短編小説




3.任務完了 ―Irvine Kinneas―

「任務完了~。今列車に乗った所だからあと二時間くらいでバラムに着けるんじゃないかなぁ?そうだね、そうしてもらえると助かるよ。うん了解~!それじゃー宜しく!」

通話を切る高い電子音が鳴ったのを合図に、列車はガタンと前方向に強く揺れると何事も無かったように滑らかな速度で走り出した。
カタンカタンと小さな響きが、揺れる車体のリズムに合わせて静かに鳴っている。
SeeD専用車両と一般車両との間に設けられた、通路と呼ぶには少しだけ狭すぎるこのスペース。
ここから任務完了の報告を告げた僕は、通話を切ったきり何時までも手にしていた携帯電話をコートのポケットに押し戻すと、室内へ向け掛けた足を一度止めて、近くの窓から流れ行く景色をぼんやりと眺めることにした。

景色と言っても、乾燥した地質が平坦に広がっているこの場所からでは、眺められる景色もごく僅かなものばかりで、見えるものと言えば、遠くにある森の木々が列車の進行方向によって、時折その鬱蒼とした緑色の葉を垣間見せる程度だった。

だけど僕が見ていたのは景色ばかりではない。

今日は珍しく太陽が覗いていたから、だから僕は思わず足を止めるとじっとその場に留まり、窓の外を早いスピードで流れる景色や、その上空できらきらと眩しい光を降り注いでいる太陽を見つめてしまった。

太陽なんてバラムで生活を送るようになってからは、何の珍しさも感じなくなってしまったけれど、常に雲に覆われているこの地方では、太陽が覗く日は年間を通しても数十回としか無い。
だから僕はつい物珍しくなってしまい、そしてそんな貴重な日に遭遇できたことをちょっとだけ幸運に感じてしまった。
もしかすると今日は良い一日になるかもしれない。な~んて、そんな希望の欠片でも拾ってしまったような気分にさせられる。そんな暖かくて心地よい陽射しだったからだ。

今度こそ戻ろうと窓の側から離れて踵を返すと、丁度いいタイミングで車内販売の女の子がワゴンを押しながら客室車両へと向かおうとしている姿が見えた。
その女の子は、肩口まで伸びたブラウンのウェーブヘアーがとっても似合う可愛いらしい子で、思わず声を掛けたい衝動に駆られてしまった僕は、彼女の側まで歩み寄ると、一杯のブレンドコーヒーを注文することにした。


「……あ、そうだった!ごめん、もう一つお願い出来るかな?」

熱い湯気を立ち上らした褐色の液体が紙コップに注がれるのを眺めながら、ふとあることを思い出して彼女にもう一杯のコーヒーを注文した。すると愛想よく微笑んだ女の子は、二つ目のカップを取り出して同じようにポットから熱いコーヒーを注いで僕に手渡してくれた。

「よい旅を」
「ありがとう」

そう言葉を交わして受け取った二つのカップを両手に持ち、仄かな香りを漂わせながら僕はSeeD専用車両へと向かって、自動扉の前に立つ。
空を切るように開いた自動扉の先、目に飛び込んだ光景に…………まず、僕は唖然としてしまった。



僕らが頻繁に利用しているこのSeeD専用車両とは、依頼を受けたSeeDが移動を行う際に特別に使用を許可されている部屋の事で、ラグナロクなどの移動手段を使わない限りは、この列車を使っての行動パターンが主になる。
それにここはSeeDだけが立ち入れる完全な密室という事もあって、移動時間を利用したミーティングを行うのにも適している。常に時間に追われている僕達にとっては、まさにもってこいの部屋であるのだけど、僕個人の意見を言わせてもらうならば、この部屋はむしろ『休息』を取るために用意されていた部屋なんじゃないかと、個人的にはそんな風に思っている。
移動という僅かな時間を利用して、常に時間に追われている僕等がほんの少しだけの休息を取れる場所。
だってほら、照明だって仕事には不向きな間接照明だけで明かりが取られているし、内装にしたって穏やかな印象を与えるホテルの一室のように計画されているじゃないか。第一に、部屋の奥に配置されているソファーの無駄な広さや、その横の壁に備え付けられた二段ベッドなんて、訊ねるまでもなく、僕らに『休め』と言っているように感じられる。

けれど、この部屋に居合わせている人物は、そんな考えは全く持っていないらしい。



「……スコール、少しぐらい体を休めたらどうなんだい?」

室内に足を踏み入れると、僕はまず部屋の中央へと進み、そこに配置されたテーブルの上で携帯式の端末を広げて作業を行っているスコールのもとへ向かった。
手にしていたコーヒーのひとつを彼の手元の邪魔にならない場所に置いて、室内のさらに奥へと向おうとすると、背中越しにスコールの「すまない」と言う声が僅かに聞こえた。けれど、きっと彼の視線は端末の画面に向けられたままで、手だって休めようとしていないんだろうと、僕は背中を向けたまま思う。

「スコール、任務の間もそうだったけどさぁ……最近の君、ちょっと根を詰めすぎなんじゃないの?ほら、せっかくのSeeD車両だよ?こ~んなに座り心地よさそうなソファーだって有る事だしさぁ~、ちょっとくらい休んだっていいと思うんだけどな~」

コーヒーカップを手にしてない方の腕を広げて、演技でも見せるような大きな声で言いながら、近くのソファーへ腰を掛けると、僕の体は腰を下ろしたと同時に座面に深く沈み込んでしまい、危うく手にしていたカップの淵からコーヒーが零れてしまいそうになった。
腰を下ろしたソファーは、どうやら表面のクッション材が見た目よりも随分と柔らかい仕上げだったらしい。
慌ててカップを両手で持ち直し、どこにもシミが出来て無い事を確認してほっと息を吐き、スコールを見ようと顔を上げてみると、スコールはやっぱり相変わらずの表情で仕事を続けていた。

僕の事なんて、まるで目に入っていないかのような様子だ。


スコールの無口で無愛想な態度はいつもの事だけれど、今回ばかりは幾らなんでも度を越しているんじゃないかと、少し怒りにも近い感情が湧き上がりそうになる。
と言うのも彼と一緒の任務に就いたこの三日間。スコールはずっとこんな様子だったからだ。
交わす会話は必要最低限の言葉のみ。それも任務に関する事だけで、後はじっと押し黙って自分の仕事に没頭していたし、たまに顔を上げたと思えば、何処か遠くを見つめたまま上の空といった様子だった。
いったい何を考えているのか。

僕はソファー横のローテーブルから雑誌を手に取ると、代わりにコーヒーの入ったカップを、雑誌が載せられていた場所に置く。ソファーの手摺を枕代わりにして仰向けの体勢で寝そべると、顔の前で雑誌を広げてパラパラとページを捲り始める。そして……ふと、ある事が気になった。


――――そう言えば、スコールが上の空になっているなんて……珍しい事かもしれない。


寝そべったまま、顔の前に広げていた雑誌を少しだけ上にずらし、その隙間からスコールの表情を伺ってみると、スコールは相変わらず険しい顔つきで端末に向かっていた。手には厚い書類が握られ、そして眉間には例の深い皺が刻まれている。

スコールが眉根に皺を寄せる仕草は、すっかり彼特有の癖になってしまっているらしく、キスティスやセルフィに指摘されては、鬱陶しそうにあしらっている姿を見かけていた。ただ、不思議と同じ事をリノアに言われた時だけは、まるで別人のようにその表情が違ったりするのだけれど。

――――もしも、ここにリノアが居て、あの愛らしい笑顔を向けてスコールの癖を指摘したとしたら。

今のスコールも、いつものように表情を和らげてしまうのだろうか。


雑誌を捲る手を止めずに、SeeDとしての洞察力を最大限に発揮しながら。そしてスコールに気づかれる事なく彼の表情を伺っていると、不意にスコールの手にしていた書類がデスクの上に置かれて、不機嫌に細められたブルーグレーの瞳がこちらに向いた。

「うわっ!」

思わず驚いてしまった反動で、手にしていた雑誌が指先から滑り落ちてしまうと、雑誌は叩きつけるように僕の顔面へと落下し、ペシャリと潰れたような気の抜ける音で床に転がった。
上半身を起こして、もう一度スコールに目を向けてみると、スコールは呆れたように溜息を吐いただけで、少しも顔色を変えずに端末へと視線を戻してしまう。

「あー……えっと、もしかして……僕が見てたこと、気付いてた?」

恐る恐る訊ねてみると、画面に目を向けて手を動かし続けているスコールが、

「あたりまえだろ」

と、言葉通り、本当にあたり前のように言い退ける。

「えっ!嘘だろ~!あんなに注意したのに!?」


僕からしてみれば、完璧なまでに自然を装って観察している――――つもりだったのだ。
けれどスコールはそれを見抜いていたとでもいうのだろうか?
まさかそんな筈は……。
そう思いながらも、僕の思考は、それを完全に否定する事ができない。


手元の書類に何かを書き込む作業をしているスコールは、書類と端末の画面を交互に見遣った後、両手を使って端末に何かを打ち込み、そして止まったと思ったら今度はボールペンへ握り替えて、また書類に何かを書き込んでいる。
見ているこっちの方が疲れてしまいそうなほどに、信じられないくらい忙しないその姿。
彼の様子を伺っていた僕は、きっと余程の事でも起きない限り、スコールが手を休める時は無いんじゃないかって、そう思えた。例えば今から列車がひっくり返るとか、それに匹敵するほどの驚きなんかの一大事でもない限り。
きっと彼が手を休める事は無いんだろうと、そう思う。

「あれで完璧のつもりだったのか?あんたは」

ソファーに腰を掛けたままスコールを見つめていた僕は、床に雑誌が転がったままであったのを思い出して、腰を屈めて拾い上げようといる所だった。突然に掛けられた声に、伸ばしかけた腕をそのままに顔を上げてスコールを見つめ直すと、一度こちらに向いたスコールの目は、直ぐに画面に戻ってしまい、彼は作業を進めながら言葉を続ける。

「……完璧って?何がだい?」
「さっき、あんたが言っていた事だ」
「あー、えーっと……僕がスコールを見ていたって話しのこと?」
「……ああ」

スコールが何を訊きたかったのか、すぐに判断できずに訊ね返してしまった僕は、う~んと、唸るような声を出して先程の自分を振り返る。
雑誌の隙間から彼の表情を窺っていた自分の行動、気づかれず様子を伺おうとする細心の注意――――。

「完璧も完璧!それ以上の注意を払ったくらいだけど?」


言い終えるか終えないかの時だった、端末を打つスコールの手がピタリと止まってしまった。
そのまま振り返ったスコールの顔は、『信じられない』と、言葉を顔に浮かべるような表情で僕のことを見つめていた。

「アーヴァイン」
「な……何にさ、そんなに改まって……」
「本気で言ってるわけじゃないんだろ?」
「はい?」
「だから今、完璧だと言ったことだ」
「ああ…………何だ、そのこと」

落ちたままだった雑誌を、今度こそ拾い上げた僕は、それを顔の前で大きく広げてみせて、そのままドサリと音を立ててソファーに寝そべり彼の視線を完全にシャットアウトしてみせる。

「まーね」

それだけを伝え、大きな飴玉でも飲み込むように出掛けた言葉を下に流し込むと、体を仰向けに横たえたまま、雑誌を支える腕の隙間から僅かに見える自分の足先をぼんやり眺めて思う。

――――だから言ったじゃないか、完璧も完璧。それ以上の注意を払ったくらいだよ。


いくら相手に気付かれないようにと様子を伺っても、その相手がAランクSeeDのスコールともなれば、途端に通用しなくなるようだ。とは言え、僕だってスコールと同じAランクのSeeDなのだから、彼に引けを取ってはいないはず。
けれど……いや、それでもと言うべきなのだろうか、やっぱりスコールには――――――敵わない。

彼と居ると、嫌でも自分の実力を認めざるを得ない時がある。もちろん天性の素質や個人の努力の違いによって、能力の差が異なってしまうのは仕方ない事ではあるんだけど、何ていうのかな。
スコールの場合は例えるなら……そう、根っからのSeeD。それも馬鹿がついてもいいくらいの、SeeD馬鹿なんだ。

例えばこの瞬間。

今、この部屋には、僕とスコールの二人きりしか居ない。それでも彼の場合は、常に全神経を研ぎ澄ませて周りのちょっとした変化や空気の流れを伺っている。
それはSeeDだったら当然のことなのかもしれないけど、任務から開放された今もそうやって警戒を怠らない彼を見ていると、時々不安にさえ感じる時があるんだ。
まるで、自分の周りにバリアでも張り巡らすように、いつでも気を抜く事のできない彼は、安らぎや温もりといった環境とは、無縁の世界で生活を送っていたんじゃないかって、そんな風に思えてならない。

スコールや他の皆と再会するまで、僕はガルバディアガーデンで育ってきた。
実際に彼等と同じガーデンで生活を共にしていた訳ではない僕からすれば、スコールが今までどんな風に過ごし、何を思って生活していたかなんて、想像や聞いた話から思い浮かべるしかできない。
だから、これはあくまでも僕の憶測でしかないのだけれど、ずっと人との繋がりを拒んでいたスコールにとっては、SeeDとしての任務やそれに拘るバトル、そういったSeeDとして生きる術に身を投じることが人生の全てであり、それだけが彼自身が存在する意味で、目的だったんだと思う。

今もこうやって休むことなく気を張り続けているのも、それは言わばスコールの癖のようなもので、SeeDとしての心構えや姿勢っていうのは――――彼にとって当たり前のように体に馴染みきってしまっているものなんだと思う。
その分、他人と比べてその能力や素質が、群を抜いて高いのは当然なのかもしれない。
おまけにスコールはバトルにおいても抜群のセンスを持ち合わせているのだから……もう誰も敵うはずが無いんだよね。

だからスコールは根っからのSeeD。それも馬鹿が付く位のSeeD馬鹿ってことだ。

でもまー、そんなことを本人に言ったとしたら、努力が足りないだけだって、僕なんて一喝されそうだけどさ。


ソファーに寝そべったまま、組んだ片足をぶらぶらと力なく揺すりながら、僕は手にしていた雑誌を胸の上に下ろし、自由になった片手をコートのポケットへと忍ばせて、その中に入れたままになっていた物を取り出した。
掌にすっぽりと収まっている折畳み式の携帯電話。二つに折り畳んであるその携帯電話の上部を、空中でも切るかのように腕のスナップを利かせて前へ押し出すと、カチリと音が鳴ってディスプレイ画面が開く。
柔らかく光を放った液晶画面に浮かび上がっている封筒形のアイコンを確認し、僕は親指を操りながら目的のボックスを指定した。

呼び出された画面にぎっしりと詰まった文字の列。
携帯電話に表示された、メールの相手は――――どうやらセルフィだったらしい。

17年間続いていた電波障害も、アルティミシアとの闘いを終えた後に少しずつではあるけど回復の目処が立ち、それからは徐々に電波を利用した機器が普及されるようになった。
その中でも大きな飛躍を遂げたのが、この携帯電話。
まだまだ発展途中だから機器自体の機能を最大限に生かせることは少ないけれど、それでも以前までの不便さが確実にカバーされるようになりつつはある。

時代なんてこうやって、意図も簡単に流れて行っちゃうものなんだよね~。
な~んて、少しだけ感傷的になりながらも、僕は携帯電話の最大の利点でもあるメール機能をフル活用していたりする。


セルフィが送ってきたメールの内容を確認した後、「ふ~ん、なるほどね~」と、それまで魚の小骨でも喉の奥に刺さっていたんじゃないかっていう引っ掛かりが、すっと消える気分を味わいながら、僕はつい声に出してしまった失敗に慌て、視線を携帯の画面からスコールに移動させて彼を見つめた。けれど見つめた先のスコールは、僕が不意に出してしまった声にも別段気にする様子もなく、相変わらずの無表情のままで端末を打ち続けていた。

幾らかの間スコールの様子を眺め、再び携帯電話に目を向け直すと、まずはこの場が携帯電話の使用できる地域かを画面上の電波表示で確認し、それから素早い動作で文章を作り上げる。
自慢じゃないけど、このメールを打つ操作なら誰にも負ける気がしないんだ。勿論その相手にスコールも含まれている訳なんだけど、まーこんな事で勝っても仕方ないのかもしれない。

『やぁセフィ、こちらはアーヴァイン』

新規のメールボックスを開いて、そこに文章を打ち始めると、静かだった室内に僕のボタン操作する音と、スコールのタイプ音とが調和するように混じり合って響いた。

『メールありがとう、助かったよ!なるほどね、そういうことだったんだね~』

まずは彼女からの連絡にお礼を伝えたくて、僕はその気持ちを何よりも先に言葉にする。
実は、たった今セルフィから受け取ったメールの内容で、僕の心の奥では、ある疑問がすっきりと解消する気分を味わっていた。

『何だかこの三日間ずーーっと様子が違うみたいだったからさ、きっと何か有るとは思っていたんだけど……そういう事だったのか、納得したよ!
だけど……まさかそれが理由だったとはねぇ~。きっとあの様子だと相当動揺してるんじゃないかな?
本人はそんなつもりは無いかもしれないけど、苛立った様子だったからさ~。
で、そっちの方は大丈夫なのかな?セフィが居るなら何の心配も要らないと思うけど、僕の方でも何とかしてみるからさ。それから、例の件も上手く伝えられそうな気がする。だから後は僕に任せてくれて大丈夫。そう伝えてあげてよ。もう少しでガーデンに帰れるからさ、詳しくはまたその時にでも。それじゃまた、ガーデンでね!』


それだけを一気に打ち込むと、送信ボタンを押して手にしていた携帯電話を、素早くコートの奥へと戻した。
一度天井を見上げて小さな溜息を吐いた後、胸に乗せていた雑誌を持ち上げながら、僕はまず何から始めるべきか考えを巡らせてみた。

実はここに来る以前、僕にはある使命が任されていたのだ。
その使命とは、この三日間で行ってきた任務とは全く別物の内容で、僕一人にだけ与えられた特別な依頼だった。
勿論、スコールはその事を知らないだろう。
何故なら、その依頼要求とは

スコール本人に関する事であり、クライアントでもある依頼相手は、――――リノアだったからだ。


手にしていた雑誌に目を這わせていた僕は、さて、どうやって話を切り出すべきか。と、目に留まった『おまじない』の文字をぼんやりと眺めながら考えてみる。
これからやらなければならない事、僕に与えられた使命は二つだ。

元々の依頼は、ずっと以前にリノアから。いや、正確にはリノアの気持ちを受け継いだセルフィが、僕に協力して欲しいと持ち掛けた話しのひとつだったのだけれど、今さっき確認したメールの内容によって、僕に与えられた使命は二つに増えてしまった。とは言え、一つ増えたからと言って大きな問題は無いだろう。むしろ、これから進める話にとっては、好都合と言っても良かもしれない。

僕は、もう一度雑誌に目を向けてみる。
僕が先程から手にしているこの雑誌は、月毎に発刊されている情報誌で、その時々の流行やイベント、デートスポットといった最新の情報がページ毎にぎっしりと詰め込まれている物だった。
その中でも、今回は恋愛に関する『おまじない』が特集記事で組まれていて、紙面の中では恋人との絆を深める為の古くからの言い伝えをもとにしたものや、それに関する小物のピックアップなど、いかにも女の子が喜びそうな内容が、流行を捉えながら所狭しと掲載されていた。

恋愛とは難しいもので、たとえお互いが想い合っていたとしても、必ずと言って良いほど"不安"という要素が付きまとうものだ。だから誰もが皆、気持ちを目に見える確かなものへと変えたがる。それは物であったり言葉であったりと、様々な形で人は証を求めたがる。その気持ちは僕にだって解らなくはない。

意を決すると、眺めていた雑誌を勢いよく閉じて、寝そべったままの体を起き上がらせる事にした。
悩んでいたって仕方ない。まずは行動あるのみだしね。そう思いながらソファーに座り直して、僕が顔を上げた、次の瞬間。
せっかく築き上げた決意を、見事に崩すような予想外の状況に、僕は思わず驚いた声を上げ、同時にビクリと飛び上がってしまった。

「……アーヴァイン」

それは、僕がスコールに声を掛けようと、顔を持ち上げた時だった。
いつからこちらに目を向けていたのかは知らないけど、顔を上げた瞬間にスコールと目がばっちり合ってしまったから驚いた。
だけど、こんなのはまだまだ序の口で、この後の僕は今以上の驚きを経験する事となる。

それは―――――。


「…………女の気持ちは……変わりやすいものなのか」


スコールの口から洩れた、あまりにも意外な一つの言葉。
彼のイメージからは程遠い、その問い掛けに……流石の僕も驚きで言葉を失っていた、と思う。



深く呼吸を繰り返して、深々とソファーに座り直した僕は、前屈みに俯きながら膝の上で祈るように手を組み、幾らかの時を過ごした。
その間、どうやって彼に送るべきかの言葉の羅列を、まるで迷路の中にでも彷徨っているような気持ちで必死に巡らせてみたのだけれど、頭に浮かび上がるものは、どれもこれも上手く伝えられそうにはない言葉ばかりで、出口は一向に見付かりそうになかった。
仕方なく考えるのを諦めた僕は、この妙に重たくなってしまった空気感を崩す意味合いも含め、きゅっと引き結んだ唇を左右に吊り上げると、うな垂れるように伏せていた顔を最高の笑顔へと作り変えて真正面に向き直り、そしてこう伝えた。

「スコールも恋に悩んじゃう可愛らしい所があるんだね~~!」

瞬間、信じられないスピードで顔面の横をボールペンが通過した。

「うわあぁああぁ!!」

慌ててその場から飛び退いて後方を振り返ると、ダーツの矢のように吹っ飛んで来たボールペンが、これまたダーツの的のように壁に一直線に突き刺さっているのが見えてしまい、僕の背筋には知らず冷たい物が走る。

「な、何するのさ!!スコール!!」

身の縮まる思いを振り払いながらも、なんとかスコールに抗議の言葉を伝えようとすると、表情を歪めたスコールは「あんたに訊こうとした俺が間違えていた」と、最後には深い、深い溜息を交えながらそう言って、この場を後にしようと席から立ち上がり、扉の方へ向かい始めてしまう。

「え?ちょ、ちょとスコール何処に行くんだい!?」

慌てて呼び止めようとするが、スコールは振り返ろうともせずに、どんどん扉の方に歩き出してしまう。

「わぁ!ごめん、ごめんって!ちょっと待ってくれよ~!今度こそちゃんと聞くからさ!」

ちゃんと聞くも何も、僕は最初から真剣なつもりだったのだから、こんな事を自分で言うのは不本意でもあった。
けれど今ここで、スコールと話が出来なくなってしまうのは、僕としても非常にまずい事態だった。
何故なら、このままスコールとの会話が途切れてしまうと、それは必然的にセルフィとの約束も守れなくなってしまうことに直結するからだ。
それだけは何としても避けたい。いや、避けなければならないんだ。
だから僕はいつも以上に誠実な態度でスコールを見つめると、切り札として取っておいたカードを惜しげもなく切る事にした。


「リノア!……スコールが訊きたいことって……リノアのことなんだろ?」

スコールが、扉の前に立ち、出て行こうとする直前だった。
僕が最後の手である、この名前を口にした途端、相手に確実な反応が現れたのを、僕は見逃さなかった。
扉の前でぴたりと動きを止めたスコール。相変わらず無表情なままで、言うならば幾らかの不満を滲ませていたスコールは、ゆっくりと僕の方へと振り返える。
その手応えに、今しかないと、僕は言うべきタイミングを見計らっていたこの言葉を口にした。

「リノアと何かあったんだろ?」

実は先程届いたセルフィからのメール。
そのメールによって、今の僕は、スコールがどういった状況に置かれているのかを知っていた。

任務に就いていたこの三日間、彼がずっと不機嫌でありながらも時折見せた、どこか上の空な表情。
たった今も、スコールがらしくもない言葉を、平気で僕に投げ掛けた理由も、つまり全ては……

リノアとの喧嘩が原因だったってことだ。


セルフィからのメールによると、僕達がこの任務に就く三日前、どうやらスコールとリノアは派手な喧嘩をしたようだった。
何が理由だったのか、どうして喧嘩をするまでに揉めなければならなかったのかは、ガーデンに帰って詳しい話を聞くか、もしくはスコールに訊ねでもしない限りは解らない。
けれど、リノアは泣きながらセルフィに相談を持ち掛けたのだと、送られて来たメールにはそう書かれてあった。いつだって笑顔を絶やさない、あのリノアがだ。それだけで事の重大さは、僕にも感じられた。
そして、その気持ちはセルフィも同じだったのだろう。彼女のメール文には、何とかしたいという想いが綴られると共に、こう書かれていたのだ。

『リノアとスコールの仲を取り持ってやりたい。協力してほしい』と。

これが、僕の受けた依頼、ふたつの内の――ひとつだ。


だけど、まさかスコールの方から相談を持ち掛けてくるとは予想外だった。
そのあまりにも彼らしくない行動に、流石の僕もちょっと驚いちゃったんだけど、でもまー。それは裏を返せばスコールがそれだけ本気で悩んでいた、っていう事なのかもしれない。
最強のSeeDと謳われているスコールでも敵うことの出来ない相手が居る。それは、僕にとっても大切な友人であり、スコールにとっては掛け替えのない存在である、リノアだってことだ。

「スコール、女の子って言うのはデリケートな存在なんだよ~。だから君はもっとさ~」

ここぞとばかりに、僕がこれまでの人生で培ってきた女の子論を、スコールに説き伏せよう語り始めると、スコールは怪訝な表情を浮かべながら、けれど、どうにか耳だけは傾けてくれている様子だった。

二人の間に起きた問題は、本人同士で解決しない限りはどうにもならない。けれど仲直りの切欠くらいなら、僕にだって作ってあげられるかも知れない。
セルフィがリノアの力になりたいと思ったように、僕も彼の力になってやりたいと、そう思う。
だってスコールもリノアも、僕にとっては大切な友達だから。友達にはいつだって笑っていてほしいって思うじゃないか。
だから僕はありったけの気持ちを込めてスコールに言葉を続けるんだ。

それに、正直な気持ちを述べると……二人が仲直りしてくれたら、僕にとって大切な子が喜んでくれるのも……間違えないんだよね。

しかし、僕に与えられた使命は、これだけには終わらない。

ソファーの端に手を伸ばすと、そこに放り出したまま忘れ去られていた物を拾い上げ、スコールに怪しまれないようにと注意を払いながら、にっこりと微笑んで立ち上がる。

「ねーねースコール、僕が良いこと教えてあげるよ!」

そう言うと同時に、スコールの眉根にはやっぱりと言うべきなのか、一層深まった皺が刻まれてしまったけれど、僕はそれを目にしながらも、構うことなく彼の傍まで歩み寄り、そっと手にした物を前へ差し出した。


それは、この列車に乗ってからというものの、僕が常に読み続けていた―――― 一冊の雑誌。

そしてその雑誌こそが、僕の受けた本来の依頼。


「今の二人にピッタリな、いい『おまじない』があるんだけど、これ見てみてよ?」

そう言って僕は、手にしていた雑誌をスコールの目の前で広げてみせる。

僕が手にするこの雑誌。
雑誌は、僕が今回の任務に就くずっと以前にセルフィから受け取ったものであった。
そして与えられた任務とは、この雑誌に載せられた『おまじない』をスコールに見せること。

これを見てスコールがどう思うのかは解らない。けれど今のスコールにとっては、神のお告げに近いくらいの威力があるのではないかと、僕の胸は、密かに期待で膨らんでいたりする。


「スコールは唯でさえ、気持ちを伝えるのが上手くないんだからさ、違う方法で伝えてみるのも、一つの手だって僕は思うよ?」

そう言ってページの一部分、色鮮やかな写真をうまい具合にレイアウトされた華やかなページを指差してみせる。

シルバーアクセサリーが紹介された記事の端、『恋人達のおまじない』という言葉が書かれたその部分を、軽く指先で叩きながら。


「女の子はさ、証しが欲しいんだって!」

広げていた雑誌を閉じてスコールに手渡すと、訝しげな表情を浮かべていた彼は、渋々といった感じではあったけれど、結局雑誌を受け取ってしまった。
そのスコールの反応を意外に感じながらも、僕は誰よりも最強なのは、やっぱりリノアなんだなと、改めて再認識する。そして、その彼女が逸早くこの事を知れる日が来ればいいと、自由になった片手をコート越しの携帯電話に触れながら、僕はスコールの手にしっかりと握られている雑誌を見つめていた。


――――とりあえずは、『任務完了』と言ったところだろうか。