6.痕跡

翌朝は晴天に恵まれ、暖かい日差しが差し込む一日となった。
光を反射する雪がキラキラとした輝きを放ち幻想的な景色を作り出していたのだが、それらを目にも留めずスコールは雪の中を足早に進んでいた。


結局、昨日は一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。あの時に感じた腕の痛みは今も変らず残っている。
自然と気持ちは苛立ち、苛立った気持ちは表情を曇らせる。そしてそんな自分にまた苛付く。どうしようもない悪循環に溜息を付かずにはいられなかった。

スコールはガンブレードを手にすると、外へと繋がる扉に向かって歩き出していた。少し早い時間ではあったが一人で村の中を調べる事にした。何もしないでいるより体を動かしている方が少しは気が紛れるだろう。それに村の様子も気になっていた。昨日は暗に隠れ見えていなかった部分も、この光の中ですべてを確認することが出来る。

あの染みも―――。

「スコーーーール!!」

雪が踏まれ軋んだ音が早いリズムで近付く。振り返ると白い息を弾ませたゼルが片手を左右に大きく振りながら雪の中を全速力で走って来ていた。スコールは軽く溜息を吐くと歩みを止めゼルが追いつくのを待つ。

「お前、もう行くのか?なんかよ、朝食を用意してくれてるらしいぜ!」

スコールが待っていた場所に辿り着いたゼルは一呼吸起き、ほら!と言って片手をグイっと前に突き出した。目の前に突き出されたその手にはパンが握られており、ゼルは嬉しそうに満面の笑顔を覗かせている。
その様子にスコールは呆れたように顔を顰めたのだが、不思議と気持ちは冷静さを取り戻すようであった。波打っていた気持ちに風が通る。そのような表現がよく当てはまる感覚を覚えた。

ゼルはその無邪気さで周りを和ませる力が有る。ただ単純なだけだと思う事もあるが、そこが彼の良さであり大きな力なのだろう。厳しい戦いの中で、仲間達はゼルの明るさに何度も支えられた事があった。
今のスコールもそうだったのかもしれない。

「結構美味いんだぜ!まーぁガーデンのパンには勝てないけどなっ!スコールも来いよ?」
「いや、いい。俺は先に行っているから、あんたは後から来てくれ」

そっけなく聞こえる言葉ではあったが、先ほどには無かった穏やかな表情で言うと、スコールはまた歩き出してしまった。
残されたゼルはその後ろ姿をぼんやり眺め、頭を掻きながら片方の手に持っていたパンに視線を向ける。一瞬の沈黙の後パンを一気に口に放り込んだゼルは、顔を上げスコールを追いかける事にした。




*  *  *  *  *




スコールは一歩踏み出し、ゆっくりと視界をスライドさせる。

そこは、想像を超えるほど悲惨な光景が広がっていた――――。



昨夜は暗闇の中で見えていなかったのだが、あの染みは部分的などではなかった。
村の入り口で目にしていた赤黒い染み。それはあの家一軒などではなく、その他のありとあらゆる場所にまで広がっていた。
民家の外壁や窓、閉ざされた扉や、陽の光を取り込むトップライトも。それらは全て赤黒く染まっていた。
雪に隠れ見えない部分も有るが、恐らくその下も同じ光景が広がっているのだろうと、いくらでも予想ができる程に。

「……んだよ……これ……」

ゼルが愕然として言葉を吐く。それを聞こえてないかのように、スコールは口を閉ざしたまま中央の道に足を踏み入れると先へと進み、村の中心に向かいながら注意深く周りを見わたす。だが、どちらに目を向けても視界に入ってくるのは赤黒い染みばかり。

―――やはりこの染みは血。

口元に手を置き、歩みを止めずにスコールは考える。

モンスターに襲われた?
だが何かが違うと、妙な違和感を覚える。モンスターに襲われたと言ってしまうには不自然な箇所が多すぎるからだ。
スコールは先へと早足で進みながらもその共通した箇所を確認していた。だが、知らず表情は厳しくなる。
不快な気持ちを抱かずには居られなかった。
数え切れない戦いの中で、嫌と言うほど血を見てきたが、この光景は余りにも酷く、過去にも目にしたことがないほどの有り様だった。
血に染まった光景はどんな時も決して慣れてしまえるような事では無かった。
ましてやこのような意図的な光景では……。

そう、ここで見られる血の染みは何かの意味を含んでいるようにスコールには見えていた。

「スコール、ここ何なんだよ!……何か良くわかんねぇけどスゲェ腹立ってきた……」

ゼルは舌打ちをすると、両の手に力を込めて握った。
ゼルもこの不自然さを肌で感じているのだろう。どこか苛立った表情を見せている。

「ゼル、村の周りを見てきてくれないか……」
「村の周り?」
「ああ、念の為だ。人を簡単に襲えるようなモンスターがこの辺りに居ないか確認してほしい」
「わかった!」

ゼルは頷くと、手にグローブをはめながら村の外へと足早に駆けて行く。
スコールは村の入り口を目指して歩き出すと、ここへ来た時に初めて目にした家へと向い、まず外壁に付いた染みを確認した。
モンスターではないとわかっていた。だが、確信へと繋がる理由が欲しかった。
このような状況を作れるのはモンスターに襲われた為だと考えるのが妥当ではあるかもしれない。しかし、先程から感じる違和感……。その違和感に別の考えを選ばずにはいられなかった。

目の前に広がる血の染みは、ただ襲われて出来た形とは違う。押し付け、引きずったように擦れた線を描く染み。何かを破裂させたような痕が残る壁。ひび割れた窓ガラスには何度も激しく打ち付けたように亀裂が走り、そこにはやはり赤黒い染みがこびりついていた。共通点が見られないそれらの染みだが、モンスターによるものではないと考えに至るには充分だった。
この染みには感情が有った。モンスターには無い、人の感情が。

スコールは家の周りを一周すると部屋の中に入り、一階から二階へと繋がる階段を見上げた。

仮に人に襲われたのであれば、それは複数による犯行だろうか?
この村の住人が忽然と消えてから、その姿を見た者は居ないと言う。つまりそれは逃げる暇を与えず住人全てを亡き者にしたと言う事。何軒もの家に、あのような染みを付ける形で殺したのであれば、余程の者でもない限り……いや、もし高い戦闘能力を持った者だったとしても、誰一人と逃げる余地を与えず攻撃する事は不可能に近い。小さな村とは言え、ここで暮らしていた人間は少数ではない。一人の犯行は無理だと考えるべきだろう。それとも、殺した後にわざわざ血の染みを付けたのだろうか?だとしても、一人では相当な体力と時間を要する……。そして、それだけの事をさせる理由。

この村に対して恨みを持った複数犯の犯行と見るのが妥当だろうか。


―――だが……


スコールは階段の中段まで上るとゆっくりと後ろを振り返り、下の階に冷やかな視線を送る。
そこには自分達が寝泊りした部屋と同様に、家具がきちんと揃えられた部屋が見えていた。
未だに残る日常の風景のままに。



襲われたのであれば、何故こんなにも乱れた箇所がないのだろうか。




*  *  *  *  *




「おっしゃーっ!」

ゼルは拳を上げると歯を覗かせ笑う。目の前にはゼルの攻撃によって力尽きたバイトバグの姿があった。この程度のモンスターにゼルが梃子摺るわけがない。むしろ、もう少し動きたいくらいの気分だった。
村からある程度離れた森の中。ここは雪国にしては珍しく、緑の葉を生茂る木々が何本も立ち並ぶ深い森だった。
ここまで来る間に出くわしたモンスターの数はほんの僅か。その僅かなモンスターは殆どがバイトバクのような手を焼くまでもないような相手ばかりで、少しの不満さえ感じる。

「う~ん、なんか張り合いねぇな……」

この先に行っても、これと言って変化は無さそうにも見える。
それはそれで良いんだけどよ。とゼルは肩を大きく回すと雪を蹴りながらさらに奥へと進む。

ふと、ここは平和な場所だったのではないだろうかと思い、振り返えってみた。
自然環境は厳しい土地かもしれない。けれど、強力なモンスターも居ないこの場所は人々にとって生活しやすい場のように思えた。それなのに何故あのような事が起きてしまったんだろう。
理由は解らない。けれど、あそこを見たときに冷たい物を感じた。そう、例えるなら憎しみのような……。逃げ出したい気分にさえなった。

―――スコールよく一人で居られるよな……まぁーアイツはそう言う奴だけど。

ゼルはあの悲惨な光景を思い出す。

「あっ!そうか……今日もあそこに泊まるのかよ!!」

村の状況を思い返すと同時に、思い出してはいけない自分の苦手分野までも思い出してしまい、ゼルはブルっと体を震わせ大きく身震いをする。
―――今日は本当にトイレに付き合ってもらう事になるかもなぁ……。
そんな馬鹿な考えに気分が沈む。
情けない。それに、頼んだ所であのスコールが快く付き合ってくれるはずがない!絶対的に拒否されるのがオチだった。

憂鬱な気持ちを抱えたままの重い足取りで歩き出した時、風に揺れた葉がザワザワと奇妙な不協和音を森に響かせた。
急速に辺りは不穏な空気に包まれた。のは、あくまでもゼルにとっての話だが、けれども怯える今のゼルにとっては葉の音すらも恐怖感を煽るのには充分で、案の定、心臓は思わずドキリと跳ね上がっていた。

先ほどまで何とも感じていなかったこの景色。それらが急に妖しく色づいたように感じてゼルは固まってしまう。
怖がりタイプとは思い出したくもない時に限って色々と想像を巡らし、結局自分の首を絞める結果を作ってしまうものだ。

「ぅわぁっっ!」

その時、ゼルの側で何かが横切った。
驚いたゼルはバランスを崩すと雪の中へと派手に尻餅を付いてしまう。腰の辺りに電撃のように走った痛みに悲鳴を上げてその場に蹲る。

―――痛ってぇえ!……何だよ!!今の!!

慌てて通り過ぎた物体を確認しようと全身をねじって振り返ると、そこには勢い良く走り去るメズマライズの後姿があった。
―――メズマライズ?襲いもせずに走っていくなんて……。よっぽど俺が強そうに見えたのか?!!
だがその考えは直ぐに思い直す事となる。静かな森の中で徐々に響く轟音。

異変を感じ取った時、すでに頭上は黒い影に被われていた。

空中に浮いていた影はゼルを飛び越えると派手にドスッ!と鈍い音を鳴らせて地面に何かを叩きつける。四本の足だった。それは、後ろ足で強く雪の表面を蹴り出して前にジャンプすると、前足で衝撃を吸収しながら再び後ろ足を蹴りだし、先程のメズマライズの後を追うように全力疾走で森の奥へと消える。それだけではない。
再び耳元で響く音。走り抜ける姿、頭上を被う影、動物やモンスター、そのどれもが一成にゼルの横を次々にすり抜け、頭上を飛び越え、その後ろ姿だけを記憶に焼き付けて奥へと消え去る。一匹や二匹ではない。

―――何なんだよ……!!

異様な光景に慌てて前方を見ると、数え切れない程の動物達がこちらへ大きな足音を響かせ迫って来ている。
そのどれもがゼルの存在などまるで気にする様子もなく、錯乱したかの様に慌てて駆け抜け、そして去るのだ。
あまりの光景にゼルは身動きすら出来なかった。

「逃げてる!!?」

咄嗟に頭に浮かんだ言葉を無意識に口にしていた。
慌て走り去る彼らの姿は、何らかの恐怖に怯えているようだった。

―――そう言えば!
と、ゼルは雪の表面に両手を付く。

―――そう言えば!動物は本能で危険を察知する力が有ると聞いたことが有る!!

ゼルは立ち上がると体に付いた雪を払うのも忘れ、逃げる者達が向かう先とは、逆の方向へと勢い良く走りだす。


―――あの先だ!!あの先に何かが有る!!!!