君が君であること






「いいな、キスティスは」

予測もしていなかった唐突な言葉に、キスティスは驚いて顔を上げた。

「突然……どうしたのよ」

口に運ぼうと持ちかけたティーカップをそのままに、驚いたまま目を見開くと、頬杖をついたリノアがじっと見つめて小さな溜息を落とした。

「うん……」

そう言ったきり、リノアはまるで小さな子供が拗ねるように唇を尖らせて俯いていた。



久々に取れた休日。リノアを誘そってガルバディアの街へと繰り出していたキスティスは、二人でショッピングを楽しんだ後、近くに新しくオープンしたというカフェで休息を取っていた。
普段、バラムガーデン内で過ごす事を義務付けられているリノアにとって、外出は久々のことでもあり、街中を歩く彼女は本当に嬉しそうな笑顔を浮べて、心から楽しんでいる様子だった。 それこそ、キスティスまでもが嬉しくなってしまうほどの喜びようで、今のこの笑顔を彼氏に見せたらどれだけ焼きもちを焼くだろうかと、一人微笑んでしまうほどであった。
それが突然どうしてしまったのだろう。
リノアが浮べていた笑顔は、今や遠い昔のことであったように消えてしまい、代わりに彼女が浮べる表情は暗く憂いものへと変化していた。

「何か……あったの?」

キスティスが問い掛けると、俯いたままのリノアは目の前にあるティーカップを両手で包み込み、澄んだ紅色をじっと見つめた。
今日のリノアは、普段おろしている美しい髪を、頭の高い位置で一つに束ねているため、表情が髪に隠れてしまう事は無い。キスティスには彼女の顔色一つ一つを読み取る事ができ、今リノアが浮かべている表情に、必死さが浮かんでいることを知った。
それは人が何かの言葉を探している時の必死さ。誰しも気持ちや感情を伝えたい時、うまく言葉に表現できない時がある。まさに今のリノアも、その様な表情を浮かべ、戸惑いと戦うように何度も手先でカップに触れていた。
彼女の心が決まるまで口を挟むべきではないと判断したキスティスは、手にしていたティーカップを持ち上げると、熱い湯気を立ち上らせている紅色の液体を一口啜った。
花のような柔らかな香りと、ほのかな苦味が口の中一面に広がったのと、俯いていたリノアが真剣な眼差しを向けたのは、ほぼ同時だった。

「あのね、私……」

ゆっくり言葉を紡ぎ始めたリノアは、真っ直ぐに瞳を向けたまま続ける。

「自分の、自分のこの髪が……髪の色が、すごく……嫌になっちゃって」

言葉に詰まりながら、たどたどしくリノアが言う。
先刻前よりも更に唐突なその一言に、キスティスは顔を上げると、じっとリノアを見つめた。
あまりにも突然のことで、咄嗟には言葉が浮かばなかった。
手にしていたカップをソーサーの上に戻し、一呼吸おいたキスティスはリノアを見つめ、わずかに首を傾げる。

「また、突然ね」
「うん、なんだかね、もっと……もっとキスティスみたいに明るい髪の色だったらいいのにな、って思っちゃって……」

そう言ったリノアは、一つに束ねている自分の髪の毛先に手櫛を通すように触れた後、鬱陶しいものであるように、それを振り払って苦く笑った。

「何言ってるの。あなたの髪は本当に綺麗よ?……それこそ私が羨ましいくらい」

キスティスの言葉にもう一度、苦く笑ってみせたリノアは首を横に振ってそれを否定する。

「よくないよ、こんなに真っ黒で重たい色……子供っぽいし、おまけに夏なんて暑苦しく見えちゃうし、絶対によくないって」

彼女が首を横に振り動かす度に、高い位置で一つに束ねられた漆黒の髪が緩やかに揺れる。
サラサラと輝きを持って揺れる彼女の髪は、本当に美しい。束ねられているのが勿体無く感じられるほどだ。
それを嫌がるだなんて……。
キスティスには理解できず、リノアの言動すべてが不思議で仕方が無かった。
何故リノアが、それほどまでに自分の髪色を否定したがるのか、いくら考えを巡らせてみても答えは見つかりそうになかった。
そして、疑問はそれだけには留まらない。
普段、リノアはどちらかと言えば物事を前向きに捉える性質の持ち主だ。キスティスはそんな彼女を好きでもあったし、自分自身も見習わなければならないと常に思っていた。
その彼女がだ。
今のように、後ろ向きに自分を否定するなど、違和感を覚えずには、どうしても居られなかった。

「何故、そんなふうに感じるようになったのよ?」

キスティスの一言に、驚いた表情を持ち上げたリノアは、「……え?」と、小さく声を上げて驚いたように唇を開いたまま、言葉に詰まってしまう。

「今までリノアが髪の色を気にしたことなんて無かったじゃない……何か理由が有るからじゃないの?」
「……理由?……あぁ、うん、そっか」

一度俯き、紅色の液体を見つめたリノアは、肩を竦めて力なく笑う。
その表情は何処か淋しげに見て取れる微笑だったのだが、人が諦めを認めた時に浮べる苦笑とも似て見えた。
意を決したようにリノアがゆっくりと口を開く。

「この前ね、すごく綺麗な女の子が……スコールと楽しそうに歩いている所を見ちゃったんだ……」
「スコールと?」
「うん。SeeDの制服を着ていたからキスティスも知ってる子じゃないかな?薄い栗色のロングへーアーの子なんだけど……華やかな雰囲気なのにとっても大人っぽい子で……すごく可愛いくて」
「……ちょ、ちょっと待って、リノア」

突然、割って入ったキスティスの言葉に驚いたように肩を跳ね上がらせたリノアは、先ほどのキスティスのように慌てて顔を向けた。

「まさかあなた、それが理由だって言うんじゃないでしょうね?」
「えっ……な、何が?」
「何がって……まさか本当にそれが理由?」

今にも立ち上がる勢いで身を前に乗り出したキスティスは、椅子に腰を掛けなおすと、背もたれに全体重を預けて深々と息を吐き出した。
もう一度、身体を起こして、じっとリノアを見つめる。
見つめられたリノアは、まるで、いつかの教え子達がそうしたように、すっと背筋を伸ばすと両手を膝の上に乗せて、黙ってキスティスの言葉を待っていた。

「あのね、リノア。同じSeeD同士なら、会話をしながら歩いている事なんて幾らでも有るだろうし、第一にその二人に何か有った訳じゃないんでしょ?」
「そ、そうだけど……でも楽しそうだったし、二人ともすごく似合ってたから。それに私なんかよりも、あの子の方がずっとスコールに相応しく見えちゃって、だから……」

困ったように眉根を寄せて言葉を詰まらせるリノアに、キスティスはもう一度深い溜息を洩らした。つい、誰かのように額に手を当てたくなり、そんな自分に気づいて肩を落としたくなってしまう。

「ねぇリノア、楽しそうって……それスコールもそうだったの?」
「え?」
「私が思うにだけど、楽しそうにしていたのは……そうね、その女の子、一人だけだったんじゃないのかしら?」

すっかり冷え切ってしまったカップを手に取り、中身を一気に飲み下したキスティスは、側にあるティーポットへ手を伸ばして、空のカップへ新たに中身を注いだ。
美しい色の液体がカップの半分以上を占めて注がれると、先程よりも幾分か弱まった湯気が再び優しく立ち上る。
一連の様子を見つめていたリノアは、液体の注がれたティーカップを黙ったまま見つめ続けていた。

「こんな事をあたなに言うのが良いかは解らないけど、スコールの人気が有るのは確かよ?それこそ、SeeDの間では常に話題にも上がっているし、候補生の間ではそれ以上って言ってもいいくらいよね……」

キスティスの遠慮や配慮の欠片もない一言に、はっとしたように顔を上げたリノアは、ショックからなのだろう。顔面は蒼白になった。
けれどリノア自身も、告げられた真実にある程度の確信すら持っていたようで、今にも泣き出しそうな瞳を揺らしながらも、コクリと頷いてそれを認めた。
その様子があまりにも可愛らしく、キスティスはつい笑い出してしまいそうな衝動に駆られたのだが、必死に気持ちを押さえつけると新たに言葉を続ける。

「とは言え、スコールはあんな性格でしょ?だから、体外は誰も話しかけようなんて思わないみたいだけど……まぁ、ごく稀に居るのよね……勇気の有る若者が」
「……じゃ、じゃぁ、きっとあの子も…………その勇気ある若者の一人なんだよ!」

リノアがうんざりとした表情を浮べ、珍しく投げ遣りな物言いでそう告げる。
その様子にとうとう堪えきれなくなったキスティスは、小さく吹き出してしまうと、口元を押さえながら肩を揺らして笑った。

「……キスティス?」
「ごめんなさい……あなたがそんな言い方するなんて珍しいから、つい、ね……」
「やだ、からかわないでよっ!」

そう言ったリノアは頬を膨らませてキスティスを睨む。だが、その表情すらキスティスにとっては可愛らしい以外の何にでもなく、やはり笑い出したい衝動に駆られてしまう。

「ねぇリノア、確かにスコールに振り向いてもらいたくて必死になってる子はたくさん居るわよ?
でもね、その誰もがスコールに振り向いてもらったことなんて一度も無いのよ。みんな一生懸命に彼に話し掛けようとするし、気づいてもらおうと必死になっている。けれど、彼から返ってくる言葉といったら、業務的な内容以外は全くと言っていいほど何も無いし、楽しそうに会話をしているなんて、もっての外よ。…………本当、以前より少しは変わったと思っていたけど、そういったところは、ちっとも変わらないのよねぇ」

お手上げよとでも言うように片手を持ち上げて、空中でヒラヒラと揺らすキスティスに、リノアは何事かを考えるように天井を見上げた。
見上げていた天井から、その視線をキスティスへと移動させたリノアは、首を傾げて困ったように力なく笑う。

「だけど、もしもスコールが誰にでも笑顔で話し掛けちゃうような人だったら……私きっと大変だったろうな、毎日、毎日、気が気じゃなくなっちゃうよ」
「そうね……まー、あのスコールに限って笑顔は絶対に有り得ないでしょうけどね」
「ううん、どうかな?」

知らないだけで本当はそうなのかもしれないよ?と冗談めいて言うリノアにつられ、キスティスも笑う。
そんな彼を一度目にしてみたいものだ。と、ほんの少しだけ興味心が湧く。

互いに顔を見合わせ微笑みあった後、リノアはすっと吸い込まれるように笑顔を失った。
片肘をテーブルに付いて口を閉ざす彼女は、窓の外で途切れることなく行き交う人々の姿を目で追う。僅かに首を傾げる体勢になったからか、頬杖を付くリノアの動きに合わせて束ねられた髪が僅かに揺れ動く。
まるで絹糸が風になびくように、その美しい漆黒の髪が肩の上で滑り落ちる。

「そう言えば、一人だけ居たわね、スコールの表情をいともたやすく変えちゃう子が」
「えっ?…………もしかして、SeeDの子?」

急に慌て、姿勢を正すように伸ばしたリノアは、必死な表情でキスティスを見つめた。
キスティスは小さく笑い、そして一人、心の奥底で思う。

これだけ愛されている彼は、本当に幸せ者だ、と。

「リノア、あなたよ」

驚いたように眼を丸くしたリノアが、キスティスの前で言葉を失った。

「スコールの笑顔を引き出せるのも、会話を楽しんでいるのも……リノア、あなたと一緒の時だけよ。あなたと出会う前の彼は、あんなふうに穏やかな表情を浮べることなんて一度も無かったわ、それに―――」

それに、と続けたキスティスは、腕を伸ばしてリノアの髪を指で示した。

「あなたのその髪を、誰よりも愛しく思っているのだって、スコールなんじゃないかしら?ねぇリノア、あなただって覚えていないわけじゃないでしょ?」

キスティスは微笑んでリノアを見つめ、そして思いだす。
いつの日であったか、彼が彼女の髪に触れていた時のことを、心から愛しそうに彼女を見つめ、そして今まで見せることの無かった穏やかな表情を浮べていた、その日のことを。
スコールはリノアだけには、その表情を見せていたのだ。

驚いたように眼を見開いていたリノアは、自分の髪へと腕を伸ばした。
束ねられた自分の髪の毛先に指を絡ませ、やさしくそれを握り締めた彼女の手は、もう先ほどのように振り払ってしまうことはなかった。
代わりに両手で顔を覆ったリノアは、肩を弱々しく窄め、赤く染まる頬を隠すように俯いて小さな声で呟く。

「……私、やっぱりこのままで……居ようかな……」

聞こえるか聞こえないかのその囁きに、小さく笑ったキスティスは、手元のティーカップを再び手に取り、それを口に運んだ。

「そうしなさい」

ほろ苦く、けれど甘い紅茶の香りが口の中に広がる。
顔を見合わせた二人は、互いを見つめ、そして声に出して笑い合った。

「はい、そうします」

そう言って深々と頭を下げるリノアに、キスティスが吹き出すと、リノアは恥ずかしそうに肩を竦めていた。

2008/9/16 UP