
3.白い世界
一面の白い世界。
小さな結晶が銀色の光を輝かせて舞い落ちる。
この地に住む者達には日々の事であって気にも留めないのだろうが、見慣れない者にはその幻想的な世界は珍しく、心を奪われる。
真っ白な空間に何もかもが吸い込まれ、この世界には自分一人しか存在しないような、そんな錯覚すら覚えそうになる。
トラビアへ着いたのは数時間前。
現地の調査班と合流した後、目的地付近までの道程を用意された車で向っていた。
スコールは窓の外に映る純白の世界を、ただ眺めていた。
* * * * *
「次はどのくらいで帰って来れるの?」
先程からスコールのベッドで横になって小説を読んでいたリノアは、顔の前に広げている本を目線まで下げると、その淵からスコールの背中を覗き見るようにして声を掛けた。
床に直接腰を下ろし、リノアに背を向ける形でガンブレードの手入れをしていたスコールは振り向いてリノアを見る。
「……一週間を予定しているが、状況によってはもう少し掛かるかもしれない」
視線を逸らし、殆ど分からない程度ではあったが苦しげに表情を歪めて答えたスコールに、リノアの表情が曇った。
「そっか、また……しばらく会えないね」
「早めに切り上げる事が出来ればな……もう少し短い期間で戻れるとは思うが」
「うん、でも無理はしないでね」
リノアは手にしていた本をパタンと閉じると上体を勢いよく起こしてベッドに座り直し、スコールの背中にしがみ付くように腕を回して、彼の背中にぴったりと額をつける。突然のその様子に、スコールはリノアの名を呼びながら身体ごと振り向こうとしたのだが、リノアは回している腕にぎゅっと力を込めると、それを遮った。
スコールに表情を見られたくなかった。
きっと今の自分は泣き出してしまいそうな顔をしている。そんな顔を見たらスコールは絶対に心配をして表情を曇らせてしまう。そう感じたリノアは、顔を見られる事のない姿勢を自ら作ってしまった。
目の前の恋人に早く帰って来て欲しいと願えば、きっと早く仕事を終わらせて帰ってくるであろう事をリノアは知っていた。行かないでと言えば自分の為に全てを捨てる事さえもしてしまうかもしれない。
行かないで欲しい、一人で居るのが恐い。
溢れ出してしまいそうになるこの気持ちを伝えられれば、どれほど楽になれるだろうか。
けれど、その思いは我侭であり必ずスコールを困らせる。だから、その言葉だけは決して口にはしたくなかった。
「リノア……すまない……」
スコールの声に、もたれ掛けていた頭をゆっくりと持ち上げたリノアは、首を横に振った。
「誤らないで、お仕事だもん。仕方ないよ」
誤らないで欲しい。
そんなふうに言われてしまったら、自分の気持ちを押さえられなくなる。きっと口にしてしまう。
リノアは笑顔を作ろうと努力をしてみたが、結局うまく表情を作ることが出来ず、顔を歪めると俯いてしまった。
―――ぶさいく。
自分自身に吐き付ける。きっと今の自分は顔も心も歪んでいる。
本当はこんな自分が嫌でたまらなかった。スコールの前では笑っていたい。
それがリノアの願いだったから。
スコールはガンブレードを床に置いてベッドへ移ると、リノアの横に腰を下ろし、目の前の細い体をそっと抱きしめた。
傍に居られない悲しみはスコールも同じ。どうすれば良いのかと常に自分自身に問い掛けてきた。
いったい俺は彼女の何を護ってやれるのだろうか?
リノアには幸せであって欲しい。それなのに彼女の笑顔すら護る事ができない、そんな無力感にいつだって苛まれる。
SeeDのトップに立つスコールはその仕事量も人並み以上、それ故にガーデンに居る事の方が珍しい。
つまりそれは、リノアが望む時に望むようにしてやる事が出来ない。望みが何であるのか聞く事すら出来ないという現実だった。そんな自分自身をスコールは許せないと感じていた。
「スコール、その代わり約束して?…………帰って来たらお買い物に付き合ってくれるって」
腕の中にいたリノアはスコールの背中に腕を回しながら唐突に聞いた。
体にピッタリと顔をくっ付けている為、腕の中に居るリノアの表情をスコールが伺い知る事は出来ない。けれど、スコールにはその表情が悪戯っぽく笑っているように思えた。
違う、悲しい表情で有って欲しくないという……願いだったのかもしれない。
リノアが笑顔で居てくれるなら、その為なら何だってしてやりたい。
スコールは腕の中に居るリノアの両肩に手を当てると、瞳を見つめようとそっと引き離した。
「了解」
「スコールとのお買い物は久しぶりだね!」
笑顔を見せたリノアが覗き込むように見上げると、スコールはその白い頬を撫で、ゆっくりと唇を重ねた。
* * * * *
「まもなく目的地付近に到着します」
車を運転している調査員の声にスコールは顔を向けた。
いつからか、目の前に広がる白い世界に気を取られてしまい、違う場所へと思いを馳せてしまっていた。
「これより先ですが、車での移動が困難なので一度近くの村に立ち寄った後、徒歩で目的地まで向いたいと思います。申し訳ありません」
運転席の男が、顔を前方に向けたまま体だけを少しこちらに向けて言うと、スコールは簡単な言葉を返してそれに答える。再び窓の景色に目を向けようとしたスコールは、ふと隣に居るはずの人物を思い出した。
そもそも、存在を思い出す行為自体が不自然だった。
何故なら、その人物は普段から周りを和ませるような明るさを持ち活動的、と言うよりは……五月蠅いくらいで、もう少し落ちついて欲しいとさえ思わせる人物だから。
その人物の存在を忘れるとは……
疑問を抱いて振り向くと、その者は先ほどまでのスコールと同様に、窓の外に見える白い世界へと視線を注いでいた。
「ゼル」
呼び掛けると、ゼルはのろのろと振り返り目を向ける。
常に素早い動きの彼にしては、随分と鈍い反応で振り返える。いつもとは違う珍しい姿にスコールは多少なりとも違和感を覚えた。
「あ……わりぃ。もう着くんだよな?」
「ああ」
眠っていた訳ではなさそううだが、どこか虚ろで憂鬱さを感じさせるゼルの表情。
思えば朝からあまり元気がなかったと、今更ながら思い出した。その時は眠いのかと思い気に留めていなかったのだが、今の彼が見せる表情は明らかに普段の彼とは異なる姿だった。
スコールは続けて言葉を発そうとしたが、それよりも早くゼルが話し出した為にそのまま聞く事にした。
「雪ってよ……子供の頃は珍しくて大好きだったんだけどさ、こうやって見てると、何だか恐くならないか?どっちを見ても真っ白で何も無くて。今居る世界は何もかもが自分の作り上げた幻で、本当は自分以外の存在なんて何も無いんじゃないかって思っちまう……」
先ほどから普段とは異なった様子を見せていたゼルだが、話す内容までもがいつもの彼らしくない。
あまりの変化に熱でも有るのではないかとスコールは思ったが、ゼルの表情は真剣そのもので、単に自分の気持ちを正直に話しているだけなのかと思い直す。
それに、ゼルが口にした言葉はスコールも同じように感じていた事であり、その想いに共感することが出来た。
スコールが見つめる視線の先には雪景色が広がっている。
白以外の色彩を一切含まず、一点の汚れもないまま広がる雪の絨毯。それは見惚れるほど美しい風景だった。
けれど、ゼルが言うようにどこか恐ろしさを感じさせるのも確かだった。
理由はわかっている。それが、実に単純で、馬鹿らしい理由だという事も。
――――孤独。
脳裡に浮かんだ二文字。
ぼんやりとした光を放つ白い世界に、"白″以外の色彩は存在していない。
その光景はまるで、それ以外の色が混在する事を強く拒んでいるかのようにさえ見える。
他色と混ざり合うことを拒むこの世界には孤独の二文字が相応し、その孤独感は目にしている者にまでも伝染するようであった。
何もない、何も存在しない。
何処までも続く真っ白な光景を目にしていると、ゼルが言うように全ては幻で、大切な存在も守りたいものも己が作り上げた幻影なのだと疑いそうになってしまう。
孤独感に苛まれる。
そのような表現がよく似合った。
だがそこで、ふと別の考えが浮かぶ。それは以前までの自分。
一年前の自分は、同じ景色を前にして、今のような気持ちを抱いたであろうか?誰をも拒んでいたあの頃の自分。他人と混ざり合うことを拒んでいたあの頃。
以前までの自分であれば、むしろこの雪景色のように、自ら孤独を選び孤独の世界で生きようとしていたはずだ。
ぼんやりした光を放つ白い世界。幻のような空白の、誰も存在しない孤独という白い世界に
たった独りで生きていた――――。
けれど、今は違う。もう、あの頃のような孤独はない。
振り返ればいつだって誰かが居た。目が合えば笑い掛け、迷えばそっと背中を押してくれる仲間がいる。
過去の俺は振り返ろうとしていなかっただけだ。
誰かを失う事に恐怖を感じ、一人で生きようとする事で、その恐怖に目を背けていた。
孤独の殻に閉じこもり、世界の全てに目を背けている。それだけだった。
スコールはゆっくりとゼルに視線を戻す。
「何もないこの景色を見ていると自分が独りきりのような孤独感を感じる。だが不安に思うことはない。俺達は現実に存在し、いつだって誰かが側にいるんだ。そのことさえ見失わなければ……独りきりになってしまう事などない」
自分にも言い聞かせるような言い方でスコールがポツリと言うと、ゼルは照れ笑いを浮かべて歯を覗かせた。
スコールが気持ちに共感してくれたのだとわかり、それがゼルには嬉しかった。昔は握手すら拒まれたのに、今は認めてもらっているのだと感じて気持ちが浮き立つ。
ゼルは俯いて自分の掌を眺める。
眺めていた手は彼が顔を上げたと同時にぐっと力を込めて握られ、先ほどまでの真剣な表情へと戻ったゼルは、「昨日の夜、バラムの家に帰ったんだけど…」と、話し始めた。
バラムの家とはゼルの実家で、ゼルの両親が住んでいた。
子供の頃の記憶を取り戻し、実の親だと思っていた人物が血の繋がりの無い里親だったと知った後でも、この親子関係が変わることはなかった。それは、ゼル自身も。
ガーデンと実家が近い彼は、時間の有る時にはバラムの家に帰る事が多かった。
昨日もいつものように帰っていたのだろう。
「母さんの様子がいつもと違ってさ……。最初はあんまり気にしてなかったんだけど、何か変なんだよ……」
ゼルの唐突な言葉に意味を理解する事が出来ないスコールは眉根に皺を寄せる。
スコールのその様子に苦笑を浮かべたゼルは、躊躇うように唇を噛むと俯いてしまった。その横顔は、今までに見たことが無いほどの不安で被われていた。
一体何が有ったというのだろうか。
スコールは、ゼルが話したくないのなら無理に聞く必要もないと思った。だが、ゼルは話し出せないだけのようにも見えた。
―――切欠が欲しいのか。
誰かに話を聞いてもらいたくても、話し出す切欠が足りない時が有る。だがこういった時の話は大抵が不満や不安といった類である場合が多い。
スコールが思うと、それと重なるようにして昔リノアに言われた言葉が脳裏に走った。
言葉が欲しいだけなのだと、強い眼差しを向けて言ったリノアの言葉が。
何か気の利いた言葉を言えるとは思わない。だが、話を聞くだけなら出来るだろうか?今のゼルがそれを望んでいるならそうしてやりたいと素直に思えた。
「具体的にはどう変なんだ?」
ゼルはスコールの声に反応して顔を向けたが、考え込むように一度俯くと再び窓の外へと視線を投げてしまう。
まるで、何かを思い出す手順を踏むかのように白い世界を見つめるゼルは、幾らかの間を置いてから、やっとその口を開いた。
「きのう、母さんの元気が無いように感じてよ、最初は疲れてるだけかと思ってたんだ。けどずっとそんな調子だったからよ、何かあったのかって聞いてみたんだよ。そしたら母さん、急に……泣き出しちまって。それで……俺が本当の息子じゃないから、自分は本当の母親じゃないから、いつか離れて行くんだって、言うんだ。
俺達、本当の親子じゃなかっただろ?でも俺はそんなの関係ないって思ってた。血の繋がりなんて無くても、俺にとっての母さんは母さん一人だけだし、離れるなんて考えてもいない。……なのにさ、何であんな事言ったんだろうな?」
関係ないんだ。と、膝の上の拳に先ほどよりも力を込めて握り、そう繰り返したゼルの表情は、悲しさとも悔しさとも取れるような歪んだ表情だった。
その話は、あまりにも唐突すぎた為に、理解するまで時間を要した。
スコールはゼルの母親を思い出す。数えるほどしか会った事はないが、明るくおおらかなその人は、ゼルの事を大切に想っている"母親"の姿をしていた。
その人が何故そのような言葉を口にしたのだろうか。
疑問は導かれるようにして、ある、一つの答えを生み出した。
大切だからこそ失う時の恐怖。
ゼルの母親は血の繋がりの無い事実を知られた事によって、何処かでその不安を抱いていたのではないだろうか。
もしそうであるのだとしたら…
「その気持ちを伝えてやればいい。ゼルが血の繋がりを関係無いと思っているのなら、そう伝えてやればいい」
スコールが言うと、ゼルは首を強く横に振る。
「恐いんだ……。血なんて関係ない。けど、そう思われてたのかと思ったら……俺、何も言えなかったんだ」
ゼルが言い終えると同時に突然、車輛が走行を停め、二人は前方に倒れそうになった体を近くにあった手摺へと腕を伸ばして支えた。
慌てて運転席から男が振り返り、二人に声を掛ける。
「申し訳ありません!少しだけ待って頂いてもよろしいでしょうか?」
運転をしていた男は言い終えたと同時に車から跳び降りると、前方へと走って行く、どうやら外に誰かが居るらしい。
スコールが窓に顔を寄せて外の様子を伺うと、車から出て行った男と別に、三人の姿がそこにあった。同じ調査員だろうか?深刻そうに話をしている様子からして、何か異変が起きことに間違えはなさそうだった。
話を終えると男は再び走りながらこちらへと向ってくる。足が雪に取られ走りづらそうな姿だった。
「申し訳ありません。目的地の前に立ち寄るはずだった村なのですが……こちらには寄らず、今より直接向いたいと思います」
急いで向うような動きでもあったのだろうかと思いスコールが聞くと、男は言葉を詰まらせて目を泳がせる。
伝えるべきかの選択を迷っているかの素振りを一度見せると、奥歯に物が挟まったような言い方で口を開く。
「いえ……あの……最近、伝染病が広がっている事をご存知でしょうか?」
「伝染病……てあれか?キスティスが言ってた……」
ゼルがそう言いながらスコールの顔を見ると、スコールは黙って頷いた。
「知っていますが、その事で何か問題でも?」
「やはりご存知ですか……。実はその伝染病ですが、現在トラビアでの被害が一番多く、今から立ち寄るはずだった村でも感染者が出てしまったようなのです。……この辺りにはまだ被害は出ていなかったのですが……。今の状態で村に立ち寄るのは危険です。その為、このまま徒歩で目的地まで向かう事になりました。申し訳ありません。」
丁寧に頭を下げる男は顔を上げると、「日が暮れない内に向かいましょう」と明るく言い、素早く荷物を纏めて車を降りる準備を始めた。
世界に何かが起き始めようとしているのだろうか?スコールは以前にも感じていた言い知れぬ胸騒ぎを思い出す。
「どういう事……」
口を開こうとしたゼルをスコールが止める。
スコール自身もこの話を詳しく知りたいと思っていた。けれど今回の要求に関する事柄ではない。
SeeDは受けた依頼のみを確実にこなす。その為、依頼に関係無い事であれば、それ以上深入りする事は出来ない。
それに……いずれはこの件に関して自分達も動かなければならない時が来るだろう。漠然とではあったが予感がしていた。すでにキスティス達が動いている。まずは自分のするべき事を終わらせなければ、全てはそれからだ。
スコールが目で合図を送るとゼルも頷く。
あの時よりも心が騒ぎ立つのを感じていた。