
12.束の間
ガーデンの廊下をぐるりと囲むように流れる噴水。その前に設置されたベンチにリノアとキスティスは腰を掛けていた。
エレベーター付近の場所であった為、先程から楽しそうに会話しながら横切る生徒達の姿を目にしていた。SeeD候補生である彼等は、誰もがこの先の未来に大きな夢を抱き、期待に胸を膨らませながらその瞳を輝かせている。待ち受ける現実の本質を知らず余裕さえ漂わせてさえいる彼等だが今はそれで良い。現実など、嫌でもいずれ知る事だ。それならば今は楽しめばいい。
鈴を鳴らすような笑い声を上げ、目の前を通過した女子生徒を見送り、キスティスはスコールから帰還の知らせを受けたとリノアに伝えた。
今回、音信不通となったスコールの一件でリノアは不必要な心配を抱く事となってしまった。そんな彼女に少しでも喜んでもらいたくて、キスティスはスコールの帰りを告げた。
リノアに笑顔で居て欲しいと願っているのはスコールだけでなく、キスティスも同じであったから。
そんな彼女の願いが通じたのか、キスティスの横に腰を落ち着かせているリノアは、先程から見て取れるほどの喜びを表情に浮べている。交わす言葉はどれも取り留めない内容ばかりであったが、その一つ一つにリノアは肩を揺らして笑っていた。もともと明るい性格の彼女だが、このガーデンで生活を送るようになり、時として憂い顔を浮べる事があった。それはスコールの不在時に多く見られていたが、恐らく理由はそれだけに限らないのだろう。
取り留めの無い会話をいくらか続けた後、キスティスはリノアの前に、ある物を差し出した。
ファイルほどの大きさのそれは、丁寧に包装紙で包まれていたので見た目からでは中身が判断できない。その包みをキスティスはスコールの部屋に来た時から小脇に抱えていた。
リノアは差し出された包みを受け取りながらキスティスに振り返ると、キスティスは片眉を上げながら軽く微笑み、「開けて頂戴」と言った。
コクリと頷いたリノアは綺麗に包装された包に視線を戻す。膝の上に包みを乗せ、所々に留められたテープに指を差し入れゆっくり剥がすと、まるでつぼみが花開くように包装紙が広がり、中から二冊のノートが姿を現した。
包装紙に包まれていた二冊のノートは、一冊が表紙を布で加工し可愛らしい小花を散りばめたハギレを何種類も無造作に重ねて張り合わせた物で、もう一冊はダークブラウンのレザーをウォッシュ加工で施し、若干厚めの表紙がノートと言うよりハードカバーの本を連想させるようデザインされている物であった。
リノアは驚いた表情でキスティスへ振り向く。
「キスティス……これ……」
「ほら、前にノートを買いにバラムまで付き合って欲しいって言ってたでしょう?でも時間が取れなくて、いつになるか分からなかったから……そしたら丁度、この前の任務先でいいのを見掛けたのよ……これでも良かったかしら?」
申し訳なさそうに微笑み、買い物、付き合ってあげられなくてごめんなさいね。と言うキスティスに向かってリノアは首を振る。
「ううん……すごく嬉しいよ!キスティス、ありがとう!」
リノアは二冊のノートを胸に抱えると、嬉しそうに抱きしめた。小さな子供が貰ったプレゼントに瞳を輝かせるのと同じに笑顔を見せるリノアは、ノートを何度も見つめ、手で触れて感触を楽しんでいる。まるでそれが彼女にとっての唯一の物であるかのように、リノアは何度も二冊のノートを見つめては指先で触れた。
その様子を、キスティスは微笑を浮べながらも、何も言えずに見つめていた。
現在のリノアには自分の意思で行動する自由が無い。
それは各国代表や所要人物を集めた会議にて決定された事だった。
アデルとイデア、二人の魔女から力を継承したリノアは、過去に無い程の大きな魔力を体内に抱えている。唯でさえ魔女の力は恐れられている。その力が二倍ともあれば、懸念する者が当然のように表れる。会議において上げられた第一声は『封印』の一言だった。
『この魔女は力のコントロールを出来ないそうじゃないか?』
『その力を悪用されたらどうするんだ!!』
次々に上がる罵声とも言える声に、魔女は即刻封印するべきだと半数以上の者が訴えた。だが、シド学園長やエスタ大統領ラグナ、ガルバディアからはリノアの父カーウェイが、そしてSeeDの代表としてスコールが懸命にそれらを説得し、何とか封印は逃れる事が出来た。
しかし交換条件として無常にも決断を迫られたのは、監視下の下に魔女リノアを置くこと。魔女の側には常にAランク以上のSeeDが付き添い監視を怠らないこと。
SeeDは魔女を倒す。つまり、リノアにもしもの事が有れば、その役目を果たせ。と、そういうことだった。
リノアに残された僅かな自由。手に入れる為には、要件を呑む以外なかった。
嬉しそうなリノアの表情を見てキスティスも嬉しそうに顔を綻ばせたが、内心はそうではない。
以前はこんな想いをせずとも自由に世界を駆け回る事が出来ていたのに。リノアの現状を考えてしまうとやるせなさが募り、辛い。
そして今、リノアの外出を許可できない理由は他にも有る。
伝染病。
それを基に流れ出た噂と、それを操る組織。
リノアが魔女だという事実は一部を除けば、世間一般には知られていない。何事も無く遣りすぎる事は出来るだろう。だが、いつ何処で狙う者が現れるかは推測できない。彼女の身を守るためには最善を尽くさなければならなかったし、それに今回の噂をリノア自身が知る事となってしまうのは何としてでも避けたかった。
通信先のスコールも、噂の件について知っていた。どのルートで知る事となったかは本人が帰還してからでなければ分からないが、それ程にまでこの噂が広がっているという表れとも取れる。通信用のスピーカーを通して聞こえたスコールの声と、「リノアには知られたくない」と言った彼の言葉が、何処か悲しみを含んで聞こえた気がした。
「……キスティス?」
声にはっとし慌てて振り向くとリノアが小首を傾げて覗いていた。いつの間にか考え込んでしまい固い表情を浮かべていたらしい。静けさを纏った空気はどこか重量感を漂わせているように思え、キスティスは慌て、だがリノアには悟られまいと平静を装い話題を探る。
「ねぇ、そう言えばノートなんて何に使うの?目的を聞いてなかったから二冊選んだのだけど……」
「え!?こっ……この……ノート……?」
リノアは問い質されたと同時に何故だか顔を赤らめ、もじもじと身動ぎしたまま口を閉ざす。
キスティスは何かスコールに関する事だと予測でき、腕を組むと口の端を吊り上げてリノアに白状するように肘で軽く突付いて要求する。するとリノアは顔を赤くしたままキョロキョロと辺りを見回し手招きをした。
不思議に思って近付くと、リノアはキスティスの耳元に手を沿え、内緒話をするかのようにそっと言う。
「交換日記ぃぃっっ!!!!!!?????」
声が噴水の周りを一周して戻って来るのでは?と思うほどの大きな声をキスティスは上げた。余りにも驚いて言葉が見付からない。キスティスは表情を凍らせた。だって交換日記って、一人では成立しない日記。つまりはスコールがそれに参加する事を意味している。
有り得ない……。
「有り得ないわ!リノア!!あのスコールが認める筈がないわよ!」
声を荒げるキスティスにリノアは肩を竦め、「私もそう思ったんだけど、セルフィがスコールの負けず嫌いな性格を利用して切欠だけ作れば……後は必死に頼み込めば大丈夫だって言うから……」と、恥ずかしさを堪えるように俯いて呟いた。
セルフィの考えそうな事だった。特に日記という辺り。
しかしこれが上手く行けば前代未聞の出来事であり、スコール研究家のキスティスとしては非常に興味が湧いた。何としても成功させて欲しいものだ。
そんな考えを巡らせながら、ふと、リノアの膝に置かれたノートを見たキスティスは、何の前触れも無く派手に噴き出すと、次に腹を抱えるようにして笑い出した。
「ど……どうしたの!?キスティス??」
珍しい彼女のその姿に動揺したリノアが聞くと、キスティスは笑いながらリノアの膝の辺りを、小刻みに震える指先で示す。
指の先にはキスティスが贈った小花の散りばめられたノートが有り、それを目の前に何故かキスティスは呼吸も辛そうに笑っている。小花柄のノートはとても可愛らしくリノアは気に入った。可笑しい箇所なんて見当たらない。それなのに何故そんなにも可笑しそうに笑っているのだろう。リノアはノートとキスティスを交互に見比べたが、分からないと唇を尖らせた。
「そっ!それっ……その花のノート!……スコールがそれに日記を書いてるの想像したら!!もー駄目~~!!」
キスティスは体を曲げて笑っている。リノアは、え?と軽く声を零すとキスティスの言葉を頭の中で整理して考えた。
膝の上に乗せられたノートを見る。可愛らしく小花の散りばめられたノートは見ているだけでも女性の気持ちを擽るデザイン。それを机に広げ、真剣な面持ちでペンを手に取り、日記を書こうとしているスコール……。
ぷっ、と口元から笑が漏れると、それは勢いを増してどうにも止まらなくなってしまい、リノアもキスティス同様に体を折り曲げ笑い出した。廊下に響き渡る程の大きな声を上げて二人は笑い転げ、やっとの思いで笑が止まった頃にはどちらも涙目になり心地よい疲労感に満たされていた。
「是非、成功させて貰いたいものだわね!」
「もー……キスティスが変な事言うから、このノート見れないよぉーっ!」
お互いに顔を見合わせると、どちらともなくまたぷっ、と小さく噴き出され、再び笑い声が廊下に溢れた。
余韻を残した空気はどこか優しく、二人は暫く笑顔のままで居た。
けれどその余韻も、長くは続きそうにはなかった。
目の前のエレベーターホールから続く階段を小走りで掛け下りるシュウの姿が見えた。誰かを探すように首を右左に振って辺りを見渡していたシュウは、キスティスと視線が合うと、はっとしたように口元を動かしこちらへ方向変換して走り出す。
シュウが探していた人物はどうやらキスティスだったらしく、それに気が付いたキスティスはシュウが駆け寄るタイミングを見計り、座面に手をついて彼女との目線を合わせるようにゆっくりと立ち上がった。息を切らしながらキスティスの元まで辿り着いたシュウは、二人の前で一呼吸置き、一見解らない程度でチラリとリノアに視線を向け、そして無言のままその視線をキスティスに返す。
何か話しがあるのだろう。
キスティスは、リノアへ振り返ると、名残惜しそうな苦い笑を浮かべ「仕事が入ったみたいなのよ」と申し訳なさと共に言った。
「うん、わかった。キスティス今日は本当にありがとう!」
リノアは立ち上がり膝に乗せていた二冊のノートを大切そうに胸に抱えると、愛らしい笑顔で礼を言い、またね!とキスティスとシュウに手を振り歩き出す。
暫くその後ろ姿を眺め、リノアが遠くまで去ったのを確認してからキスティスはシュウへ向き直った。そこに先程まで笑い合っていた穏やかな表情はすでに無く、過酷な戦闘を乗り切るSeeDとしての顔があった。
「何か有ったの?シュウ」
「ああ、動きが……有った……」
普段からSeeDらしく、毅然とした態度を崩さないシュウが明らかに動揺を見せている。規律正しい口調は、声を押し殺すように発せられた為により強く感じられたが、同時に動揺を見せまいと必死さも窺わせた。シュウはそのまま目線だけをチラリと動かすと周りを見遣り、キスティスの腕を自分の方へ引くと、耳の傍に口元を寄せる格好になり、話を切り出す。
「例の反魔女組織、感染症により全滅した」
キスティスは驚きに言葉を失い、目を見開いた。腕を放されシュウの顔を見ると、彼女はそれから……と更に続けようとする。
唯でさえ驚いていると言うのに、この上まだ話は続くのかとキスティスは耳を疑いたくなった。
シュウは表情を固くし言葉を濁す。
キスティスは高まる鼓動に言い知れぬ不安を覚え、それはシュウの口から発せられた言葉によって現実となった。
「―――――――!!」
シュウの口から語られた現実。その予想もしていなかった言葉にキスティスは息も出来ず、ただ口元に両手を当てその場に佇んだ。