[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。




10.噂

通信室に声が響く。
バラムガーデンの一角に設けられた差ほど広くないこの部屋は、通信室と呼ばれるだけあって、何台もの通信用の端末やモニターなどの機材が、うねるように絡み合う配線と共に複雑にセットされ、各デスクに一台ずつ設けられている。
やや天上寄りに建てられた窓から差し込む採光は優しく室内を照らし、壁や天井のデザインの美しさを引き立てている。けれど、何処か寂しさを感じるのは機材ばかりが目に付くからなのか、それともこの部屋に響く声がそう感じさせているのだろうか。

「ええ……そう、わかったわ。気を付けて帰還して頂戴。」

言葉と共に頷くと、金色の艶やかな髪がサラサラと揺れ肩から滑り落ちる。それを鬱陶しそうに払い除けるとキスティスは通信画面を目の前に話を続けた。しかし、画面に相手の顔は映っておらず、インカム越しに会話をしている状態であった。
相手側に映像を映し出すモニターやカメラが無いのだろう。キスティスは黒い画面の先を見つめ、相手の顔を思い浮かべるように視線を向けていた。

「それから、こっち側にも色々と問題が起きてて……え?ええ……そう。そうよ。知っていたのね。……そうね、帰還したら話しましょう。大丈夫、リノアは元気よ。この事はまだ知らない筈よ。……ええ、私もそう思うわ………
そうそう、リノアあなたに会いたがってたわ。戻ったら一番に会ってあげて頂戴…え?はいはい、余計なお世話だったかしら?……ええ、そうね、それじゃ切るわね。帰りを待ってるわ」

通信を切るスイッチに手を伸ばしインカムを外したキスティスは、暗い面持ちで深く長い息を一つ吐いた。
たった今、スコールからの帰還の連絡を受けた。彼が発ってから六日目の、予定よりも一日早い帰還。
それは無事に任務を終えた報告ではなかった。スコールは緊急な事態が起き、帰還すると…そう言っていた。つまり任務を中断せざるを得ない何かが起きたという事だ。スコールが就いた任務では珍しい。いつでも彼は受けた依頼を完璧以上にこなしていたと言うのに……。
キスティスは椅子から立ち上がると部屋の中心に配置されたデスクに戻り、机の上から分厚い資料を手に取った。

ここで色々と考えていても答えが見付かる訳ではない。詳しい内容はガーデンに着いてから報告を受ける事になっている。

それまでは、待つ事以外は出来ない。


「スコールからの連絡かい?彼、何か言ってた?」


「あら、アーヴァイン何時からそこに居たの?全然気が付かなかったわよ…」
「え~!酷いな~だいぶ前から居たんだけどなぁ~!」

背後から聞こえた突然の声に振り返ると、いつの間にかアーヴァインの姿が在った。アーヴァインは入り口の扉を半分開いた状態で立っていたが、ゆっくりと室内に入るとキスティスの前で立ち止まり、手にしていた物を差し出した。

「アーヴァイン・キニアス只今帰還しました!はい!これ~資料だよ!」
「お帰りなさい、アーヴァイン。ありがとう!助かったわ」
「いえいえ、他ならぬキスティからの頼みだからね~」
「……アーヴァイン?私にそんな事言っても何も出ないわよ?」

え~!と大げさに悲しそうな表情を見せているアーヴァインを外に、キスティスは受け取った資料を捲り、文字に視線を這わせている。
無音の室内には紙を捲る音だけが響いていた。カサカサと擦れ合う紙の摩擦音は静寂の空間にやたらと響き、妙な緊張感を生み出しているかのようであった。それと共に、アーヴァインの顔からは先程までのふざけていた様子は消えてしまい、彼は眺めるようにキスティスの手元を追っていた。キスティスは相変わらず無言のまま手元の資料に目をむけ文字を追っている。

「伝染病に関して流れ出た噂、やっぱり本当だったみたいだよ」

いつまで待ってもこの状況に変化がなさそうだと踏み、先行して口を開いたのはアーヴァインだった。
その言葉に顔を上げたキスティスは、考え込むように表情を硬くし何も答えようとしなかった。
アーヴァインはキスティスに優しく微笑み掛けると、取り敢えず座らない?と言いながら傍に有った椅子を引いてやり、軽く背中を押してキスティスを椅子へと促す。先ほどまでの止まっていた時間が動き出したのを切掛けに、キスティスは力が抜けたように溜息を一つ付き、椅子の背もたれに手を置くと、そうね。と微笑んだ。

「資料に書いてある通りなんだけど、今回のこの伝染病を魔女の力によるものだって噂を流してる組織が居るのは本当だったよ」

机を挟み向かい合う形で腰を掛けた二人は一息つく間も無く本題へと入った。アーヴァインの言葉に、キスティスはどこか遣り切れない表情を浮かべて話を聞いている。

「学園長の命令で、僕がその組織の中に潜り込んで来た訳なんだけど……その噂を流してる中核ってのが居てさ、それが……」
「反魔女組織……」
「そういう事。まったくさ~。伝染病を利用して有りもしないような噂をアレコレ言ってくれちゃってるみたいでさぁ~」
「その有りもしない噂にまんまと踊らされている世間も世間だと思うわ!」
「今回の伝染病騒ぎでどの国も混乱してるからね。……手口としてはベターだけど上手いやり方だと思うよ」
「アーヴァイン!!」

バン!と室内に渇いた音が響き渡る。キスティスは机の表面を掌で叩きアーヴァインを睨みつけている。部屋に響いた音は目を瞑ってしまうほど大きな音で、それだけの音を立てたキスティスの掌は真っ赤になっているのではないかと、アーヴァインは迂闊な言葉を口にした事に後悔した。

先程からキスティスが苛立っているのには気付いていた。その理由が何にあるのかも、言わずともわかる。

リノア。

彼女の最も親しい友人で、最も親しい魔女。



伝染病は着実にその範囲を広め、たった数日の間に収拾が付かない状態にまで進行していた。それは異様なまでのスピードと勢力を併せ持ち、感染者と死者を増やし続ける。その混乱した状態の最中、突如として一つの噂が流れた。

『この病は魔女の力によるものだ』と。

伝染病について調査に出ていたキスティスは最近流れ出した噂を逸早く知り、その噂の裏に手引きする存在が居ると睨んだ。
この非常事態を、魔女の力に関連付けようとするなど信じられないと、キスティスは怒りを露にしていた。


魔女戦争に終止符が打たれた今ではあるが、魔女に対する恐怖は未だ消えることはなかった。アデルや、アルティミシア、そのアルティミシアに心を支配されてしまったイデアなどの魔女は、その力を利用し、多くの命を奪う事で人々に恐怖の存在として現れた。必然的に恨みを抱える者も居るだろう。だが全ての人間が同じ感情を抱いているのかと問われれば、幸いなことにそう言い切ってしまえる状態にまでは到ってはいない。
今、世界は魔女に対しての考えが、大きく分けて四通りのタイプに分かれていた。
一つは肯定派で魔女の存在を認め、共に生きていく事を訴える者達。又はどちらにも付かず他人事として見る者達。こちらに関しては何の問題も無い。だが、深刻なのは全く逆の思想を抱いている者達に関してだ。
魔女に対し、その力を我が欲望の為に利用しようと目論む者と、魔女の力を恐れ魔女の存在を消したいと考える否定派。

前者は、悪の力に手を染めた魔女よりも罪深き存在。彼らは政府に対抗する術として魔女の存在を利用する。又は、政治的理由や戦争を引き起こす理由に魔女の名を上げた。魔女の存在がいつまでも忌み嫌われる影には彼らの存在が大きい。
そして後者は魔女の存在を否定する者達。魔女の力を恐れ、その存在を消したいと考える。その為、反対運動を行う組織が生まれたが、それも行き過ぎた活動となり、テロや暴動を起こす原因となっていた。
もう何年も昔から続いている悪循環。

そして今回流れ出た噂は、後者の者達によって仕組まれたものだった。


「キスティごめん……僕等にはリノアやママ先生が居るのにね……」
「こんな世の中がいけないのよ。終わらないテロや反対運動も、世界が……魔女に対する偏見が変わらないと駄目なのよ。このままじゃリノアは永遠に自由を得る事だって出来ないわ。リノアだけじゃない。その他の魔女達の為にも、世の中を変えなければいけないっていうのに」
「反魔女組織……僕が調査に行った所は、特に反対勢力の強い過激派集団だと思うよ」
「そう。この噂、どうにかして止めないといけないわね」
「そうだね……」

キスティスは机の上に両肘を付き、組んだ手の甲に額を当てている。俯いている為にアーヴァインからはその表情を見ることが出来ない。
それっきり二人の会話は止ってしまい、アーヴァインは付いた片肘を軸に頬を乗せると壁の上に設けられ窓から外を眺めた。窓の外に二羽の鳥が羽を広げ幸せそうに飛び立つ姿が見える。何の柵もなく美しいまでの自由な姿、アーヴァインは自然と目を細めていた。


「この世界はさ……これからどう進むんだろね。伝染病、何でこんな事になったんだか」


独り言のように呟かれた言葉にキスティスが顔を上げると、目の前のアーヴァインは頬杖を付いたまま横を向き、窓の外を眺めていた。発せられた世界への不安とは対照的に、今のアーヴァインが浮かべているその表情は何故か清々しくさえ感じさせられる表情だった。不思議に思ったキスティスはアーヴァインと同じように視線を窓の外に向け、その理由が何にあったのかと知ると、彼女もまた同じような微笑を浮かべた。

「さぁ……どうしてかしらね。噂では魔女が世界を己の物にするだとか、呪いだとか言っているみたいだけど……そうじゃないわ」

キスティスは椅子から立ち上がり目の前の資料を纏めると、角を揃えてから机の上に二度トントンと軽く叩き、綺麗に揃い束ねられたそれを胸元に抱える。顔を上げるとキスティスの動きを目で追っていたアーヴァインと視線を合わす。


「もし仮に、この病を魔女の力だと言いたいのなら……それは、こんな世の中への報いなのかも知れないわね……」


キスティスは美しい程の妖艶な微笑を見せると、そろそろ戻りましょう。と言い、アーヴァインが立ち上がったのを確認してから扉に向かって歩き出した。