信頼の証




3.

『なんとかする』そう言ったものの、実の所、何らかの手立てがある訳ではないスコールは、ソファーに腰掛け腕を組んだまま数分の時が過ぎ去ろうとしていた。
キスティスとセルフィが向けていた期待の眼差しも、時間と共に疑るような眼つきへと変化し始め、口には出さないものの、どうするつもりかと問うようだった。

「……信頼の証」

長い沈黙を破り発せられた声は、時計を見つめ独り言のように呟かれたスコールの、そんな声だった。セルフィ、キスティスの二人は顔を見合わせるが、どういった理由でスコールがそのような言葉を口にしたのかが理解出来なかったので互いに向き合ったまま首を傾げた。

「ゼルはそう言ってたんだな?」

「え?……ええ、そうよ。催眠術を掛ける上で、お互いの信頼感が大切だからって……けれど、それがどうしたって言うの?」

一体、どうするつもりなのか。検討を付けることが出来ないキスティスの表情は見て取れる程に困惑を浮べ、スコールの瞳の奥を伺うように見つめている。けれど、彼がその疑問に答えるつもりが有るようには見えない。
スコールは折り曲げた腕を腿の上に乗せ、中指と親指を何度か擦り合わせると、ぱちん!と軽快な音を室内に響かせて指を打ち鳴らした。感覚を掴むように数回繰り返した後、上体を前方へ屈め、伸ばした右手をゼルの顔面に向ける。

ぱちん、と室内に指を打ち鳴らす高い音が響き、遅れてスコールの低い声が響いた。

「ゼル、あんたは催眠術を信頼の証と言ったそうだな…………今から俺があんたに催眠術を掛ける。俺が指を鳴らしたら、あんたは目覚める。いいな」

眠っているゼルに語り掛けるようにスコールはそう言った。

「ちょっ、ちょっとまって!スコール、それはさっきセルフィが試したじゃない」
「そうや!それも効果無しやったやんか!」

「わかってる」

頷いて二人に答えるスコールは、ゼルに視線を留めたまま不機嫌そうに顔を顰めた。珍しい事に、スコールは焦りの色をどことなく伺わせているように見える。けれど、彼の事だ、何かの策でもあるのかもしれない。
取りあえずこの場は黙って見守る方が良いのかもしれない。互いに目配せするセルフィとキスティスは、相手の考えを読み取ったように頷き合うと、一度スコールの表情を窺ってから口をつぐんだ。

空気は重く張り詰めたものへと変化する。
女性二人は互いの顔から、横に腰を掛けるゼルへと視線を移し、そして見守る。
息を飲み込む音さえ聞こえてしまいそうなほどに静まりかえった室内で、空気がゆっくりと振動するように、スコールの低く落ち着いた声は響き始める。


「ゼル、眠っていても声は聞こえているだろ?一度しか言わないからな、よく聞いてくれ。
あんたを信用しているからこそ言う。…………力を貸して欲しい。今から十分後、あんたの力が必要になる。他の奴じゃ駄目なんだ。いいな、あんたを信用しているから言っているんだ、ゼルだからこそ、俺は頼んだ。あんた以外はいない。
だから…………頼む、目を覚ましてくれないか」


ぱちん!

室内に二度目の高い音が響いた。
その音に合わせてビクリと体を跳ね上がらせたのは、ゼル、ではなくキスティスとセルフィだった。
まるで自分達が催眠術に掛けられていたかのように呆然としていた二人は、指の鳴る音でハッとしたように目をしばたかせた。と言うのも、まさかあのスコールが、あのスコールがだ、唯でさえ恥ずかしさに耳を塞ぎたくなってしまうような言葉を軽々と口にしてしまったから……。
呆気に取られる反面、二人は体の内側から湧き上がるように頬へ伝わった熱を、どうしたものか!と、間誤ついてしまい、キスティスはと言うと、手に取ったコーヒーカップを口元に運び、とっくに飲み干している空のカップをひたすら傾けている。セルフィに関しては意味も無くやたらとスカートの裾を気にしているようで、両手で掴むと、延ばすように強く引っ張った。
そんな二人を知ってか知らずか、スコールは音も無く立ち上がると背を向けデスクに向かって歩き出してしまう。
その表情は俯いていた事もあって伺えない。

「さっさと支度をしてくれないか……」

スコールは背を向けたままで、この部屋に入って来た時に手にしていた資料を手際よく纏め、声を掛けた。セルフィとキスティスは、何の事だ?と険しい顔つきで記憶を辿るが思い当たらない……。もしや自分に掛けられた声ではなく、隣に座る女友達への言葉なのでは?と思い、二人は互いに振り返った。

視線がかみ合う。

「あっ……」

声を上げたのも、視点が違う方向へずれたのも、まったく同じタイミングだった。

「「 ゼルーーー!!! 」」

二人を挟んで、背もたれに上体を預けたまま眠っていたはずのゼルは、体勢は変わっていないものの、その目はしっかりと開かれていた。

「ああ!!よかったわ!目が覚めたのね!」
「ゼルぅっ!!よかった~!!!」

セルフィは飛び跳ねる声と同様に、ゼルの腕にしがみ付き、キスティスは頬に片手を当てて安堵の溜息をつく。

「もう、一時はどうなるのかと思ったのよ!」
「堪忍なぁ、あたしが適当に催眠術なんてやってもうたんが、あかんかったんや!」
「いいえ、私もいけなかったのよ、悪乗りするなんて駄目ね…ゼル本当にごめんなさい」
「ゼル、どっか具合悪い所あらへん?」
「そうね、何か、後遺症みたいなのが有ったらいけないわね?」
「後遺症!?あかん!あかん!大丈夫なん!?」
「例えば……吐き気とか、眩暈とか、動悸とか」
「ああ!それから肩こり、腰痛、神経痛とかやな!」




「 「――――――――って!ゼル!!?」 」

先ほどから弾丸のように語りかける女二人に対して、一切の返答がない。
ん?と首を傾げた二人はゼルの表情を伺うように覗き込んだ。

『顔面蒼白』とは、正にこの事を言うのではないだろうか?
まず初めに二人が思い当たった事といえば、漠然としたそんな感想だった。
ゼルの意識はすっかり元に戻っているようだった。けれど彼の瞳は何もない空中の一点を見つめたまま硬直している。まるで、この世のものとは思えない恐ろしい物でも目にしてしまったかのような形相だ。あまりにも酷い。

「ゼっ……ゼル??」
「ちょっ、本当に大丈夫なの!?どこか具合悪い所でもあるなら言って頂戴?」

キスティスは焦りを露にゼルの肩に手を乗せると、顔を覗き込もうと近付いた。

「…………見たんだ。見ちまった」
「え?」

何の事だ。

ゆらりとした口調で発せられたゼルの言葉は、理解しがたい言葉だった。いや、言葉自体の意味はわかるのだが、何を言いたいのかが全く理解できない。いったいどうしてしまったと言うのか?この予想外の状況に、二人は頭を抱えたくなった。
ああ、これはきっと後遺症だ、催眠術の影響なのだ……。と、自分自身を責め立て、悲しみに打ち拉がれたい気持ちにさえなった。自分達が仕出かした事の重大さに改めて気付き、沈み込むほど深く反省してしまう。
今まで反省していなかった訳ではないが、心のどこかでは、それほど深刻に受け止めていなかったのかもしれない。
人とは、事の重大さに直面してからでなければ、心より反省する事ができない生き物なのかも知れない。

そんな落ち込んだ二人の、終わりなき思考を断ったのは 『ぱこん!』 と、どこか気の抜けてしまうような音と、遅れて発せられたゼルの悲鳴だった。

「痛ってーーーぇっよ!!スコール!!」

見れば、さっきまで一点を見つめ硬直していたゼルが、今度は頭を抱えてうずくまっている。そのうずくまるゼルとローテーブルを挟んだ場所には、いつの間に戻ったのか、スコールが大量の資料を抱えて立っていた。スコールの右手には筒状に丸められた一束の書類が、何かの恨みでも込めるように力強く握られていた。

「自業自得だ」
「なにも……叩くことないだろ!」
「ガンブレードじゃないだけ有難く思え!」

有無を言わせぬ迫力で言い捨てるスコールの表情からは、ゼルを起こそうと、らしくもない言葉を口にしたとは思えないほどの怒りが漂っていた。心なしか、背後に黒いオーラと思しき不穏な空気を放っているようにすら感じられる。
その状況を、ただ唖然としたまま見つめるセルフィとキスティスは、訳がわからず、言葉を発することすら忘れていた。自分以外の時の流れるスピードは、いつからか倍速になっていたのか。と、つい疑ったほど、今の状況について行けない。
今わかる事と言えば、どうやらスコールは手にしている筒状の資料でゼルの頭を引っ叩いたらしい。という事ぐらいだ。

「さっさとしろ!もう時間がない」
「え?……うわっ!」

丸めた資料が高く持ち上げられていたと、気付く間も無く真下に振り下ろされ、ゼルの鼻先をかすめる寸前でピタリと動きを止めた。

「いいな、少しでも遅れたら次は無いと思え」

両手を挙げて降参の意思を表すゼルは「わかった」と言いながら、何度も首を上下させた。訝しがるように目を細めてその様子を見ていたスコールは、向けていた資料を下ろすと無言のまま踵をかえし、そして立ち去った。

静かに扉が閉じられる。
その音に合わせ、ゼルはずるずるとソファーに沈み込む。
「本気で殺されるかと思ったぜ……」そう呟いて深く息を吐き出した。

「ゼル……はんちょと何かあったんか?」
「あの様子は只事とは思えないわよ?」

ゼルが『殺されるかと思った』と言ったのは少々大げさに感じられたが、それに近いものは、確かにあったように感じられた。スコールがあそこまで露骨に怒る姿は珍しい。それに匹敵した理由があるならわからなくもないが、見ていた限りでは何か大きな理由があったとは思えない。
ソファーに沈み込んだままのゼルは顔を上げると垂れるように眉を下げてキスティスとセルフィを交互に見遣った。それがあまりにも力ない様だったので、つい同情に似た気持ちが二人に芽生えてしまう

「スコールさ、俺のこと信用してるとか言ってなかったか?」
「ゆうとったで?でもあれは、ゼルを起こそうとしてたからで……」
「ちがう」と言ってゼルは首を横に振った。
「違うって、何が違うのよ?」

キスティスの問いに、ゼルは瞳を閉じて、何かを思い出すような素振りを見せる。
彼の瞼裏が、記憶を投影するスクリーンの役割を果しているかのようだった。

「俺が信用しろって言ったんだよ……信頼してくれってさ」
「「……はい?」」

話の意図をつかむことができないキスティスとセルフィは困惑を表情に浮かべると、ほとほと疲れたという様子を、脱力してみせ訴える。
実際、この訳のわからない状況には、うんざりとしていた。

「キスティスとセルフィは見てないのかよ!?」
「見てへん……って何をや!?」
「スコールの顔!!俺が気付いたとき目の前にスコールが居ただろ?そん時のあいつの顔だよ!!」
「あ~あ」

「あの時ね」と答えたキスティスは、口元に手を当てると、再び頬に感じた熱気を隠すように、小さく咳払いを一つする。

「あの時はスコールが、柄にもない事を言いだすものだから、それどころじゃなかったのよ!」
「そうそう、はんちょがあんな真剣にゼルのことを、信用してる~なんて言うのを聞いたら、動揺してしもうて顔なんて見れへんって!」

はぁーー。
と、力なく深い溜息をついたゼルは「二人とも見てなくて正解だ」と呟いた。
「……俺、あんなに怖い思いすること一生の内に、二度とないと思うんだ…いや!あったら困る!あってたまるかよ!あんな……目だけでで殺されるような思い……。
言っておくけど比喩でも何でもないからな!あいつは、スコールは目だけで人を殺せる奴なんだ!」
「は?」
「だから!俺が目を覚ました時、スコールがスゲー怖い顔して睨んでたんだって!今まで見たことないってくらいによ!」

ソファーに沈み込んでいた体を、勢い良く起こし必死に訴えるゼルの姿とは対照的に、セルフィとキスティスは噴出したくなる衝動を必死になって堪えていた。
ゼルの話から察するに、彼は目が覚めたと同時にスコールのよほど恐ろしい顔を目にしてしまったらしい。それがどれだけ恐ろしい形相だったかは知らないが、涙目になって言うくらいだ、ゼルの様子からしても、かなりのものであったのは予測がつく。
とはいえ、実際に目撃した訳ではないセルフィとキスティスにとっては、真剣に訴えるゼルの姿と、話の内容とのギップに可笑しさが込み上げるのを堪えずには居られなかった。

「やっとわかったわ、あなたが開口一番に言った言葉の意味。『見た』ってスコールの事を言っていたのね?」
「ああ!なるほど!あたしは、てっきりゼルが催眠術の影響でおかしくなったんかと思ったで!」と言うセルフィは、とうとう、プッ!と噴出してしまった。

堪えていた笑いを我慢しきれなくなった二人は、思う存分吐き出すように笑い転げ、その様子に腹を立てたゼルは顔をしかめた。

「それにしても……」

キスティスは治まらない笑いを堪えながら、やっとの思いで顔を持ち上げる。
それにしても、何故、スコールは態度を一変させたのだろうか?ゼルを目覚めさせる為に彼は、らしくもない言葉すら口にしたと言うのに。
キスティスは目の端に浮かんだ涙を指先で拭いながら、壁に掛かる時計を見て考えていた。
そう言えば、スコールは仕切りに時計を見上げ、時間を気にしていたようだった……。そこまで考え、キスティスは何かに気付いたようにハッとすると、勢いよくゼルに振り返った。

ゼルは驚いて目を丸くしたが、次第に訝しげに眉を寄せる。
理由は簡単。ゼルを見つめているキスティスのその口に、妖艶な笑みが浮かび上がっていたからだ。

「ゼル、あなたこんな所であぶらをうっている場合じゃないんじゃないの?」

瞬間、ゼルの顔がさっと青ざめた。キスティスの言葉が、何か秘密の暗号であったか、もしくは合図であるかのように、壁の時計に目をやったゼルは、素早く立ち上がると、これまでに見たことが無いほどの猛スピードで扉に向かって走り出す。
ドアノブに手を掛け慌しく飛び出そうとする彼は、扉の閉まる間際。
「信頼の証なんてほしくねえーー!!」
と、大声を張り上げていた。



「何やったんや……」
ドアが閉まると同時にセルフィは唖然としたままキスティスに聞いた。
キスティスはコーヒーカップを片付けようと伸ばした腕を止め、セルフィに笑い掛けて肩を竦める。

「ゼルはスコールから大切な用事を任されていたのよ。時計を見るまで気が付かなかったわ」
「時計……?」
「そうよ。私も今朝、同じ事を頼まれたのを思い出したわ。残念ながら都合が合わなくて駄目になたけれどね」

カップを手に取ったキスティスは、しなやかに立ち上がると、空いている片手を腰に当てる。
溜息交じりに微笑む彼女は、全てを理解したかのような清々しさをその表情に浮かべていた。

「まースコールも、急な任務さえ無ければ自分で行きたかったんじゃないかしら?」

ソファーに腰を掛けたままのセルフィは、眩しい光を見つめるように目を細めてキスティスを見上げていたが、その翡翠の瞳が僅かに見開くと「あっ……」と声を漏らして、もしかして……と呟く。

「エスタ!!?」
「御名答!その通りよ」

キスティスはクスクスと小さな笑い声を上げた。

スコールが眠っていたゼルを躍起になって起こそうとしたのも、仕切りに時間を気にしていたのも、導き出される答えは唯一つだった。何とも可笑しく、それでいて全ての合点がいく理由。

「エスタへの迎え!」

そして、あの堅物な彼にそれだけの事をさせてしまう人物も、また唯一。

「「 リノア!」」

互いを指差し、手品の種でも見破ったように言い当てる二人は、見つめ合ったまま今日一番の笑い声を上げた。

魔女の力を継承したリノアは、定期的にエスタへ出向き検診を受けている。その彼女の送り迎えは、騎士であるスコールが請け負っているのだが、今回に限り、急な任務の為にその役割を果す事が出来なくなってしまったのだろう。
恐らく、その代役としてエスタへ出向くはずだった人物がゼルだった。
だがその人物は役割を果すどころか眠りこけていた。さらには時間も無い。
ゼルを起こそうと、スコールがあのような言葉を発したのは、何としてでも起こす為に取った最終手段だったのだろう。ゼルは催眠術を信頼の証だと言っていた。そう信じ込んでいるゼルに暗示を掛けるのならば、その信頼を持ち出すのが一番の対策だったはずだ。
ただ、スコールにとっては不本意な選択だったのではないかと思う。それならば、ゼルが目を覚ます前と後との、あまりにも違いすぎた態度の変化にも納得がいくような気がした。
手品の種とは以外にも単純で、注意深く観察していれば、こんなにも悩まされる事は無いのかもしれない。

キスティスとセルフィは顔を見合わせる。
恐らく考えている事は同じだろう。

あのスコールを、衝動的に突き動かしてしまう、あまりにも偉大な、リノアという存在の事。

「まースコールの信頼の証は、ゼルに有らずってことね」
「それ言えてる!」

もう一度顔を見合わせるセルフィとキスティスは、何かを思い出したように再び笑った。

銀色の懐中時計は、彼女達の輝く笑い声と同じようにその姿を、美しく光り輝かせていた。

2007/7/7 UP