信頼の証




1.

―――――― 右 左 右 左 右 左 右 左


「………… なにしてるんや?」

セルフィはドアノブに手を掛け、訝しげな表情で声を発した。
後ろ手に扉を閉め、カチリ、と留め金の音を確認してから執務室の奥へと足を進める。

「お帰りなさい、セルフィ」

金色の髪を後ろできっちりと結上げ知的な微笑を口元に浮べている女性、キスティスは目線を少しだけ上に向けると、約二週間ぶりに再会をはたした友人に声を掛けた。キスティスは自身のデスク……ではなく、部屋の端に設けられた休憩スペース用のソファーに腰を掛けている。コーヒーを啜っている事からして彼女は今、休憩中なのだろう。
そして、キスティスの横には金髪を逆立て、顔にトレードマークの刺青を持つ少年。ゼルが腰を掛けていた。

なんら変わりないいつもの風景。
のように見えたのだが、普段には無い光景を目の当たりにした。
そのためセルフィは部屋に入るなり訝しげな表情を浮かべてしまい、疑問の念を口にしたのだった。

セルフィは、つかつかと二人の側まで足を進めると、ゼルに向かい合う形でもう一方のソファーにドサっと腰を下ろして、じっとゼルに見入った。ゼルは横目にちらりとセルフィを見てニカっと笑ったかと思うと、数秒もみたない内に再び視線を横に戻す。
そう、疑問の念を抱いたのはこの男、ゼルにあった。

部屋に入った時からそれは在った。おそらく部屋に入る前からそれは続けられてたのだろう。


振り子のように左右に揺れる銀色の ―――懐中時計。


それはキスティスの真正面で規則正しく揺れていた。と言うより、揺らされていた。
揺らしているのは、もちろんゼルだ。
ゼルは上体をキスティス側にねじって腰を掛け、懐中時計のチェーンを掴んだ腕を高く持ち上げて “それ” をキスティスの目元で揺らしている。

「ゼル…いったい……何をしたいんや…」
「キスティスを眠らせるんだよ!」
「はっ!?」
「だ・か・ら!キスティスを眠らせるんだって!」
「はぁぁああっっ??」

さらっ、と応えるゼルのとんでもない一言にセルフィは声を張り上げた。
目の前で繰り広げられている光景は、確かめるまでもなく催眠術の、言わば暗示を行うための行為だった。
それはわかる。セルフィも催眠術の一種や二種くらい目にした事が今までにあった。だからこの部屋に入り、懐中時計を目にした時に、聞くまでも無くそれが催眠術なのだと言う事くらいわかった。けれど、何故、それをキスティスに行っているのか?
先程よりもいっそう疑問の念が深まったセルフィの耳元にキスティスの笑い声が届く。

「信頼の証なのよ?」
「…へっ?しんらい???」
「ええ。そうでしょ?ゼル」
「おうっ!!」

「…………って! いったい、コレのどこらへんが、どう信頼なんや!?」

まったくもって意味が解らない。
信頼と催眠術がどう繋がりをもっているのか、その共通性を見出すことがまるで出来ない。
それなのにキスティスは、さも当り前のように催眠術を信頼の証だと言ってのけた。 あら、セルフィったら何を言っているの?当り前のことじゃない? とでも言うように、それが常識だとでも言いたげに。


「あぁぁ!!やっぱ無理かぁーーー!!!」

ゼルの声と共に、チャリと高い音を立てて懐中時計はローテーブルの表面に下ろされる。そのまま勢いよくソファーの背に上体を預けたゼルは、握った拳を両腕ごと真上に突き上げ、体を仰け反って伸びをする。反った背中を今度は猫のように縮めて丸くなると、ズルズルとソファーに深く沈み込みセルフィと目を合わせた。
「きのう、オンライン放送の番組でやってたんだけどよ」
「やってたって……まさか催眠術を?」
「おう!催眠術って技術はもちろんなんだけどさ、術師と被験者の間に信頼感がないと成り立たないらしいんだよ。それってよ、つまりは技術さえ習得すれば、信頼関係が築けてる相手に催眠術をかけられるって事だろ??」
「え!!……うっ…う~~ん、…そうなんかぁ~?」
「そうなんだって!だからよっコレ!」

バン!とテーブルに一冊の本が乗せられる。そこには 『コヨコヨもビックリ!誰でも簡単!超初心者のための催眠術』 とのタイトルが大きく書かれ、丁寧なことに催眠術で眠っているコヨコヨのイラストまで描かれていた。
その “いかにも” な本をゼルは指先でトントンと数回たたく。

「で、俺はこの本で催眠術の技術を習得して、皆がどれくらい信頼を寄せてくれてるのかを調べてたっ!てわけだ!!」
「つまりは、それが…………」
「おうっ!信頼の証ってわけだ!」

自信満々な笑顔を向けたゼルに、セルフィは深々と溜息をついた。

―――なんと言うか…ゼルって、単純……。

そんな事を思われている、だなんて知らない当の本人であるゼルは、項垂れると でもよぉ…。とガッカリとした力無い声を出す。

「催眠術に掛からなかったキスティスは、俺のこと信用して無いってことだよなぁ…」
「……まぁ、ゼルの見解によれば、そういうことやな~?」

セルフィは、ゼルと同じように背もたれに体を預けると、力無く笑った顔をキスティスに向けた。
それまでのキスティスは一言も語らず二人のやり取りを黙って見ていた。口元には部屋に入って見た時から変わらない微笑をうっすらと浮べ、湯気の立つコーヒーを時折啜っていた。
ふとセルフィは気が付く。
何故、キスティスはこんな試にわざわざ付き合っていたのだろうかと。

セルフィの考えを読み取ったようにキスティスは首をかしげると、視線を向けた。

「もちろん、ゼルの事は信用しているわよ?でも、私はその催眠術に対して元より信頼が置けないのよ。人の心を操るっていう部分にもあまり好意を抱けないし、だから掛からなかったんじゃないかしら?」
「「ふ~~~ん」」

二人は感心した声色でキスティスに頷く。なんとも現実的な考えだが、キスティスらしい意見だった。
キスティスの考えは最もだ。催眠術は暗示であるのだから、その暗示に対しての不信感や嫌悪感があっては元も子もなくなってしまう。相手への信頼以前にまず術への不信感を取り除き、興味を抱かなければ暗示になんてとてもじゃないが掛からない………………


って!!!!
―――キスティス!始めからわかってやってたんか!!??

セルフィは背もたれから体を飛び跳ねさせると、目を見開いてキスティスを見る。
キスティスは伏し目がちにカップを口に運び、中の液体をこくりと小さく飲み込んだ。その唇に妖艶な笑みが彩られていたのを、セルフィは見逃さない。
なんとも恐ろしい……キスティスは暗示に掛からないと己で認めていながら、あえてゼルに付き合っていたのだ。何のためか?おそらく彼女は第三者的に状況を見つめ、それを楽しんでいたに違いない…。

「だからキスティスには効果が無かったのかぁ……」

そんなこととは露知らず、ゼルはのんきな声を上げて言った。
ゼルがキスティスの意に気付いた様子は、まったくと言っていいほど無さそうだった。この男の鈍感振りも、ある意味恐ろしいのかもしれない。そうセルフィは思った。

「それじゃぁよぉ!セルフィはどうだ!?」
「そうねぇ、セルフィはこういった事にも興味ありそうよね?」
「へっ?あたし??」

二人の視線を浴びたセルフィは腕組をして首を傾げる。

「う~~ん、興味はもちろんあるで! けど~~………… ゼルじゃ~きっとムリやな!」
「なっ!おれじゃムリって!どういう意味だ!!?」
「だーって!ゼル、頼りないんやもん!ゼルの催眠術なんて、な~んか嘘くさいやん!絶対ひっかからへんって!」
「何だよ!それ!!?聞き捨てならねぇ!それなら試してやるよっ!!」

飛び跳ねて立ち上がったゼルは、テーブルに置かれた銀色の懐中時計に手を伸ばす。だが、銀色のそれは横から伸びた影によって不意に奪われたてしまった。その光景は、まるで海辺の鳥に手にしていた食べ物を奪われるように、アッという間の出来事で、ゼルはポカンと口を開いて目を丸くした。

チャリ…

小気味好いチェーンの音。
奪われた懐中時計が振り子状にセルフィの手から滑り落ちる。ニヤッと笑みを浮べている彼女は、懐中時計のチェーンを掴んでゼルの顔面へと突き出した。

「なぁ、ゼル?あんたばっかりが、あたし達の信用を測るのは頂けへん。まずはどの程度、ゼルがあたし達に信頼を寄せてくれてるのか、それを見せてもらわんと。なぁ?」
「それもそう……ねぇ?」
提案を述べたセルフィに、キスティスは、それは名案ね。と顎に手をあて微笑む。
不敵な笑みを浮べた女二人は同時に頷くとゼルに顔を向けた。

―――げっっ!!
危険を察して慌てて逃げ出そうとしたゼルだが、キスティスはそれを見逃さない。ゼルのスニーカー、ほどけかかった靴の紐を瞬時に目の端で捕らえるとヒールの踵で押さえつける。グッと前のめりになったゼルは慌てて振り返ったのだが、その行動こそが運命の分かれ道。……だなんて、彼は知らない。悲しいことに彼の運は尽きた。
しっかりと腕を掴まれると下に引き戻される。ソファーの背に頭を打ちつけ「痛ぇぇーっ!」と涙目になるゼルを余所に、セルフィは行く手を阻むように隣に腰を下ろし、もう一方の腕を掴んで取り押さえた。ゼルは完全に捕らえられていた。

「うわぁぁぁ!!いやだぁぁーー!!!なんかスゲェーーこええぇっ!!!」
「手荒なまねしてゴメンなさいね。でもね、時に諦めも必要なのよ?ゼル」
「そうやぁ~!おとなしく――――コレを見いや!!」


ゼルの叫びも空しく、銀色の時計はゆっくりと左右に揺れ始めたのだった。