one's future
1.
目的の場所へと向かう途中。不覚にも迷い込んでしまった森の中で、スコール達は今、二班に分かれて行動を取っていた。
傾斜な上に足場も悪い“道”とは言い難い、荒れ果てた道。
その最前を歩いていたゼルは、密集する木々の間をなんとか遣り過ごしながら目の前に聳え立つ樹木へ走り寄り、木の表面に斜めに交えて切り付けられた傷跡に叩くように触れた。一見では気づけない程度の安堵の様子と、僅かな不安の色をその表情に交えながら後方を振り返る。
「あったぜ!スコール」
ゼルよりもいくらか間隔の空いた最後尾を歩いていたスコールは、呼び掛けられた声に立ち止まり、黙ったまま顔を持ち上げた。
前方でこちらに振り返り、じっと目を向けているゼルの顔を見遣ると、スコールは声に出さずに頷くだけで返答をした。
スコールの返事は愛想の欠片も無いと言える応えであった。だが今ではすっかり慣れきってしまった感すらあるゼルは、別段気にする様子もない。スコールと同じように頷いてみせ、向けていた目を今度はスコールよりも少し手前の場所に移す。先程、一瞬だけ垣間見せた不安の色を完全に押し隠すように明るい表情を作っているゼルは、スコールとゼルの間に位置する場所に立つもう一人の人物に視線を留めて、改めて笑顔を浮かべた。
「きっともうじき出られるからさ、だから頑張れよ」
そう力付けるように声を掛けたゼルの言葉に、呼びかけられた相手は――――恐らく声に出して答える力すらなかったのだろう。
ゆるりと顔を持ち上げて、こくりと小さく首を縦に動かして頷き、ゼルが向ける笑顔に応えるように相手も同じように微笑む。そしてゆっくり足を前に踏み出すと、再び先を急ぐように歩き始める。
最後尾に立ち、離れた場所から彼等の遣り取りを見つめているスコールからは、こちらへ振り返っているゼル以外にその表情を伺い知るすべは無い。
しかし、目の前でゆっくりと歩みを進めようとしている人物が、その表情に歯を食いしばって耐えている必死さと、そして周囲の者に心配を掛けまいと無理に笑顔を浮かべていることくらい、目にせずとも想像できていた。
何故なら、こちらに振り返っていたゼルの表情が相手の顔を認めると同時に硬い顔つきへと変わり、先程に増す勢いで事態を打開しようとする熱意が強まったのが理由のひとつにある。そしてもうひとつの理由は、目の前を歩く人物がそういった性分の人間であると、スコール自身が気づき始めていたことが、浮かび上がった考えに至る大きな根拠となった。
どこまで進もうと、終わりの見えることのない深山の森の中。
頭上を多い茂る木々は、まるでこの空間だけを世界から切り離すように広がっている。目に見える景色は一向に変化の無い樹木と、ほんの少し湿り気を帯びた赤茶色の土だけ。地表から部分的に盛り上がった樹の太い根は、絡みつくように土の上に這って伸び、足下に注意を払おうとする度に体力を奪った。
スコール達がこの異空間とも言える場所に閉じ込められ彷徨ってから、もう何時間という時が過ぎていた。そして彼等は今、六人であったチームを二つに分け、最前線を進む者、その後を追いながら進む者の、二班になって行動を取っている。迷うという唯でさえ思わしくない状況の中、何故スコール達は二班に分かれるという手間と危険を伴う決断を選ばなければならなかったのか。
その理由は。
スコールの数歩先。
ふらついた足どりで、それでも決して倒れまいと必死に歩み続けている人物をスコールは見つめる。
歩みを進める度に揺れる黒髪が肩から滑り落ち、そして小さく震えているか細い足が目に留まった。
理由は――――リノア、彼女にあった。
「リノア……疲れているなら言え、少しくらい休んでもあいつらに追いつけないことはない」
スコールはリノアの背に向けて声を掛けるが、黙ったままのリノアは振り返ることも立ち止まることもせずに、ただ小さく首を左右に数回振ると、相変わらずのふら付いた足どりで体を前へと進める。
その歩調は、普段の時よりもずっと鈍い動きで、進んでいる割合も僅かなものとしか言えない。それでもリノアは立ち止まろうとはしなかった。そして彼女の顔がスコールに向けられることも、決してない。
スコールは深い嘆息をひとつ洩らしながら再びリノアに目を向ける。
リノアの足下、彼女の履いている黒いブーツの表面は、湿り気を帯びたここの地質の為に泥がこびり付き、乾燥した泥特有の灰色の汚れが目立つようになっていた。細い足は疲労のせいだろう。数時間ほど前から小さく震えている。そして彼女の左腕に巻かれた包帯、数時間前まで真っ白なまま彼女の腕に巻かれていた包帯には、いつの頃からか赤い血が薄っすらと滲み上がっていた。
もう一度声を掛けるべきかを迷い、スコールはそっとリノアを見上げる。けれどリノアの背は、まるでスコールからの言葉を無言で拒絶しているようにも見えてしまい、次の瞬間には言葉を発することが躊躇われてしまった。
同時に胸のどこか奥の方で湧き上がった、苛立ちにも似た感覚。
この感覚が何処から生じるもので、その理由がいったい何にあるのかは判らない。けれど湧き上がった苛立ちは時間と共に確実に大きくなり、そして膨れ上がって心の奥を掻き乱そうとしている。
その場に立ち止り、ぬかるんだ大地を見つめると、スコールは自分の靴にもリノアと同じように灰色の汚れがこびり付いていたことを知った。
この苛立ちと似た感覚は自分自身に向けられたものなのか、それともリノアへのものなのかは、判らない。
どちらかと言えば、心の奥に沸いているこの気持ちは、彼女に無理を強いている自分自身に向けられた憤りに近いようにも思える。そして決して頼ろうともせず、まるで拒絶のような意を見せるリノアに対して生まれた感情であると、そう思うのが一番しっくりと馴染む気がしていた。
けれど何故――――。
スコールは、こちらに無言のまま向けられているリノアの背中をもう一度見つめ、深い吐息を落とす。
一体何故リノアに関する事でこんなにも苛立ちの感情が生まれなければならないのか。いくら考えを巡らせてみても、答えは見つかりそうになかった。
仕方なく真っ直ぐ前方を見つめ直すと、リノアに声を掛けることを諦め、再び周囲を警戒して歩みを進める。その歩調をリノアの歩くペースに合わせると決めて。
数時間前までは高く昇っていた陽射しも、時間と共に傾き始めたらしく、銀色の輝きを放っていた頭上の枝葉はだいぶ赤みを増していた。
最早全てが闇の中に覆われてしまうのも時間の問題だろう。誰も口にしようとはしないが、日没までには何としてもここを抜け出さなければならないという緊張感が、辺り一面の空気を張り詰めて伝えているようにさえ思える。
森の全てが闇に覆われてしまえば、これまで唯一の頼りとして目指していたあの印すら確認することが出来なくなってしまう。数多くある樹木の中から、一定の間隔を保って樹皮に刻まれた斜めの印。ナイフによって斜めに交えて削られた跡は、スコール達を導くための、唯一の足掛かりとしてそこに存在する。
この場所よりもずっと先を進む、別れたもう一班。スコール達と彼等を繋ぐ唯一の絆として。
ただでさえ同じような景色が続く中。一本の樹木に刻まれた僅かな目印を見付けて進むのはなかなか骨を折る作業だった。いくら日ごろから様々な訓練を受けているSeeDであっても微かな変化を見落とさずに進むのは容易なことではなく、常に気を張っていなければ簡単に見失ってもおかしくはない状況だった。集中力を要求されるうえに一箇所でも見誤り別のルートを進んでしまえば、完全に迷ってしまうのは火を見るよりも明らか。それだけの慎重さがこの作業には要求された。
つまり、この森が闇に覆われてしまえば、今よりも状況が不利になることは明白。
自ずとその先にある答えも示す事となる。それだけは何としても避けなければならなかった。
見上げていた頭上から後方へと振り返ったスコールは、手にするガンブレードを強く握り直し、そして前方を見つめる。
冷気を含んだ風が頬を撫でながら吹き去ると、目の前の漆黒の髪が緩やかになびいた。左腕に巻きつけられた包帯に自然と目が留まり、そこに薄っすらと浮かび上がる赤が目に入る。
まだ明るかったあの時、二班に別れて行動を取ると下した決断。
この判断は間違ってなどいなかったはずだ。
* * * * *
――――迷っている。
そう誰もが感じ取ったあの時、次々に襲い掛かるモンスターとのエンカウント、そしてバトルの連続に六人の体力は着実に奪われ始めていた。
その中で真っ先に遅れを見せたのが、リノア――――彼女だった。
無理もない。普段から鍛えているSeeDとは違い、リノアは一般の民間人だ。SeeDであるスコール達でさえ連続バトルに多少息が上がり始めていたのだから、この状況に弱音すら吐かず付いて来られたリノアは、寧ろ称えるくらいの努力をしたとも言えた。
しかし、だからと言ってこの先もリノアを庇いながら、何処までも続く森の中を行く当てもなく彷徨い続けるには、今の状況はあまりにも……不向きだった。
この場所は数多くのモンスターが生息する地であるらしく、それぞれが所有していたアイテムや魔法も多数のエンカウントによって失われつつあり、このままでは底を突きかねない状態にすらあった。
一刻も早くこの場所を抜け出さなくてはならない。
そんな空気感が、誰も口にしない状況の中で次第に見え隠れするようになっていた。
そんな焦りが入り混じる緊張の中、沈黙を裂いて上がった一つの声。
「チームを二つに分ける」
そう言葉にしたのが、スコールだった。