
 「ちょと! セルフィ?」

何のつもりなのか到底理解できそにない。けれどセルフィはおかまいなしに「うん、うん」と、ひとり満足気に頷いている。

 「すぐ出発なんだからね~」

それだけ言い残すと、セルフィはスコールとリノアの腕から手を離して、それ以上は何も言わずにさっさと背を向けてホールへと駆け戻る。
前触れなく唐突に現れ、場を荒立てたまま去っていく姿は、まるで嵐が過ぎ去る瞬間のようだった。
温かな光の中へ誘われるように仲間たちのもとへ帰って行ったセルフィの背中を見送った後、繋ぎ合ったままになっていた二人の手を見て、リノアは肩の力が抜けたように盛大に吹き出した。

「セルフィもみんなも相変わらず! なんだか安心しちゃった」
「あいつら……どんな状況に立たされても、こんな調子だったからな。きっとこの先何があっても、あの突拍子のなさはかわらないだろうな」
「でも、みんなの明るさに救われたこと、私は何度もあるよ」

一度だけ考えるように首を捻り、リノアは繋いでいた手をゆっくり離して何かが吹っ切れたような清々しさを滲ませた笑みを覗かせた。

「スコール私ね、まだ不安はいっぱい残ってる。だけど……いつか魔女である自分も好きになりたいな。スコールが教えてくれたように、これまでの人生を歩んできた私も、これから新しい道を進もうとする私も。どんな私でも、私は私。今までとかわらず自分の一部なんだって……恐れることなく愛してあげようって、思えた気がする」

改めてリノアが手を差し出す。見上げると視線の合ったリノアは、朗らかに笑った。
差し出された手にスコールも自分の手を重ね合わせる。他者の意思によって促された行為ではなく、今度こそ自らの意思でリノアの細い手をしっかりと握りしめる。力を込めすぎると今にも壊れてしまいそうなほどにリノアの手は小さい。けれど、スコールの心配をよそに、リノアは繋ぎ合わせた手を強く握り返した。まるで大丈夫だよと、語り掛けるように。

「スコール、行こう!」
「ああ」

呼び掛けるリノアに誘われ、ホールへと歩き出したスコールとリノアは、互いに笑顔を向ける。
繋いだ手をもう一度だけ確かめ合い、そしてしっかりと指を絡め直す二人は、新しい一歩を踏み出すように待っている仲間たちのもとへと駆け出した。

2015/6/29 加筆修正サイトUP
(2013/3/31 UP)