14.真実と記憶

目の前に心配そうに覗くゼルの顔があった。
はっきりとしない意識の中で考える。頭の何処か遠くで小さな痛みが響く気がした。

ゆっくり、ゆっくりと記憶を辿る。
自分が寝かされている事に気が付き、ゼルの呼びかける声で目を覚ましたと気付く。

「スコール……大丈夫か?」

すぐに言葉を返そうとしたが声を上手く発する事が出来ず無言のまま上半身を起こそうと身動ぎすると、それをゼルの手が支え手伝った。
背後の壁に寄り掛かりながら、何故、寝かされていたのかを疑問に感じ、自分の額に手を当て記憶を辿る。
トラビアの山奥村。任務で此処へ来たのは四日前の事。キスティスに連絡を取る為に山を下り、そしてこの部屋に戻った。その直後だったと思う。
記憶が正しければ耐え難い程の激しい頭痛に襲われ、そのままゼルに促され眠ったはずだった。

ぼんやりと浮かび上がった答えに一つの疑問を抱く。何故こんなにも記憶が曖昧になるのか、考える事に時間を必要とするのか……。解らなかった。まるで思考の中に濃い霧が立ち込めているかのように、記憶は曖昧で判断を鈍らせる。そして頭の奥で響くこの痛み。何かが自分の中で起きている。そんな異変を感じずにはいられなかった。

「……スコールおまえどうしちまったんだよ?」

考えを読み取るように遠慮がちに聞いたゼルの言葉に顔を上げると、視線を向けた先には腫れ物を扱うような、困惑し戸惑った表情を浮かべた顔があった。どうしたかなんて、こっちが聞きたいくらいだ。何故、今の自分がこのような状態に在るのかも、その原因も。考えても思い当たる節が無い。

「わからない」

首を横に振り小さく告げると、ゼルは聞こえるか聞こえないかの声で、そっか、とだけ言いベッドから離れ窓辺まで近付く。そのまま窓枠に寄りかかって外の様子を眺めているゼルはそれ以上何も言わなかった。
どちらもが口を閉ざし押し黙ってしまうと、無音の室内には時計の針が時を刻む、規則正しい音だけが耳障りに響いた。
普段から互いの会話が無くなるのは珍しい事ではない。喋る行為を得意としない自分を知っている仲間達は、このような空気を気にするでもなく自然と流してくれていた。気が付けば言葉の無い"時"にも安らぎを抱くようにさえなっていた。けれど今は違う。会話が止まり張り詰めた緊張を生み出しているこの空気に、苛立ちを覚えた。
原因はそれだけではない。自分の身に起きている異変。それを不安がっているゼルの表情にも嫌気を感じていた。

耐え切れなくなりベッドから降りようと身を乗り出した時、それはゼルの言葉によって遮られる事となった。

「おまえさ、気付いてない……のか?」

……何の事だ?疑問を抱かせる言葉に、ベッドから降りようと伸ばした足をそのままにゼルへ振り返ったが、ゼルは先程と同じように窓の外に視線を向けたままで次の言葉を発する気配は無い。
溜息を一つ洩らし、体に掛けられていたシーツを剥がして足だけを床に下ろすと、ベッドに腰を掛けたままゼルに何の事だと訊き返した。ゆっくりと振り返ったゼルの表情はやはり腫れ物を扱うような悲しみを滲ませた表情だった。

「やっぱり覚えてないのか?」
「あんたは、さっきから何の事を言っているんだ!」

苛立ちから強い口調になってもゼルは別段気にする様子は無い。窓辺に置かれたままだった椅子の背もたれに手を置き、そのまま腰を掛けると言い難そうに口を開く。

「今さ、寝てるスコールを俺が起こしたのは覚えてるよな?」

確かそうだった。ゼルの声と肩を揺らす振動で目を覚ました気がする。
頷いて返事をすると、ゼルは硬く引き締めていた表情を和らげる。だが、数秒も満たない内に再び口元を引き締め、真っ直ぐに見据えて続ける。

「此処に来てからの数日間、今みたいにスコールが寝てる間に何度か起こした事が有ったの……覚えてるか?」
「……………いや…」
「うん、だよな」
「そんな事があったのか?」

訊き返すとゼルはコクリと首を縦に振り頷いた。

全く記憶が無かった。寝ている間にゼルに起こされた記憶など片隅にも無い。熟睡をしていた訳ではないと思う。普段から眠りは浅い方であったし、それが任務ともなれば気を張り詰めている事から普段以上に深く眠る事など出来なかった。小さな物音や気配でも目を覚ます程だ。起こされて気が付かない筈がない。

「今もそうだったんだけどよ。最近、寝てる時にスコールさ……うなされてる事があってよ」
「うなされてる?」
「……ああ。なんだか……とにかく普通じゃない様子なんだ。それで夜中に起こす事が有ったんだけど、スコール目覚ましても全然反応ねぇし、覚えてる様子も無かったからよ。言っていいのかもわからなくてさ……」

先程から告げられるゼルの言葉に混乱する。自分がうなされていた記憶やその理由など、何も思い当たらない。ましてや、たった今もそうだったと言うのなら何かしら覚えていても良い筈だ。しかし、そうであって欲しい気持ちとは裏腹に言われた全ての記憶が無かった。誰か他人の話を聞かされているか、若しくはでたらめを言われているとしか考えられない。在りもしない話を告げられたのだろうか。いや、理由が無い。第一にゼルはそんな人間ではない。言っている事は全て真実なのだろう。
だとしたら自分はどうしてしまったと言うのだろうか。

――コンコン

部屋にノックの音が響き目を向けると、少しの間を置いてドアが開かれる。控えめに開かれた扉の隙間からは運転手の男が顔を覗かせていた。

「失礼します。スコールさんゼルさん、血液鑑定の結果を調査員が持ち帰りましたので、下の階まで下りて来て頂けますか?それから今後の事も話し合いたいと思いますので」

男の呼び掛けにどちらも答えずにいると、彼は訝しげな表情を浮かべてドアの前に立ち尽くしていた。ゼルが慌てて返事をする。すぐに行くから下で待っていてくれないか?と付け足すと、男は軽く会釈をしてから扉を閉めた。扉の閉まった音と共にゼルが立ち上がったのを椅子と床が擦れ合う音を聞いて判断する。

「ゼル……すまない。何も覚えていないんだ」

ベッドに腰を掛けたまま床に視線を落として言うと、目線の先にゼルの靴先が見えていた。
左肩を強く叩かれる。
見上げると、そこには笑顔を浮べるゼルが居た。

「謝る事じゃねぇよ。けどさスコール、具合が悪い時くらいはちゃんと言えよな!」

ゼルは笑顔を見せているが、その表情の片隅に強い悲しみと悔しさをちらつかせて見せた。それは体の不調を何も言わなかった自分に対しての怒りとも、心配しているゼルの優しさとも取れる表情だった。視線から逃れるように俯き、短く言葉を返すとゼルの両手が左右の肩の上に強い力で振り下ろされ叩きつけるようにしてのる。と言うよりは、ほとんど叩かれた状態に近かったのかもしれない。不意の行動により体は大きく前方に揺れ、肩に若干の痛みを覚える。いきなりの事に不快な想いを込めて見上げると、ゼルは歯を覗かせて笑った。それは彼の心からの笑顔だった。

「うん!やっぱりよ、スコールはそういうイヤ~な、ブス~っと、した顔してる方が安心するぜ!」
「どういう意味だ」
「あっ……えっと………う、じょっ、冗談!冗談に決まってるだろ!今までそう思ってたなんて、まさか言う訳ないじゃんかよ!……はは……」

後ろ頭を掻きながら苦笑を浮かべて後退りしているゼルの姿は、取り繕うとするどころか更に墓穴を掘っているようにしか見えない。けれど彼は何を思ったのか突然に閃いたような顔を見せ口を大きく開く。

「そうだ!バラムに帰ったら俺の家に来いよっ!」
「ゼルの家?」
「おう!それでよ、母さんに何か美味い物でも作ってもらおうぜ!母さんの作る料理はバラムで一番だからよ!それ食べればスコールもきっと元気になると思う!」
当然とでも言うように言い切ってしまうゼルに頷いて答える。

「……そうだな。それもいいかもしれないな」

心からそう思った。素直にゼルの厚意を受け入れたいと思い、自分の気持ちを述べたのだが、ゼルにはそれが意外な返答だったらしい。彼は一瞬だけ拍子抜けしたような表情を見せるが、嬉しそうに破顔をすると「よしっ!決まりだな!」と頷き返事をする。

「下でだいぶ待たせているな」

運転手の男が知らせに来てから数分が経っていた。ベッドから立ち上がると、ゼルもそうだなと答える。頭部に響く痛みは未だに残っていたが、気にせず扉へ歩き出そうとした所で不意にゼルの手が背中に回り、跳ねるように手首を動かし二度叩く。

「もう少しの辛抱だからよ、此処が解決すれば帰れるからさ。そしたらリノアにも会えるし!だから……」

ゼルは覗かせていた笑顔をきつく結んだ口と共に伏せてしまい、そのまま言葉を詰まらせる。
ゼルの言いたいことは聞かなくてもわかった。
同時に、このような表情を浮べる程まで気に掛けていたのかと、改めて思い知る。
今まで他人との関わりを自らの意思で避け冷たく接して来た自分に対し、心から気遣ってくれる仲間の存在に嬉しさを感じ、心の奥が熱くなるのを感じていた。

「ゼル、大丈夫だ。心配するな」

顔を上げたゼルは口の両端を少しだけ吊り上げて頷いた。
ふと、ゼルが先ほど自分に対してしたように彼の背中を叩いてやりたいと思い、手を回して同様に背中をひとつ叩いてやる。すると、ゼルは大きく目を丸くし驚いた表情を作った。当然かもしれない。こんな事をするのは自分でも笑える程に意外な行動だったと思う。気恥ずかしさもあり目を逸らしてからもう一度だけ背を叩いてゼルを無視して歩き出す。目の前の扉を開けると、慌ててゼルもその後を追ってくる。脇腹の辺りを肘で突付かれて振り返ると、ゼルはへへっと笑った。

「なんかよ!やっぱりスコール前とは変わったよなっ!」
「悪かったな」
「あ!そこは変わってねぇや!」

笑っているゼルをそのままに階段へと続く廊下を足早に渡る。

「でもさ、心なしか最後に叩いた一発、やたら力が強かった気がすんだけど……何でだ?」
「さぁな」

後ろから投げ掛けられた声に振り返りゼルの目を見て言うと、ゼルは納得が行かない。とでも言いたいように眉を顰めて首を傾げた。


以前、運転手の男に余計な事を言ってくれた仕返しと、ブスっとした顔で悪かったと礼を含めていた事は黙っているか。


心の内で苦笑しながら、前方に見えた階段の手摺りへと手を伸ばした。