
4.残された場所
目的地は山の中腹部にあった為、険しい山道を登りながら向かう事となった。
麓で待っていた他の調査班やガイドと合流し、山を登り始めたのはどのくらい前だっただろうか。
いつのまにか、降り出した雪はその勢いを増し始めていた。
轟々と耳元を殴り過ぎて行く風の音だけが辺りに響く。斜めに吹き付ける雪は氷の刃となって肌の露出した部分を容赦なく叩きつける。唯でさえ歩きにくい山道、その上滑り易い足場だと言うのに。雪は甘ずる事を許さず吹き付ける。スコールは寒さに肩をすくめながら前方を見遣るが、目の前の雪が邪魔をして視界が悪い。先へと続く道を遮り、向おうとする者を拒むような雪だった。こんな辺鄙な地によく人が住んでいたものだと感心してしまう。
「着きました!あちらです!」
車輛を運転していた男は声を張り上げるように言った。そうでもしなければ声が雪に掻き消されてしまいそうだったからだ。雪の勢いは相変らず激しく、風も激しくなっていた。
悪天候の為に、テントを張り吹雪を凌ぐかとの話も出たのだが、今日中に登ってしまう事が決定した為に誰もが疲労を押し殺して目的の場所までひたすら歩くことになった。
到着を知らせる声は、その場の空気に安堵の色を交える。それはスコールとゼルにとっても例外ではなく、やっと目的地に辿り着いたのだと知ると、二人は胸を撫で下ろした。普段から厳しい任務をこなし常に鍛えているSeeDではあるのだが、正直この状況には厳しいものが有った。
「俺、途中で遭難でもしてんじゃないのかって思っちまったよ……」
苦笑しながら言うゼルの表情には濃い疲労の色が浮かんでいた。だが冗談交じりで言えるくらいだ。まだそれなりの余裕は残っているのだろう。しかし、遭難していてもおかしくない状態であったのは、冗談でも何でもない事実。
スコールはゼルの言葉に頷きながら周りを見わたし、この吹雪の中で無事にたどり着けたのは、奇跡としか言いようがないと思った。
巡らせていた視線を前方に戻すと、少し先にユラユラと揺れ動く火明りらしき赤い輝きが、闇の中で風に煽られ不安定な輝きを何とか留めながら薄っすらと灯っているように見えた。
いつからか山頂を目指す事だけに気を取られていだが、気が付けば辺りは薄い闇に包まれており夜をむかえようとしていた。
雪の舞う黒い空を見上げ、スコールはバラムにいるリノアを思い出す。
トラビアとバラムとでは時間のずれが有る。向こうはもう夜中だろう。
「先に行くぜっ!」
ザクザクと雪を踏みつけゼルが走り出だす。スコールを追い抜き、急斜面を勢い良く走り出すその姿を見て、よく走る気になれるものだとスコールは呆気に取られてしまった。さすがにゼルのように走る気にはなれないスコールは、先ほどまでのペースを保ちながら後に続こうと、重い足を一歩前へ踏み込んだ。その時。
目の端に何かが映り込んだ。
立ち止まり視線を向ける。
森、と言うには規模は小さいが、樹木が不揃いに立ち並ぶそこは森の姿をしていた。重なり合った枝の隙間からは飲み込むような闇が顔を窺い見せている。
深く暗い闇、その奥で何かが瞳をこちらに向け視線を送っているかのように見えた。
だが、振り向き視界に捉えたのは、重なり合う樹木と闇。生物などの姿は疎か、気配もない。
周りに居た者達も何かに気付いた様子は無く、先ほどまでと同じように山頂を目指して歩いている。
気のせいだろうか……。
スコールはしばし足を止めたままその方向に目を凝らしたが、いつまで待っていてもこれと言って得るものが無さそうだと踏むと、疑念を残したままではあったが歩き出す事にした。
村の入口付近まで辿り着くと、入口から続く道を隔てるように左右に大きな松明立てがあった。松明には火が灯されており、風に煽られパチパチと激しい音を鳴らしながら燃えている。先程、遠目に見えていた赤い輝きはこの火明りだったらしい。暗闇の中に浮かび上がるたった二つだけの明かりは、火特有の心地良さを完全に失い、異色すら放って見える。
その明りの真下に、先に行ったはずのゼルが立ち尽くして村の奥を凝視していた。
傍まで近付いてゼルの横に立ったスコールは、ゼルが向ける視線の先と同じように前方に広がる闇を見る。
―――残された村。
目を向けたその先は、何処までも続く闇の世界だった。
人が居ないのだからその姿はあたり前なのだが、異様な光景に良い感情を持つことは出来ない。
異様だと思ったのは、それだけではない。
暗さで奥までは分からないが、火の灯りを受けぼんやりと浮かび上がる民家の外壁には、いくつもの染みのような物が見えている。それは点々と混在するのではなくべったりと、ペンキの缶でも投げ付けたのではないかと思わせる程の濃い染みだった。
「こんな場所で申し訳ありません……」
暗闇の中から片手にライトを持った運転手の男が現れ、遠慮がちに声を掛けた。
「奥にミーティング用の家が用意されていますので今日はそちらで休みましょう。ストーブにも火を点けてきましたので」
そう言い男が向けたライトは、闇の中に一筋の光をまっすぐに走らせ村の奥へと続く道を作る。その光の道だけを頼りに、その場に居た全員は闇の中へと足を踏み入れた。
左右に挟まれた中央通りを男に案内されるまま進む途中、何件かの民家を通り過ぎたのだが、異様な光景はどうやら表に見えていた家だけではなさそうだった。
ここで何かがあったのは確実。だが一体、誰が何の目的でこのような事をしたのだろうか……。
スコール達が案内された場所は村の住人が使っていたと思われる家だった。
しかしこの家だけは唯一、他とは違い異様な雰囲気を漂わせることはなく、通常の姿を留めている。
推測に過ぎないが、今回の被害を間逃れたのであろう。
部屋の中に通されるとふわりと暖かい空気が出迎えた。
室内の隅に置かれた薪ストーブが、耐熱ガラス製の蓋の奥に赤い炎を躍らせている。
炎の熱によって暖められた空気が寒さで凍りついていた体を柔らかく包み込むと、じわじわと忘れていた体温を蘇らせる。それは久しぶりに感じた安らぎで、そこに居た誰もがほっと胸を撫で下ろす瞬間でもあった。
家屋は丸太を井桁状にくみ上げた二階建ての建物で、階段部分と二階の部屋につながる廊下が吹き抜け状態になるよう設計された家だった。入り口から見て目の前の壁に沿った左側は、二階へと続く階段が真っ直ぐに伸び、右側が吹き抜けの下部にあたり奥のキッチンから真っ直ぐこちらへ向かって繋がっている。そこには大人数でも使用が可能なテーブルと椅子が配置され、手前には薪ストーブを囲むようにソファーが並べられている。個人用として使われていた家なのだろう。だが以外にも広々としたこの空間は正にミーティングに最適だと思わせた。
「皆さんお疲れ様です!本日は突然の予定変更の為にご迷惑をお掛けしました。皆さんお疲れだと思いますので今日はゆっくり休んで、明日から作業を開始しましょう」
その言葉を合図にスコールとゼル以外の者達がぞろぞろと個々の部屋へと散って行き姿を消した。様子を見届け終えた男はこちらへ振り向くと近くまで歩み寄り、二人に対して声を掛けた。
「お疲れ様でした。お二人の部屋も用意してありますので、と言っても狭いので共有で使って頂く事になってしまいますが……二階になりますので、どうぞこちらです」
「あの、それよりここの状況って……」
口を開いたのはゼルだった。
男は振り返ると少しの間を置き、そして柔らかい表情を見せる。
「今日はお疲れでしょう。また明日にしませんか?」
明日になればわかる。とでも言いたいのだろうか。男はそれ以上に何かを語ることも無く黙って背を向け階段を上り、用意してあった部屋まで案内するとそのまま立ち去った。
スコールとゼルは部屋の中へと足を進める。
向かって奥の壁、真正面の位置に大きな窓が腰の辺りから一枚だけ建てられている。両壁には一つずつベッドが並べられ、チェストや本棚といった家具がきちんと揃えられていた。その姿は、数日前までここに人が住み生活していた事を強く主張するようであった。けれど、それとは反して物音一つ無いこの村という空間。静けさがやたらと耳につく。
スコールが部屋の奥まで進み、建てられた窓から外を覗くと、先ほどから吹雪いていた雪は穏やかさを取り戻したようで静かに降り注いでいた。
この場所は民家から少し離れた所に有るらしく、窓からは村全体の造りを把握することが出来る。暗闇の中にひっそりと建つ家並みと、中央通りのその奥に、入り口で見た火明りが赤くチラついて見えている。
先ほど火明かりに照らされ見えたあの染み。
暗さと時間による変色も影響しているようで、はっきりとは断定できないが、恐らく血だろう。
それが村人の物であるのかは定かではないが、血と思しき染みはあの家の一箇所に限って見られたわけではない。別の家にも見られた。それは、まるで何者かに襲われたかのような姿。村全体が何かに襲われたのだろうか?しかし、この家に関しては襲われた形跡などは見当たらない。そして、やはり人らしい存在は気配すら無い。逃げた可能性も考えられるが、この村に住んでいた者を見掛けたという報告は出ていないと言う。
忽然と消えてしまったのだ。
スコールは溜め息を付くと、窓辺に置かれていた写真立てに気付き手に取った。
そこには若い男女の姿が写っている。写真の中の人物は、まだ幼さの残るあどけない表情を浮かべているが、二人は夫婦のようであった。女性の腕には三・四歳の小さな女の子が抱きかかえられ、母子共に幸せそうに微笑んでいる。母親と思しき人物は長い黒髪を胸の辺りで切り揃え、美しい微笑をその口に象っている、何処かリノアを思い出させる女性だった。
その女性の肩に腕を回し、自信に満ち溢れた微笑を浮かべている青年は、子供の父親であり、女性の夫なのだろう。
暖かい家庭とはこの事をいうのだろうか。幼い頃から両親の居ない自分には解らないが、今は……リノアと出合った今ならわかるような気がした。
「ここ、気味悪いよな……」
いつの間にかゼルはベッドに横になり、頭の後ろで両手を組むと、考えるように天上を仰ぎながら言った。
スコールは手にしていた写真立てを元の場所に戻すと、ゼルの向かい側のベッドに腰を下ろす。座ると体に蓄積されていた疲れがどっと押し寄せ、忘れていた気だるさを思い出させた。
「ああ。そうだな」
「だよな……。毎日こんな場所で生活するのかと思うと気が滅入るな……さっさと終わらせて、早くバラムに帰ろうぜ」
バラムに帰ろうと言ったゼルの言葉に車中で聞いた母親の話を思い出す。
あれから口にこそ出してはいないが、ゼルはずっと気にしていたのではないだろうか?
「そうだな」
スコールはそう言うと、注意深く見なければ分からない程度の柔らかい表情を見せた。
ゼルは上体を起こしてベッドに座り直し、何故か少し照れた笑いを見せながら頭を掻く。
「なあ……スコール……ありがとうなっ!」
唐突に言われたスコールは訳がわからないとでも言いたいような驚いた表情を見せる。
ゼルは「ありがとう」と言った。礼を言われるような事をしただろうか?考えを巡らせるがこれと言って思い当たらない。
スコールが何も言わないでいると、ゼルは不思議そうな表情を見せ、話を続けた。
「ほらっ!今日の昼間!俺の話聞いてくれただろ?なんだかさ、嬉しかったんだ。スコールとこんなふうに話せるようになってよ!昔はお前、誰も近寄らせたくないって感じだったからさ、だから嬉しかった……。仲間なんだって、友達って認めてもらったみたいな気がしてよ!」
ゼルは歯を覗かせる程に満面の笑顔を見せるが、対照的にスコールは何も言わず、ただ驚いていた。
ゼルが自分の気持ちをはっきりと伝えられる強さにも驚かされたのだが、自分と仲間である事が嬉しい。そう言ったゼルの言葉に驚いてしまった。どうしてこんなにも真っ直ぐに信頼できるのだろうか?
スコールが仲間の事を信頼してない訳ではない。他人との係わりを拒絶していたスコールも、アルティミシアとの戦いでその存在の心強さ知り、温かさを教えられた。気が付けば護りたいとすら思えるほど彼等はスコールにとって掛替えのない存在となっていた。
だからと言って相手も同じ考えだとは限らないのではないだろうか。
ゼルの言葉を聞き、認めてもらったのは自分の方なのではないかと、スコールは思った。
ありがとう。
スコールは心の中で伝える。ゼルのように言葉にして伝えるには、恥ずかしさが残ったからだ。
けれど、いつか必ず言葉として伝えようと思った。
ゼルは驚いた表情を浮べていたスコールを見て、今更ながらに自分の言った言葉に恥ずかしさが込み上げていた。
先程から落ち着き無く体を揺らしているゼルは、ただ素直に思った事を口にしただけだ。けれど、こんな言葉を聞いたら誰だって驚くのは無理もなく、しかも相手はあのスコールだ。普段からクールな彼にこんな事を伝えてしまい、呆れられるか馬鹿にされるのではないかと焦りを感じ、込み上げる恥かしさから逃げ出してしまいたい衝動に駆られていた。
ゼルは困惑を表情と共に浮べ、この気まずくなってしまった空気を何とか変えようと慌てて話題を探す。
「そ……っそそそうだ……!オレ何でこの場所が嫌なのかわかった気がするぜ!あ、あれだ!ほら!暗くて静かで……お化けが出そうなんだよ!オレ内緒にしてしてたんだけどよっ!幽霊とかスゲェ苦手で!!だ……だからさ、あれだ!夜トイレに行く時は頼むぜ!!」
とにかく話が変われば何でも良かった。咄嗟に頭に浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまったゼルは言い終わるとハッとしスコールを見る。
スコールは呆気に取られた顔をしていたのだが、次第に口元は歪みわなわなと震えた。それは明らかに笑いを堪えている表情だった。
―――しまったぁぁぁぁぁぁ!!!!!
ゼルは先ほどよりも勢いを増して顔が熱くなり、誰かこの口を縫ってくれと叫び出してしまいたい衝動に駆られた。
よりによってこの事を口にしてしまうとは!今までカッコ悪くて誰にも知られてなるものかと沈黙を守っていたのだ。しかし自らのミスによりカミングアウトしてしまうとは!その上トイレに一緒に行って欲しいとまで言ってしまったゼル。
―――いや、本音を言えばそうして欲しいのだけれど……。
ガックリとうな垂れたゼルの視界にスコールが立ち上がったのが見えた。何か言われるのかと思ったが、予想と反しスコールはそのまま扉の方へと歩き出す。
「スコール……?」
恐る恐る声を掛けると、スコールは開きかけた扉をピタリと止めゼルの方へ振り返った。
「……トイレだ」
スコールは口の片隅を吊り上げて皮肉っぽく笑うと部屋を後にした。
残されたゼルは目を見開き、口をぱくぱくとさせる。
―――スッ……スススス!!!!―――
「スコーーールッ!!!お前なんか友達じゃねぇぇぇ!前言撤回だぁぁぁ!!!!」
静かなこの村にゼルの叫びが響いた。