
5.月光
スコールは雪の降る外へと出た。
寒さが体を竦める。ジャケットの奥に手を入れ、その中に入れていた物を探ると、冷やりとした機械特有の冷たさが掌に伝わり存在を教えた。
携帯電話を取り出す。確認した電波の状況にまず、溜息が漏れていた。きっと無理だろうとは思っていたのだが、ある人物を思うと少しばかりの希望を抱きたかった。
17年間続いていた世界規模の電波障害も、魔女戦争後に復旧の目途が立ち、徐々にではあるが電波を使用した通信も行われるようになった。
中でもこの携帯電話は電波障害以前までは日常的に使われていた物らしく、電波の復旧と共に広く流通されるようになった機器の一つであった。とはいえ、長い年月使用されていなかった機器の為、通信を行う基地局の整備が未だに追いつかず、場所によってはこのように使用できないこともしばしばであった。
これでは任務の間リノアと連絡を取る事は出来そうにない。
また一つ、スコールの口元から溜息が漏れてしまった。
「ここ、電波が届かないんですよ」
背後から突然に投げかけられた声に振り返ると、車輛を運転していた男が、扉を開けて立っていた。
「そこ、寒くはありませんか?コーヒーを入れますので中に入って下さい」
男は笑顔で言うと、招き入れるように扉を開いたまま奥へと消えた。スコールは幾らかの間を置き、手にしていた携帯電話をジャケットの奥へと戻すと室内に足を向ける。男の誘いを受ける事にした。
何か訊けるかも知れない。そう思ったからだ。
薪ストーブの前に規則正しく並んだソファー。そこに向かい合わせで腰を掛けると男はコーヒーをすすめた。
ローテーブルに置かれた二つのカップからはコーヒーのほろ苦い香りが湯気と共に上がっている。カップを手に取ると、じわじわと熱が掌に伝わる。
向かいに座る男の顔は薪ストーブの灯りに照らされている為に、目の窪みに影を落とし赤茶色の髪は光の影響で赤みを増して見せた。落ち着いた雰囲気の彼だが年齢はさほど変わらないようにも見える。スコールより三つ四つ程、上だろうか。
「困りました……どうやって通信手段をとれば良いのか……」
「どういう事ですか?」
突然に話し出した男にスコールが訊き返すと、彼は心底困ったという表情で目を向ける。
「いえ……この場所ですが、ご存知の通り携帯電話などの電波を使った通信機器が使えない場所でして、唯一の回線は、立ち寄る筈だった村と繋がっているHDケーブルだけなんです。ですから私達は二班に別れ連絡を取り合おうと考えていたのですが。……あそこが使えなくなってしまった以上、誰かが山を往復して連絡を取る以外は無さそうですね。しかしそれでは時間がかかってしまいます」
スコールは眉間に皺を寄せる。
通信手段が無いと言うことはガーデンとの連絡も途絶えてしまうと言う事だ。
自分達がここに居る間に何事も無ければ良いのだが……。
「まさかあの村にまで感染者が出てしまうなんて……」
感染者と言う言葉を聞きスコールは男に目を向ける。
男はコーヒーの入ったカップを手に取ると一口啜り、湯気の立ち込めるカップの中を覗き込んでいた。
今なら話を訊く事が出来る。
「その感染ですが具体的にどのような事態が起きているのか、ご存知ですか?」
男はカップからスコールに視線を移すと考え深げに遠くを見つめ直した。
しばらくの間を置き、何ごとかを考えていた彼は、やがてゆっくりと口を開いた。
「私も詳しい事はわからないのですが……始めにその症状を訴えたのは、トラビアのある町からだと聞きました。
感染者は感染の症状として火傷に近い痕が体の一部分に出来るそうです。その痕は一度現れたのを切欠にして、徐々に全身へと範囲を広げ、最後には体中までをも侵食するそうです。
全身の全てを痣に覆われた患者は……やがて死の時を迎える。また、その痕と接触する事によって他者に感染するとか。……しかし、これはあくまでも一例で、接触感染していない者も同じように感染したと言う話も聞きました。」
「空気感染も有ると言う事ですか?」
訊き返すスコールに男は首を振る。
「いえ、……何の接点も無い場所で突然に感染者が出る場合が有ると聞きました。私が知っているのはこの二通りです。今の所これ以外の話は聞いていません」
男は先ほどと同じようにカップを口に運び、中の液体を一口飲み込む。
スコールは薪ストーブの中で勢いよく燃えている炎を見ながら、考えていた。
接点の無い場所で感染者が出る……それはありえない。人畜の血液などを主食とする虫が媒介して感染する可能性も考えられる。
何かしらの経路が必ず有る筈だ。
「あ、それから……この二通りで感染した場合、接触感染した者の方が発病から死までの期間が早いと聞きました。反して、突然に発病した者は進行が遅く、感染している事にすら気が付かない場合も有るそうです。ゆっくりと体を蝕むような苦しみは、感染への恐怖と共に壮絶な痛みを味わうと言います。こんな事あるんでしょうか?突如として現れる原因不明の痣。触れるだけで感染するこの病。体に現れる痣は患者を宿主のようにし、他人と触れあう機会によって新たな感染者を生み出す。まるでその役割を果たしているかのようにさえ思えます……。
魔女戦争が終わったと言うのに、世の中は平和になる所か未だに争い憎しみ合っています。この病は警告……私達の愚かさに対する警告だと私は思っているんですよ……」
何時の間にかスコールが手にしていたカップは温かさを失い冷たくなっていた。
男は立ち上がるとスコールのカップに手を伸ばし、笑顔を見せる。
「長くなってしまい申し訳ありません、そろそろ寝ましょう」
* * * * *
部屋へ戻るとゼルは既に眠っていた。
スコールは静かに扉を閉めて自分のベッドに腰を掛けると、窓に視線を送った。カーテンが開いたままの窓からは月明かりが柔らかく差し込んでいる。雪は止んでいた。
スコールは、男から聞いた話を思い出し、キスティスの事が気になった。
今キスティスはこの件で動いている。彼女の事だ上手くやっているに違いないが、感染する可能性としては一番危険な立場に在る。現状を聞く為にも一度連絡を取った方が良いかも知れない。どうにかしてガーデンと連絡を取る方法を考えなければ。
スコールはベッドに潜り込むと天井を仰ぎ、大切な人を思う。
リノアは大丈夫だろうか……何事もなくいて欲しい。
急激な眠気がスコールを襲い、瞼を重くする。意識の途切れる間際、夢でリノアに会えればと願っていた。
* * * * *
額に感じる柔らかい痛み。顔を上げると、唇を尖らせたリノアが真っ直ぐに見つめていた。
「ほら!またぁ~!」
細い指先を自身の額に当てて難しい表情を作って見せたリノアは、肩を揺らして笑っている。
リノアは明るい笑顔を見せている。
俺はこの笑顔に弱い。この笑顔に勇気付けられ、そして愛しいと心から思ってしまう。
何時からだろう……こんなにも人を愛しいと思えるようになったのは……
「……悪かったな」
言葉を返すとリノアがまた笑顔を見せてくれる。
リノアの笑顔の前でなら、俺まで自然と笑う事が出来るようになった。
何時までもこうやって笑い合っていたい。リノアに笑顔で居て欲しい。
リノアがいつでも笑って過ごせるように護ってやりたい。
小さくて細くて……そして温かい手を、いつまでもずっと繋いでいたい。
「……スコール……」
悲しい思いなんてさせたくないんだ。俺はリノアに笑顔で居て欲しいと願いながら何時も悲しませているな……。
あんたは……俺と一緒に居て幸せなのだろうか……苦しい思いをさせてるだけじゃないのか?
「きっと……傍に居て……何があっても。ずっと一緒に……」
傍に居たい。リノアが望む限り。
俺はもう誰も失いたくないんだ。あんな思いを二度としたくない。
傍に居て欲しい。そう思ってるのは俺の方かもしれないな……。
リノアを失うのを、俺は恐れている……
「―――――っ!!」
それは突然に起きた。左腕に激しい痛みが走る。
痛みの元へと目を向けると、リノアの手が左腕を掴み、ギリギリと音をたてながら力を加えていた。
爪が深く食い込み、腕に薄っすらと赤いものが滲んだ。だが、それでも力を弱める様子は無い。痛みは更に強くなる。
とても女性の力とは…………リノアの力だとは思えない強さ。
―――リノア!!!
顔を上げ、リノアに視線を移すと言葉を失った。
ドクドクと鼓動が耳元で鳴っている。時間の流れが止まってしまったかのように、自分の心臓の音以外は何も聞こえない。
額に汗が滲むのがわかった。
落ち着こうと固唾を飲み込み、乾いている唇をゆっくりと開く。
「……アルティミシア……」
死んだ筈だ……。あの戦いで敗れ、確かに彼女は力尽きたはず。
しかし、目の前に居るその存在は紛れもなく……アルティミシアだった。
彼女は薄く口元で笑みを浮かべると、掴んでいた腕に更なる力を加えた。
ギシッと骨が軋む音が鳴る。その耐え難い痛みに唇を噛み、顔を歪ませる。
――― 何故 ―――
頭の中で何度も飛び交う疑問符。
その考えを読み取るように、アルティミシアは薄い笑みを称えたその口を開いた。
「お前が呼んだのだよ……。お前の大切な者、場所、時間……全て失うがいい!私は苦しみを……全ての者に与えよう!!」
アルティミシアは声を張り上げ笑った。しかしその瞳は笑う事は無く、憎しみと悲しみに溢れる冷ややかな瞳。
彼女のその瞳から頬へと伝うものがあった。
それが顎の辺りで重みに耐えられず、足元へと零れ落ちた時だった。突然にアルティミシアの足元から炎が上り、一瞬にして赤く体を包み込むように燃え上がった。
その炎は足を伝い自身までをも飲み込む。熱は広がりアルティミシアと共に赤く包まれる。
肌を焦がす熱が、全ての感覚を奪う。
体が震えていた。
違う……これは、この震えは……。
* * * * *
淡い光が目に入り、瞳の奥に軽い痛みを覚える。
月明かり。
ハッキリとしない意識の中、ゆっくりと辺りを見回した。
カーテンが開いたままの窓と二つのベッド。
目を閉じる前と変わらない景色が目の前に在った。
スコールはベッドからゆっくりと上半身を起こすと、壁に背を寄り掛け乱れていた呼吸を整える。
「……夢」
そんな筈がない。
夢ならこんなにリアルに痛みを感じるだろうか?
ハッとし、勢い良く服の袖を捲る。
確かに痛みは有った。それは未だに継続し、その場所に感覚として残っているのだから……。
しかし確かめた腕には何の痕跡も残らず、普段と同じ姿をそこに留めていた。
「アルティミシア……」
スコールは擦れた言葉を漏らすと、月明かりの差し込む窓を眺めた。
窓からは淡い光が差し込んでいる。
あれは……夢だったのだろうか……。