1.異変

ガヤガヤと騒がしい話声と笑いがバラムガーデンに混ざり合って響く。 授業を知らせるチャイム音と共に、それまで話をしていた者達は受ける課目の教室へと走り出し、先ほどの賑やかさはガラリと一変して穏やかな時が流れた。

SeeD司令室、バラムガーデンの一角にSeeD専用として設けられたこの部屋は、普段から外部での仕事が多いSeeD達にとって利用頻度は低い。溜まった書類の整理や会議などと言った名目以外で大人数が顔を合わせる事など滅多に無いのだが、この日は珍しく5人のSeeDが同じ部屋でそれぞれの時間を過ごしていた。



「最近、世界各国で伝染病が流行っているみたいなのよ……」


分厚い資料をパラパラと捲り、先程から何か考え込んでいた雰囲気のキスティスが突然、ポツリと言葉を零すと、その場に居た全員が顔を上げ彼女に視線を送った。けれど、当の本人は椅子の背もたれに仰け反るように伸びをして小さな溜息をついているだけ。誰かに零した言葉なのか独り言だったのか。あまり聞き慣れない伝染病という言葉を残したままキスティスは一向に話し出そうとはしなかった。

「伝染病~?」

いつまで待っていても語り出しそうにないキスティスの口を開かせる為に、すかさず合いの手を入れたのはセルフィだった。
セルフィはソファーに腰を掛けて最近購入したばかりのマグカップで紅茶を飲んでいる。目の前のテーブルには可愛らしい包みが広げられており、手を伸ばしてそこから一枚のクッキーを取り出すと、一口噛りついてセルフィは綻ばせた表情を返事のないキスティスへと向けた。

「ああ、ごめんなさい。……そうなのよ。伝染病と言っても何が原因なのか全くわかっていないのだけれど、似たような症状を訴える患者がトラビアやガルバディア、それにエスタにまで広がっていて、死者までもが出始めているらしいのよ」

はっとしたように振り返ったキスティスは、その様子からしても、やはり無意識に言葉を発していたらしい。慌てて各国で起きているという不可解な伝染病について語ったのだが、そんな病が流行り始めているなどセルフィは今まで聞いた覚えがなかった。まだ最近の出来事なのだろう。
唇を軽く尖らせながら「ふぅ~ん、エスタまで」と呟くように零した声は、あまりにも深刻に捉えてない声色だったらしく、キスティスはその様子に苦く笑いを浮べた。

「ほら、伝染病って言ったら、病原体を持つ個体から別の個体へ経路を辿って、連鎖的に感染者数が拡大する感染症の一種なんだけど、出入りのないエスタにまで感染者が出ているのは……少し不自然に感じられる話なのよね」

17年前に起きた「エスタの沈黙」以来、他国との交流を断っていたエスタも、アルティミシア戦後にその沈黙を破り各国との交流を持つようになった。とは言え、今までの蟠りが消えるのはそう簡単なことではない。加えて交通手段も限られているこの土地への出入りは難しいため、現在エスタは、他国との国際的な関係は実質ないと言ってしまえる状態だった。

「感染経路の共通性や感染源もわかってないのか?」

突然に横から低い声が話しを割るように加わった。

「ええ。それが感染経路の共通性が無いのよ。患者同士は勿論、周辺で係わる人物に接触があった訳でもない。……今あるデータをまとめると、家畜類には特にそれらしき異常は見られず、人体のみに感染症と思われる症状が現れているみたい。しかもそれらは全く関係の無い場所でポツポツと発生しているのよね。発病の時期も様々で感染源もはっきりしていない。考えられるとしたら……何らかの生物兵器によるテロ行為とか……」

それまでデスクに向かい端末を打ち込んでいたスコールだったが、顔を上げるとキスティスに問い掛け、振り返ったキスティスは微笑を象った唇から大きな溜め息が一つ漏れるように言葉を零した。
そのままキスティスは話し出す前のように資料へと視線を落とすとページを捲る作業の為に片手を伸ばす。パラパラと紙を捲る仕草はしたものの集中している様子はまったく見られず、紙が捲られるスピードに合わせ彼女の金色の髪をサラサラと揺らすだけだった。

「妙な話よね。接触が無いのに感染者が増え続ける、それも共通性を持たない場所で」
「……それで、調査依頼がSeeDに来たと言う訳か」

スコールの言葉にキスティスはチラリと上目で見上げたが、彼の視線はすでに端末の画面へと向けられており、カチカチと何かを打ち込んでいる音だけが室内に響いていた。端末の端から少しだけ覗くことの出来たスコールの横顔に軽く微笑むと、キスティスは「ええ」と返事をした。


アルティミシアとの決戦後、世界の平和は保たれたのだが、全てが丸く収まり幸せな時代が訪れた訳ではなかった。
政治問題やテロ、戦争。魔女への恐怖や偏見、暴動。
魔女の支配という大きな恐怖が消えた今、世界情勢は混乱によって見えていなかった部分や、目を伏せていた部分が浮き彫りとなり、不安定な状態が停滞していた。

本来SeeDとは、魔女イデアの暴走を阻止する為にクレイマー夫妻が設けた機関であり、魔女戦争に終止符が打たれた今は役目を終えた筈であった。だが世界のこのような状態に高い戦闘能力を持つSeeDの存在が今まで以上に必要とされるのは当然の事と言える。そのため、以前と変わらずSeeDへの依頼要求が有るのはもちろんだが、魔女を倒したのはSeeDらしいと追い風を立てたために、結果、今まで以上の依頼が寄せられるようになってしまった。
バラム、ガルバディア、トラビア、それぞれのガーデンでの話し合いの末に、今まで通りバラムガーデンが中心となってSeeDを存続させる意向に決定した。その上でシド学園長は今回の戦いで最前線に立ち大きな力を発揮したスコールを引き続き司令官として任命し、同じくキスティス、ゼル、セルフィ、アーヴァインを中心としてSeeDを指揮し導くよう命じた。

「いくら依頼でもよ、そんなわけわかんねぇ病が流行ってる場所へ調査に行っても平気なのかよ?」
「そうだよね~。調査に行った誰かが感染したとしたら、それこそガーデン内で集団感染、なんて事もありえちゃうんじゃないかな?」

今まで黙って話を聞いていたゼルとアーヴァインが、一つの疑問に口を挟むようにして会話に参加した。
アーヴァインはセルフィの隣を独占するかのごとくソファーに腰を掛け、ゼルはローテーブルを挟んだ向かいのソファーで手摺りを枕にして横になっている。
格闘王の最新号を読んでいたゼルはアーヴァインの言葉に勢い良く上半身を起こすと「だよなぁ!」と相槌を打ちながら目の前のテーブルに格闘王を放り投げた。雑誌がテーブルの表面を緩やかな円を描きながら滑ると、止まった先には丁度セルフィがお茶の供として用意していたクッキーが広げられており、その可愛らしいデザインの包みと、いかにも男くさい雑誌が隣り合うと、妙なバランスを生んでいた。
ゼルは雑誌を取ろうして伸ばした手を、ふと右方向に移動させる。それもごく自然に。何度となく同じ行動を繰り返していたかのような身のこなしで移動させると、目の前の包みから一枚のクッキーを取り出した。実は、先程から甘い香りを漂わせているこの存在が気になって仕方がなかったのだ。

「あっ!!ちょっと、ゼルっ!」
「いいだろ?一枚だけ…………って……え?うわぁ!!っ痛ぇっっ!!!」

セルフィは伸びたゼルの手をパシっと一叩きすると掴んでいたクッキーを見事に叩き落とした。セルフィが上目使いにニッヤリと勝ち誇った笑顔を見せる一方、捉えた獲物を奪われたゼルはあんぐりと口を開いたまま、見事に落下して包みの中に納まったクッキーを眺めるしか出来ないでいた。
しばしの沈黙の後、顔を上げたゼルは不満をあれこれと口にしていたが、セルフィは軽くあしらう。

「だ~め~!このクッキー買うの大変やったんから!」
「そうだよ~!僕とセフィが何時間も並んで、やっと買えたんだからね~」

わいわいと騒ぐ二人の様子を見ていたアーヴァインが会話に加わると、セルフィと互いに顔を見合わせて呼吸ぴったりに「ね~~!」と声を重ねて共に顔を傾げてふざけて笑ってみせた。

最近ドールに大人気の洋菓子店がオープンした。店内は常に込み合い入場制限をしているほどの反響振りで、『手作りの出来立てを味わえるうえに、どれも美味しい』と、そんな噂が人を呼び、あっという間にガーデン内の話題ともなった。噂を耳にしたセルフィはアーヴァインと共に、と言うよりもアーヴァインはセルフィに付いて行きたかっただけなのだが。二人は一緒にその噂の店へと行って来たらしい。正確には二人ではなかったのだが……。

「本当にそれ美味しかったわ!」
「そうやろ~!」

キスティスも一緒に買いに行く予定になっていた。はずが、突然に入った任務のためにパスせざるを得なかった。そんな彼女にセルフィはお土産にと、同じクッキーを渡したのだ。
セルフィは満足そうな笑顔をキスティスに向けてコクコクと何度か頷いていたが、くるりと振り返る。

「ね、はんちょはどうだった?? 美味しかった?」

視線が、黙って仕事を続けていたスコールへと集中する。
スコールは感想も何も無く、短く完結に「ああ」とだけ応え、気まずそうにわずかに眉を寄せると、視線を無理やり端末に流してしまった。

それまで遠目に仲間同士のやり取りを見ていたゼルだったが、ふと何かに気づいた。
キョロキョロと辺りを見渡し、バネが弾むように勢い良く立ち上がると「なんだよっ!!!」と声を張り上げて言葉を発した。
突然の行動に残された四人は何事か?と唖然と見守ることしか出来ない。

「なんだよ! 皆して行ったのか!? スコールまで行ったのに!? 何で俺は誘ってくれねぇんだよっ!!」

四人の視線を浴びたゼルはその場に立ち尽くし、拗ねた子供のように口を尖らせている。どうやら自分が誘われなかったことに不満を抱き、文句を言いたかったらしい。けれど勢いだけで立ち上がってしまったゼルはそれ以上に言いたい事は特にない様子。大地を踏みしめる足元にやたらと冷たい風が通るような気がした。
―――あれだ、皆の視線がただ痛々しい。それって余計に悲しいんだよな。
ゼルは頭を掻きながら再び勢い良くソファーに座り直し、気まずそうに落ち込んでみる。ガックリと垂れていた頭や肩は全身で悲しさを表現しているかのように。だがそれはつかの間の事で、何かを思い付いたと同時に顔を上げるとクルリと首を横に回して、今度はスコールをしげしげと見つめている。

(……なんだ?)

ゼルの妙な行動と視線を受けてスコールは眉間に皺をよせた。
ゼルの事だ、どうせろくでもない一言を言い出すに違いない。と、スコールは心内で呟いた。

「スコール、おまえが並んでまで買いに行くなんて信じられねえ……。並んでまでクッキーを欲しがるなんて……!やっぱりこれ以外の理由はありえねえだろ!うん、だよな。スコールおまえ……よっぽどクッキーが食べたかったんだよなっ!!てか、おまえって甘党だっけ!?」

その突拍子もない発言に、スコールは頬を支えていた手を滑らせそうになってしまった。
加えてゼルは「並んででも食べたい気持ち。パンを愛する俺には、よーく解るぜ!!」 と言い、突き出した親指と共にキラキラした暖かい視線を送っている。

(――ちょっとまってくれ……!)

ある程度の覚悟はしていたが、ここまでとは!

「行きたくて行ったんじゃない!リノアに付き合っただけだ!」
「リノアのか??」
「ああ…」

お前のパンに対する気持ちなんて知るか!今回だってリノアに頼まれなければ行かなかった。
そう付け加えようとしたスコールだったが、やめた。
リノアの為だなんて口にすれば、ここぞ!とばかりに突っ込まれるのは目に見える。しかし時すでに遅く、こう言った類の話が大好きな三人は敏感にその思いをキャッチしており、すでに顔をニヤつかせスコールを見ていた。

「今までのあなたを見ている私達からしたらねぇ~、付き合いでもそんな所に行ったのに驚いたわよ!ま、仮に私達だけだったとしたら来なかったんでしょうけどね」
「本当だよねぇ僕もそう思うよ~。それにしても、あの時の君の不機嫌そうな顔ったらさぁ、本当に可笑しかったよ~!」
「リノアを誘った時にはんちょも連れて来るように言って正解やったねぇ~! 珍しいもん見れたわ~!」

キスティス、アーヴァイン、セルフィに、好いように言われ、スコールの眉間に引き攣るように皺がよる。
やはり……。と、スコールは自分の発した言葉に後悔して不機嫌になる。

「そんな事より、依頼について話していたんじゃないのか!」
「あっ、はんちょ話題を変えたがってる~!」

セルフィの言う通り。図星であった。
だが、これ以上に色々と言われるのはゴメンだと、スコールは凍て付かせるような冷たい瞳でセルフィを睨み、無言の宣戦布告の合図を送ってやった。 スコールに睨まれたセルフィは露骨な作り笑いを浮かべてみる。この人の恐さは共に戦いに身を投じてきたので嫌と言うほど知っていた。勝ち目がない戦いに挑む勇気は無い。それこそゴメンだ。とでも言いたいように大げさに手を叩くと、さっさと依頼の話に切り換えた。

「そっ、そうやった!依頼の話~!ゼル、話をかえんといてよぉ~!」
「おっ!俺のせいか!?」
「もとはゼルがクッキーを取ろうとして始まったんや!……で?キスティス、その依頼はどうなったん!?」

身を乗り出し、さっきまでの話なんて忘れた!とでも言いたげなセルフィのあからさまなその姿に、スコールは軽く溜め息を付くとキスティスに視線を向ける。

「その依頼、まだ引き受けていないんだろ?」
「えっ、ええ、そうよ。……スコール、あなた学園長からこの話聞いていたの?」
「いや、ゼルとアーヴァインが言うように、確かな事がわかっていないままで調査に行くのは危険だ。最近なでも依頼を引き受けている学園長でも、それくらいは考えるだろ?」
「あらスコール、休みが少ない事にだいぶ腹が立っていたみたいね……」

スコールの言葉にキスティスは苦笑すると「ま、その通りだけど」と付け加えて笑った。

「スコールの言う通りよ。今回の件で感染経路をSeeDに調べて欲しいと依頼が入ったの。依頼者だって自国の人間を使って被害を増やしたくないと考えたのね、当然の事だと思うわ。だけど、学園側としても被害者を出す訳には行かない。と言う訳で、学園長が危険と判断して断ったってわけ」
「それやったら、キスティが今も調べてとるのはどうしてなん?」
「依頼要求が一箇所だけに留まらなくなったからよ。政府以外にもSeeD要求をした事の無い小さな村まで。これ以上、状況が悪化してしまう前に、SeeD数人で依頼とは別に調査をする事にしたのよ」

キスティスがその資料を集め詳しい話を知っている事からしても、言わずとしてその数人のSeeDに選ばれた一人だと推測出来る。同時にそれは、危険が及ぶかもしれない任務に彼女が就いてしまったのだと思い知らされる事実でもあった。
だが、誰も何も言う事は出来ない。SeeDにとって命令は絶対であり、それはSeeDで有り続ける限り避ける事の出来ない現実だから。受け止める。誰の為でもなく、自分達の意思で受け止めるしかない。

「危険が及ばない範囲で調査するつもりだから大丈夫よ」

キスティスは彼女独特の微笑を仲間に見せる。
その時、司令室に館内放送を知らせるアナウンスが高く響いた。

――SeeD司令官スコール・レオンハート、至急学園長室まで来て下さい。――

スコールは一つ溜め息を付くと端末を閉じて憂鬱そうに立ち上がり、ふと向けられている視線に顔を上げた。

「いってらっしゃい、はんちょ~!」
「まったく君はいつも大変だね~」
「スコール頑張れよっ!」
「いってらっしゃい、司令官殿」

声を掛ける四人の笑顔に視線だけで返事をし、スコールは扉に向かって足早に歩き出す。

「キスティス」

ドアノブに手を掛けたスコールが振り向きキスティスの名を呼ぶと、キスティスは顔に掛かった前髪を片手で押さえながら振り返った。

「……いや、何でもない。……気をつけろよ」

少しの沈黙の後、首を軽く横に振り一言だけ言い残したスコールは、それ以上に語る事なく部屋を後にする。
カチリと扉の閉まる音。それを合図にその場に残された四人は一斉に顔を見渡し、物言いたげなお互いの表情を読み取った。

「ねぇ今、スコールったら私の事を心配してくれたのかしら?」
「聞き間違えじゃ……ねぇよなぁ?」
「彼もさ、気の利いた事が言えるようになったんだよ~」
「最近のはんちょ、なんかええ感じやんか!」

SeeDであれば危険な任務に付くのは当たり前の事。それでも無事であってほしいと祈りを言葉に託した彼は、仲間を大切に思い、必ずここに帰って来ると信頼している証。
もちろん四人も同じ気持ちを抱き、想いは通じ合っている。けれど、あの無愛想な彼から改めて言葉として言われてしまうと、どうしても嬉しさが込み上げてしまう。


「まー、こんな風に素直に言葉にしてくれるようになったのも、リノアの存在なしには考えられないわね」

キスティスの言葉にその場に居た全員が笑い声を上げた。