信頼の証




2.

―――――― 右 左 右 左 右 左 右 左

(うわぁぁぁっ……ほんまに寝てる??)
(ええ、完全に寝てるわね)
(ゼルぅ~っどんだけあたし達のこと信用してるんやぁ~)
(本当よね、罪悪感すら芽生えちゃうわよ…)

「…………何をやってるんだ」

キスティスとセルフィが驚いて声のした方へ振り返ると、扉の前には唖然とした表情で二人を見つめるスコールが立っていた。
珍しいことにスコールは動揺した様子で立ち尽くし、手にしていた資料の山が雪崩を起こし、床にバサバサと滑り落ちても、気にさえ留めなかった。
女二人は互いの顔を見合わせる。そして今のこの状況を把握してぎょっとした。

スコールが驚くのも無理は無い。
ゼルを囲んだ二人の姿は明らかに異質で、誤解を招いても仕方の無い様だった。
キスティスはゼルの両肩を背もたれに押さえ付けて拘束し、セルフィはソファーの座面に膝立ちした体勢で彼の顔を、それもかなりの至近距離で覗き込んでいた。中央で取り押さえられたゼルは眠っているのだが、気絶しているようにも取れる。
あまりにも不穏な空気がこの場には漂っていた。

「はぁ……スコール、お願いだから変な誤解しないで頂戴…」

キスティスはゼルから離れると額に手を覆って溜息を付く。

「そうなんよ!これには深ぁ~~い訳があるんやっ!」

セルフィは慌てて立ち上がって向かいのソファーへと掛け直す。

ゼルは…………相変らず気絶したままだった。
訳のわからない言い訳を次々に浴びせられたスコールは黙って部屋の奥へと進み、手にしていた資料を、近くの机にドカッと音を立てて乗せる。再び扉の前へ戻って身を屈めると、床に散らばったままのファイルや、クリップで纏められた資料を、拾い上げた。

「べつに…あんた達とゼルがどんな関係だろうと、俺が口出しする事じゃない。それに……言いふらすつもりも毛頭、無い」

だから安心しろ。とでも言いたそうなスコールの背中に、顔を赤らめたセルフィはソファーの背もたれから身を乗り出して答える。

「…ってはんちょ!明かに誤解してるやんかっ!!ほんまに誤解やー!これは催眠術!ゼルには催眠術をかけただけなんやっ!!」
「は…?催眠術?」

資料を広い集め、身を屈めていたスコールは、その手を止めて困惑した表情を振り向かせた。






「ゼルもゼルだが、あんた達も同等だ」

セルフィとキスティスからこれまでの経緯を聞いたスコールは、呆れ顔で腕を組むと溜息を一つ付いた。その様子にセルフィは肩を落とし、キスティスは右頬に片手をあてて深く呼吸した。
今、四人は互いに向き合う形でソファーに腰を掛けている。と言っても、その内の一人であるゼルは変らず一定のリズムで寝息を立て、起きる素振りなど微塵も無い。ゼルの横にキスティスが、向かい合ってスコールとセルフィが腰を掛けていた。

「催眠術なんかで人の気持ちを測ろうとするなんで間違っているんじゃないのか?そんな簡単に相手の気持ちがわかれば誰だって苦労はしない。…だいたい俺達はSeeDだ、SeeDが催眠術なんて暗示ごときに……」

かかる訳が無いだろ!と続けようとしたスコールだが、言葉をつまらせる。
言うまでも無く、今、この瞬間。SeeDである、それもSランクSeeDのゼルは正にその暗示によって心地よい眠りの最中にあるのだから。
言葉を失ったスコールが二人を見上げると、セルフィとキスティスは先程までの反省していた様子を一変させ、不信げに目を細めてスコールを見つめていた。
もの言いたげな視線を一身に浴びたスコールは極まりが悪そうに眉を顰めると、咳払いをひとつする。

「とにかくだ!今後、こんな馬鹿なまねはしないことだな」
「……確かに……少し悪戯がすぎたわね」
「そうやな…ゼルには悪い事してもうたしな…」

二人は申し訳無さそうに告げたのだが、キスティスは心底反省しているらしく、大人げなかったわ。と言うと膝の上で手を組み、垂れるように頭を下げた。ごめんなさい。そう付け加えて謝り、垂れていた頭を持ち上げてから肩をすくめてみせる。
目の前のスコールとセルフィに目を合わせたキスティスは隣で眠るゼルに、その視線を移した。

「それにしてもよく寝てるわね……ゼル、起きてくれるかしら?」
「う~ん、どうやろう?でも、まさかこんな簡単に催眠術が掛かるなんて思わんかったで~」
「そうねぇ…ゼルが言うように、暗示が信頼の証であるのなら、よほど私達を信用してくれた事にはなるけれど……」
「っていうか、ゼルの場合、信頼も何も関係なく誰がやっても同じ結果になりそうやけどな!」
「…………それ、言えてるわね」
「なっ!そう思うやろ~っ?つ・ま・り――」

「「 ただの単純!!!」」

あははは!と声を上げて笑う二人は、その声や笑い方までもが綺麗に重なり合って絶妙なハーモニーを生み出している。
二人にどれだけ好いように言われようとも、それを知ることなく気持ち良さそうに眠り続けているゼルは、幸か不幸か・・・。

「おい!」

流石にいたたまれない気持ちに駆られたスコールは、二人にいい加減にしろと睨みをきかせる。腕を組み、無言で睨みつけるスコールほど恐ろしく威圧的な空気を作れる人物はそう簡単には居ないだろう。その眼差しは何かを語るよりもずっと効果的で、あははっと笑い声を上げていたセルフィなど、あははの『は』で口を開いたまま硬直した。
笑っていられる雰囲気ではない。そう察したセルフィは、くるみ割り人形のようにカチッと歯を鳴らして口を閉じると、座面をずりずりと擦りながらスコールとの距離を取る。
サッと立ち上がるとキスティスとゼルのソファーに移り、ローテーブルの上に置かれていた懐中時計をつかんでゼルの横へ腰を下ろした。

「さっ!ゼルを起こすで!」

先程とは打って変わり、真面目な顔を作ったセルフィは、ゼルを起こそうと準備をはじめる。上体をひねるとソファーの座面に両膝をついて立つ。ゼルを少し見下ろす姿勢になった彼女は、高く片腕を持上げ掌の中から懐中時計をすべるように下ろした。


かくして、懐中時計は再び左右に揺れはじめたのだった――――。




*  *  *  *  *




「…………あかん」

「……起きないわね」

「…………ああ」


あれから数分が経った。
ゼルは一向に目を覚ます気配がなく、相変らず眠り続けている。

「おっかしいなぁ……さっきと同じにやってるんやけど…………なんでやぁ~?」

セルフィは手にしていた時計をローテーブルに戻すと、指先でゼルの脇腹を数回つついてみたが、やはり何の反応も返らない。

「何か手順を間違えてはいないのか?」

事の成り行きを黙って見守っていたスコールは呆れ返った様子で眉根を寄せると、壁に掛かった時計を一度見上げ、セルフィに向き直る。

「それは無いと思うわ。セルフィはゼルに暗示をかけた時と同じようにやっているわよ……」

キスティスは片手を口元に当てると大きな溜息を一つ付いてスコールに首を振って言う。

う~ん。と唸る三人は、この途方に暮れた状況にうんざりといった面持ちで一様に閉口すると、ぼんやりゼルを見つめた。


「…………やっぱ、経験もなく適当に催眠術なんてやったんがあかんかったなぁ…」

それまで、テーブルの上で放置されたままだったゼルの本を手に取り、パラパラとページを捲り始めたセルフィはごく自然に呟くようにそう言ったのだが、その、耳を疑いたくなる言葉に室内がさっと凍りつく。次の瞬間、二人は慌てた様子でセルフィに振り返って彼女を凝視した。

「ちょっ……ちょっとまって!セルフィ!あなた催眠術の経験があったんじゃないの!?」
「え?……ないで?」
「ない!?ないですって!だって、じゃぁゼルに暗示が掛かったのは何だって言うのよ!」
「う~んと……紛れ、やな?」

腰を浮かせ、飛び掛りそうな勢いで聞いていたキスティスは、セルフィの言葉に 信じられない!といった面持ちで呆気に取られると、力なくソファーに沈み込んだ。
元より、信頼の有無によって暗示に掛かるなど、冗談としか捕らえていなかったキスティスは、実際にゼルが暗示に掛かったのも、セルフィにそれなりの技量があるゆえと憶測を立てていた。
けれどそれらが全くの勘違いで、それも、紛れによる結果だとすれば、もう溜息をつかずにはいられない……。
どうするのよ。と、痛みに耐えるように、眉頭を押さえるキスティスは、言葉を発するのも気だるそうに俯いてしまった。

目の前でその様子を窺っていたスコールもキスティス同様に口を開く事も疎ましく感じていたのだろう。だが、二人で黙り込んでも何かが変わる訳ではない。仕方なしに開かれた口から出た言葉は、半ば自棄に近い言い草だった。

「なんとかする…………しかないだろ」

こうなると、ゼルが本当に目覚めるのかどうかも疑わしくなってくる。