
9.空
扉を開けると、真正面に設けられた窓の前で椅子に腰を掛けているゼルの背中が目に入った。
ゼルは、出窓になっている窓枠をデスク代わりにし、そこに携帯式の端末を広げている。
「お!スコールお帰り、早かったな!」
スコールが部屋の中に入った事に気が付いたゼルは端末を打ち込む手を止め、代わりにヒラヒラと手を振って声を掛けた。力なく空を切った手はそのまま彼の肩へと乗せられ、首をグルリと一回転させるゼルは「疲れた!」の一言を大げさに吐いた。
根っからの肉体派であるゼルは、機械や情報処理といった分野に関してはどうも苦手で、思うように力を発揮する事が出来ない。とは言えSeeDの仕事は戦闘ばかりでは無い訳で、今のように端末を目の前にする事は割と多い。その度にゼルはボヤいていたのだが、それでも実は几帳面な彼らしく、傍らにノートを用意し解らない箇所のメモを取っていたりする。
スコールは厚手のジャケットを脱ぐと家の前で払い切れなかった雪を振り払い、ハンガーに掛けようと手を伸ばした。
「……キスティス何か言ってたか?って言うか、麓まで下りたのか?」
「ああ、下まで行かなければ殆ど繋がらない」
「げっ!マジかよ!んじゃーガーデンと連絡取る時は交代で下まで行くしかないな……」
「そうだな」
「ガーデンは??」
「変わりは無いと言っていた」
「そっか!」
スコールの淡々とした答えに、気にするでもなくゼルは頷く。
今朝、スコールはガーデンと連絡を取る為に村を出た。当初はここからの回線を利用してガーデンと連絡を取る予定になっていたのだが、例の感染騒ぎが原因で連絡手段が途絶えてしまった。
電波の悪いこの場所からでは携帯電話も使い物にならず、更に追い討ちを掛けるように予備に持って来ていた通信機も意味を成さなかった為、スコールは携帯電話を持つと今朝早くに麓まで下りてガーデンに現状報告をしに行った。
「スコール、ここがわかんねぇんだけどさ……」
端末に向かっていたゼルは困り果てた表情を見せながら振り返り、先程まで不明点を記していたメモ用紙をスコールに手渡そうと腕を伸ばす。それを受け取る為にスコールは彼が掛けている椅子の傍まで近寄り、メモ用紙に書かれた内容と、窓の縁に広げられている端末の液晶を交互に照らし合わすよう見て手を伸ばす。
「何でこんなに複雑にしているんだ?ここはこうした方が早く済む」
「あ!そうだな!!」
「それからここも違う」
「おぉ!!!」
「ここもだ」
「おっ……おうっ」
カチカチと端末を叩く音が室内に響き、その音の数だけゼルの気持は沈んだ。
ゼルは解らない箇所を少しだけ教えてもらうつもりだったのだが、実際には自分が想像していた以上に間違えている箇所が多かったらしく、スコールが手直しを加えざるを得ない状態となってしまった。結果ゼルが何時間も所要して作り上げた書類はものの数分で跡形も無く消えてしまった。
一方スコールは、どう考えてこのような手順を踏んだのか不思議で仕方なく、更に間違えだらけの内容にも納得が行かず、結果、引くに引けなくなっていた。手を動かしながら一つ一つを解り易く説明していたのだが、それも時間と共に強い口調に変わっていった。
「あんたは難しく考え過ぎている」
「わ……わりぃ……」
「もっと素直にやれ!」
「……うっ」
仕舞いには半ば呆れ顔のスコールに叱られてしまい、ゼルは肩身の狭い思いをする事となった。
それにしても素直にやれとは……。素直の言葉を、誰よりも素直じゃないスコールから言われるのは一番嫌かもしれない。と、ゼルは密かに思ったのだが、彼のおかげで作業は大幅に進み、解らなかった箇所は霧が晴れたように理解する事が出来たのは事実だった。
やっぱり凄いヤツだなぁ。と改めて実感しながらその張本人を振り返えり見ると、スコールはベッドへ移動してドサっと腰を掛け、疲れたように額を手で覆っていた。
「ありがとなっ!スコールのおかげでやっと終わりそうだぜっ!」
椅子に腰を掛けたまま上半身を捻って振り返ったゼルが言うと、スコールは額に乗せていた手を少しだけ離して、口元だけで微かに笑った表情を見せる。これはスコールの返事。言葉を口にするのは未だに少ない彼だが、代りに笑顔を見掛ける機会は以前よりも増えていた。出会った頃には無いその変化に、少しは素直になったんだなとゼルは思い、一人笑った。
溜息が聞こえた。それはゼルに向けられたものかと思い視線を戻すと、スコールは先程と同じように額に手を当て俯いていた。けれどその横顔に普段とは異なる様子が見て取れた。
手の端から見えているスコールの顔色が非常に悪い。
心配になったゼルは眉を顰めて「大丈夫か?」と声を掛けたのだが、スコールは「ああ」と素っ気無い答えしか返さない
「……ああって。そんなに顔色悪いのに大丈夫じゃないだろ?どっか苦しいのか??」
再び問うが、スコールからの返事は無い。
何も言わないスコールに痺れを切らしたゼルは、椅子から立ち上がるとスコールの目の前まで移動しもう一度聞く。
「大丈夫そうには見えねぇよ、どっか具合悪いんだろ?」
「頭痛がするだけだ。問題無い」
「ずつーぅ?」
執拗に何度も聞いてくるゼルにスコールは仕方なく応える。
スコールが頭痛に襲われたのは今に始まった訳ではなく、時折感じる事があった。それは丁度この任務に就いた頃からだろうか。最初の何日間は気圧の関係によるものだと思い、なるべく痛みを忘れようと心掛けていた。だが、今日は余りにも酷かった。頭の中で一定のリズムを刻む痛みは、吐き気さえ感じるほどだった。
「少し寝ろよ?」
「いや……いい」
「おまえ疲れてるんだよ! ちゃんと寝てないし!」
「……寝てない?睡眠はちゃんと…―っっ!!」
再び激しい痛みが耐え難い程に頭の中を駆け巡り、スコールは額を両手で覆うように押さえたままうずくまる。過去にも経験の無い痛みは、ゼルの発する声を言葉として認識する事が出来ないほどで、波打つように襲う痛みのせいなのか、意識が朦朧としていた。
「スコール!大丈夫かよ!?」
「……すまない」
「誤る事じゃないだろ?いいから横になれよ!しばらく何もする事ねぇし、何か有ったら起こすからさ!なっ?」
やっとの思いでスコールが意識を持上げると、そこには心配そうに覗いているゼルの顔が在った。その余りにも不安げな表情が可笑しくてスコールの口から小さな笑が零れると、ゼルは笑ってる場合かよ!と、怒鳴って顔を顰めた。
「いいから寝ろよ」と言うゼルに促されるままベッドに入ると急激な眠気に襲われる。睡眠はある程度取っていた筈なのにと頭の片隅に思うが、考える余地はもう無かった。
全ての感覚が飲み込まれるように失われ、スコールは意識を手放した。
スコールが眠りに付いたのを確認したゼルはしばらく傍に居た。
床に直接腰を下ろして座り、ベッドの端を背凭れ代わりに寄りかかると、その場所から顔を上げて窓の傍らでぼんやりと光を放っている端末の画面に視線を向ける。画面にはここへ来てからの進行状況なども打ち込んであった。
進行状況。その言葉にゼルはうんざりとする。ここに着てから四日目。大きな進展は、現在無い。今できる事と言えば、壁に付着していた染みの鑑定結果を待つ。それ以外に出来る事は遣り尽くしてしまい、時間の経過をただ持つのみとなった。
あの染みが人の物なのか、又は別の何かであるのかを調べる為に、調査班の一人が早々に山を下りたのは三日前だった。予定では今日、結果を持ち帰る事となっていた。
けれど……
ゼルは視線を窓の外に移しながら、この結果を待つ必要は無かったな。と思う。
何故なら、あの染みは住人達のものであると確信を得ていたから……
確信を得た理由。それは遠く離れた森の中で見付かった。
――――雪の中に横たわり呼吸を辞めてしまった……嘗ては人であっただろうと思われる者達の亡骸。
手に力を込める。あの場を見た瞬間、激しい憤りを感じざるを得なかった。それはこの村を初めて見た時以上で、珍しくスコールが感情的になっていたのが印象的だった。
そこは、村からだいぶ離れた場所に在る、差ほど大きくはない森だった。森と言っても木は寒さに枯れ葉は付いておらず、真っ直ぐ大地から伸びた痩せ細った樹木だけが寂しさを強調するかのように何本も立ち並んでいるだけの森。その中央にポッカリと口を開けた空間。それは以前に見た墓のある場所を思い出させる空間だった。けれど木漏れ日も、美しい草木も無い。まったく対照的な場所。そこに、それは在った。
思い出したくもないような光景。確認しようと近くに寄り、誰もが息を飲んだ。
鼻につく匂い。
森の中で無造作に横たわった彼等には――火を放った跡が有った。
調査班の誰かがその場まで走り寄ったのが見えた。横を通り抜ける際、頬に伝う涙を見た。
知らない誰かの名前を何度も何度も呼ぶ声が聞こえていたが、今はもう思い出せない。
後で知った事だが、今回の調査班の中には、ここが故郷である者達が数人居たらしい。
目を背けたくなる光景。理由がわからない。何の為にそんな事をする?誰がやった?何故人の命を奪う権利が有ると言うのだろうか?
だがそこでゼルは思考を止める。命を奪う権利……そんな言葉を簡単に口にしてしまえる立場ではないと思い出したから。SeeDになった自分は数え切れない程の許されない行為を繰り返している。それには理由が有るから?任務という理由?ここで起きた事にも何か理由があったというのだろうか?そんな事、考えるまでもない。どんな理由が有ろうと、許される事じゃないんだ。
命を奪う。それはけして許されない。
振り返りスコールの表情を確認する。眠りについた彼の横顔は先程よりは幾分か良く見えた。だが、決して好ましい状態だと言える表情ではない。何処か苦しそうに歪めた表情だ。
疲れが出たのだろうか?ここでの任務についてからスコールは誰よりも動き回っていた。それはこの場に限らず何処の現場においても言える事ではあったが、今回ばかりは何かが違うと感じていた。疲れや、そういった類とは明らかに異なるものを彼に見た。
四日間共に生活を送る中で、スコールの様子に普段とは違う、異変……のようなものを、日数を追うにつれて感じていた。
異変。本人は気付いているのだろうか?
とにかく早く戻りたい。ゼルは膝に顔を埋め遠いバラムの空を思い出した。バラムにはずっと心残りとなってしまった人が居る。
悲しみに涙を流していた母親。
会って話さなければと思う気持ちを、母親の言葉がそれを咎める。
ゼルは顔を持ち上げると首を左右に大きく振る。
―――俺が弱気になってどうすんだ!こんなんじゃ駄目だ!ちゃんと話そう。自分の気持ちを、家族を大切に想っている気持ちを。俺の母親は母さん一人なんだから!
窓に視線を送り、もう一度バラムの空を想い描く。こんなに弱気になってしまったのは、ここの空のせいだ。窓の外のグレー色に染まった空。この空が気持ちを支配し、不安を作り上げた。
目を瞑り青い空を思い描く。もう迷いは消えた。ゼルの瞼に映るのは青いバラムの空。
バラムに帰ってリノアに会えば、スコールだって今まで通りにきっとなる。そうだよな?
ゼルはスコールに笑顔を見せるともう一度、瞼を閉じた。