2.交わした約束

「失礼します」

ノックの後、扉の奥から聞こえた返事を合図に部屋の扉を開く。

「お呼びですか。学園長」
「ああ、スコール、急に呼び出してしまってすみませんね」
「……いえ」

部屋の奥を一面に覆う窓ガラス。その側に設けられたデスクの椅子に腰を掛け、いつもと変わらない穏やかな表情で視線を送るシド学園長は、椅子から立ち上がるとクリップで留めた一冊の資料を手に取りスコールのもとへと歩み寄り、それに合わせスコールは部屋の奥に足を進めた。

「さっそくで申し訳ないのですが、君には明日から新しい任務に就いて貰おうと思いましてね」

言葉通り、申し訳なさそうに苦い笑いを浮かべているシドは、手にしていた資料をスコールの前に差し出すと「いつも申し訳ありませんね」と付け足し、片手を後ろ頭に回してばつが悪そうに微笑んだ。学園長が差し出す資料を受け取ったスコールは用紙に視線を這わせると小さく頷くだけで、それに答えた。

「今回の任務は、とある村を調べて来てほしいのです」
「村……ですか…?」

資料から顔を上げシド学園長に視線を移すと、シドは先程にも増す笑顔でひとつ頷く。

「2週間ほど前になるそうです。ある村で住人の全てが忽然と消えてしまった事件が起きたようなのですよ。場所はトラビアのホークウィンド平原北部。原因が全くわからず手を焼いているようでしてね……つい先程トラビアの軍部よりSeeD要求がきたところなんです。今回SeeDには現地の調査部隊と合流してもらい、サポート役として村で何が起きたのかを調べて来てもらおうと思いまして」
「村の人間が消えた……?そんな事があるんですか?」

それも忽然とだ。今までに聞いた事もないような出来事にスコールが疑問を感じて考え込んでいると、ふと左肩に圧し掛かった重みにスコールは慌てて顔を上げた。左の肩には、いつのまにか学園長の手が添えられており、目が合うと相変らずの穏やかさを浮かべたまま彼はそっと手を下ろし、そのまま背を向け窓の側まで歩み寄る。窓の外に流れている雲を見つめ、ゆっくりとした口調で再び話し始めた。

「期間は一週間を予定していますが、この辺りは普段から人の出入りが少ないようですからね……情報も少なく難しい任務になるでしょう。ですからSeeDには情報が集まり次第帰還してもらう事にしました。今回はSeeD二名で行って来てもらおうと考えています。パートナーはまだ決めていないので詳細は当日と言う事で。明日1500時に正門前に集合です。まだ時間はありますからね、ゆっくり体を休めておいて下さいね」
「……了解」

「それから、スコール」

学園長に敬礼をし、立ち去ろうとする所を引き止められる。黙って視線を向けたスコールはシドの言葉を待った。

「君は何事にも深く考え過ぎてしまう所がありますね、それは良い事でもあり悪い事でもありますよ」

シドはにっこりと微笑みを見せると「気を付けて行って来なさい」と付け加える。

もう一度敬礼をし、スコールは踵を返した。




*  *  *  *  *




ガーデンの廊下を早足に進む。
何故だか落ち着かない気分だった。理由はわからないが何かが始まろうとしているような、それはけして良い前触れでは無いと心のどこかが騒ぎ立てている。
漠然とした不安にイラつき、自然と眉間に皺を寄せてしまう。何か考え込んでしまう時の癖だ。

そんな癖を見付けると、笑顔を向けて指摘する存在が居る。
自分にとって何よりも大切で安らぎを教えてくれた掛替えの無い存在――。彼女の事を想うと今までの不快な気分が晴れる気にさえなる。同時に、たった一人の存在で意図も簡単に気持ちが左右してしまうのかと呆れてしまった。

「以前の自分からは考えられないな…」

溜め息を付きながらポツリと言葉が零れていた。

今居る場所を確かめようと、落としていた視線を上げて辺りを見渡すと、ひとつの案内板が目に入る。
図書室。
透明アクリル製の電光掲示板に配列された電球が表示する、そのそっけない三文字を目の前にしてスコールは足を止めたまましばし考えた。
結局、奥へと続く渡り廊下へ導かれるように足を向ける事にした。


入り口のアーチを潜ると独特の香りが鼻をかすめる。古びた紙の香りだ。その何処となく懐かしさを思い出させる香りと、高く聳える書棚の間を抜け奥へと進むと、予想通り。きっと居るのではないかと想像した人物の姿を捉えた。
椅子に腰を掛け真剣に本を読み耽けている黒髪をした少女の後姿。

「リノア…」

真剣に本の世界に没頭していた為に声を掛ける事に気が咎められたが、その余りにも集中している姿は、ここに存在しているのに心は何処か遠い別の場所にあって、このままリノアが目の前の壁の中に吸い込まれて消えてしまうのではないかと錯覚さえ生み出してしまいそうだった。堪らなくなった気持ちは先走り、思わず声を掛けずには居られなかった。

「スコール?」

顔を確かめる前に声を掛けたのが誰であるのかを判断したのか、名前を口にしながら振り返った少女と視線が合う。愛らしい花が咲いたような満面の笑みを見せるリノアの顔を確認すると、先程感じた不安は徐々に消え去り、向けられている笑顔に甘い気持ちさえ覚えた。

「お疲れ様!仕事は?終わったの?」
「あぁ…一区切りはついている」
「そっか!」

リノアはニコニコしながら上目遣いにじっと見上げていたが、ふと何かに気が付いたように一つ隣の席から椅子を引き出すと「座る?」と首を傾げながら聞いた。
彼女の親切を素直に受け取ったスコールはリノアの隣に腰を掛ける事にした。

「ずっとここに居たのか?」
「うーん…午前中はイデアさんの所に居て、ここに来てからはまだそんなに経ってないかな?」
「そうか…」
「今日ね、イデアさんにスコール達の小さかった頃の話を聞いちゃったんだぁー!」
「俺達の…?」
「そう!孤児院でどんな風に育ったかとか、セルフィの悪戯の話とか!」

聞いた話を思い出したのか、リノアはクスクスと笑だす。

リノアの楽しそうな笑顔を見ていると、自然と表情が柔らかくなっている事に気付く時がある。
向けられる笑顔はどんな時でも明るく暖かいものであり、見ている者に穏やかな気持ちを与えてくれる。時にそれは彼女が背負ってしまった過酷な運命すら忘れさせる程で、どこにそのような力を秘めているのだろうかと不思議に思うことすらあった。そしてこの笑顔に何度も救われた事を、彼女は果たして気付いているのだろうかと疑問に感じてしまう。けれど、その想いを悟られてしまうのは何処か気恥ずかしく、視線を逃がして目線を外すと、机の上に置かれている一冊の本が目に入った。
先ほどまでリノアが読んでいた本だろう。本のタイトル、それを目にして少なからず心が揺れる。

リノアが手にしていた本。それは、魔女に関する書物だった。

手元に視線を投げていたのに気が付いたのか、不思議そうに首を傾げたリノアは視線を辿るように自分の手元に目を向ける。見詰めていた先がリノアの手ではなく机に置かれたままの本だったのだと気が付くと、リノアは 「…あっ」 と小さな声を洩らした。

時間の流れが通常よりも緩やかに感じられる図書室は口を閉ざしてみると、以外にも雑音が多いのだと気が付かされる。
遠慮がちにざわめく雑音は、まるで、一冊の本を見詰めて黙ってしまった二人の会話を待ち望むかのようにざわついていた。

リノアの瞳がこちらへ戻されるのを感じ、視線を合わせた。
目に前には二つの黒曜石が並んでいる。綺麗に澄んだ漆黒の瞳が二つ、こちらへと向けられていた。


「イデアさんの所に行った時にね、魔女についての話も聞いてみたの…」


明るく振舞うでもなく、かと言って悲しみを含んだとも言えない声色で発せられた言葉に、いつもと変わらない表情を心掛け次にリノアが言わんとしている言葉を待った。
俯いてしまったリノアは一呼吸置くとゆっくりと続ける。

「今までね……この力が恐くて、認めたくなくて……。自分と向き合うのを避けて来たけどね……それじゃ、駄目だ。って思ったの」

顔を上げたリノアの目は少しだけ潤んでいた。だが、真っ直ぐに強い意志を感じさせる強い瞳だった。
出合った頃と変わらない、未来に希望を持つ真っ直ぐで綺麗な瞳がそこには在った。

一年前、アルティミシアとの闘いで魔女の力を継承してしまったリノア。
魔女となってしまったリノアは、その大きな力をコントロールする事が出来なかった。
その為、今までと同じように生活する事は出来なくなり、更に魔女の存在を悪用させない、政治的に利用させないなどの事も考慮し、他国に干渉をしていない中立的存在となるバラムが、リノアの身柄を預かる国として選ばれた。 バラムには魔女戦争に勝利したSeeDが存在し、何よりも、魔女リノアの騎士の存在が大きいと誰もが口にしたのだが、これらは建て前上の理由であり、その言葉の裏には悪の魔女を倒したSeeDに、新たな魔女の監視をさせる。という意味が含まれていた。

けれど、ここでの生活はリノア自身も強く望んだことで、リノアは傍に居て欲しいと望んだ。
リノアが望むように彼女を近くで守ってやりたいと思い、無論そうするつもりであった。

共に過ごす時間。それは二人に安らぎを教えてくれた。

だが、リノアが継承してしまった魔女の力は余りにも大きすぎた。
次第にその力はリノアを苦しめるだけの物となり、耐え切れなくなったリノアは魔女としての自分を拒み、自身と向き合う事さえも辞めようとさえしてしまった。


あれから一年……時間は待ってくれる事なく過ぎて行く。
けれど、その時の中で人は考え、行動し、成長する。

リノアも、一年という時間を掛け、自身の恐怖に立ち向かい己の力で歩む事を決めたのだろう。

「頑張ったな」

微笑みながら、リノアの頭に軽く手を置き撫でてやるとリノアは嬉しそうに肩を竦めた。

目の前の少女はこんなにも華奢で直ぐにでも壊れてしまいそうな体をしているのに、その心は誰よりも大きく強いのだと感じた。そして自分もリノアと同じように成長して行かなければと。

「スコール…でもね、一人じゃこんな風に頑張れなかったと思う。皆が居てくれたから……。スコールが支えてくれたからだよ!」

「俺は……何もしていない……」

護りたい、支えになりたいと思っていても、絶え間なく入るSeeDとしての任務。
一緒に過ごせない時間はリノアを不安にさせ悲しませる。
それでも、リノアはいつだって笑顔を見せてくれた。

何もしてやってなんかいない……。

貰ってばかりいるのは…支えられているのは俺の方だ――

眉間をツンと小突かれる。僅かに感じた衝撃に驚き、伏せていた視線を上げると、リノアが唇を尖らせていた。
怒ったような難しい表情を作ってみせたリノアは、尖らせた唇から小さな笑いを吹き零すと肩を揺らして笑う。

「ほら!またぁ~!」

いつもの癖で眉根を寄せていたらしく、リノアは指先で触れてそれを指摘しているらしい。触れていた指先を離したリノアは自身の眉根に指を運び、顰めた表情を作って真似て見せ「ねっ?」と小首を傾げて笑顔を向けている。

リノアは相変らず微笑んでいる。

「悪かったな」

リノアの調子に合わせて言葉を返すと、声を出して笑うリノアにつられ二人で笑い合った。
お互いの笑が止まると、再びどちらとも口を開くことなく静かな時だけが流れる。けれど、それはけして苦痛な時間ではなくむしろ心地よい、優しい沈黙だった。
彼女の手が伸び、膝の上に置かれていた左手の甲へと触れた。両手で包み込むようにして持ち上げられると、存在を確かめるかのように優しく、少しだけ強く握られた。

「……スコール……」

自分の手を握るその小さな存在から視線を上げると、今にも泣き出してしまいそうなリノアの瞳が映る。

「きっと……傍に居て……何があっても。ずっと一緒に……」

もう一度、自分の手を握る小さな存在を見つめ、空いていた片手をその上から重ね握り返し、そして誓った。

悲し思いはさせない…必ず護り抜こうと。心に強く誓う。




「あぁ…これからも、ずっと一緒だ」