15.脅威への恐れ

下の階に下りると、スコールとゼルを除いた全員がすでに揃っていた。

吹き抜けの真下部分に配置されたテーブル。それに備え付けられた椅子に腰を掛ける者、手前のソファーに腰を下ろしている者と、バラつきはあったが確かに全員が揃っている。

この調査部隊には、スコールとゼルを含めた七人が居た。その内の二人が此処の村の出身者だと知ったのは、つい先日の事。
以前に、運転手の男もこの場所で生活していた事を明かしていたので、合わせると三人がここの村の出身者ということになる。
彼等にとって今のこの現状は厳しいものだった。森の中に横たわり変わり果てた姿となった村人達。その中に家族や友人が含まれていたのかと思うと、居た堪れない気持ちに駆られてしまう。

「スコールさんゼルさん、こちらへ掛けて下さい」

階段を下り切った所でニッコリと落ち着いた笑顔を浮かべている運転手と目が合うと、彼は上げた掌を椅子に差し向けて座るようにと促す。
スコールとゼルは手前のテーブルまで歩み寄ると、そこに空いていた席へと腰を下ろして回りを見渡した。
誰もが一様に口を閉ざし、疲労を浮べ、首を力なく前にうな垂れている。その様子に溜息を吐き出したくもなるが、無理もない。この状況を目の前に普通で居られる方がおかしいのだろう。けれどその中で、運転手の男だけは忙しなく動き回り、資料を手渡す際にも一人一人に声を掛けていた。その姿に、少なからずスコールは感心を覚えた。

それぞれの手元に資料が行き渡ると、途方も無くうな垂れていた者達も、鈍い反応ではあるが動き出す。男は全員を見渡せる位置に着くと立ち上がったままで話を切り出した。

「皆さんお疲れ様です。本日、血液鑑定の結果が出ましたので、報告させて頂きたいと思います。」

そう言い、男が資料を捲ろうとした時だった。
「そんな事、報告しなくても分かりきってるだろ、この村は終わったんだ」と、割り込む声が響いた。
発せられた声は罵声の類とは違う。もっと力なく、だが、怒りを抑えられずに発せられた声だった。その場に居た全員が同じ方向へと視線を向ける。向けた先の声の主は、ソファーに浅く腰を掛けたまま自身の両腿に肘をつき、組んだ手の甲に額を乗せている。表情は見えないが、くの字に曲げられた体から漂わせる悲愴感が、その顔も同じように歪められているのではないかと推測させた。

水を打ったような静けさ。それを破るように一つの声が響く。

「セス、辛いのはお前だけじゃないんだ」

運転手の男だ。彼は声の主をセスと呼び、手にしていた資料を手元の机に置くとソファーまで歩み寄る。

「悲しい気持ちはわかる。けれど山を下りていたお前は森の中で起きていたことを目にしていない……お前以上に辛い気持ちを抱えている者が居る事を忘れないでくれ。
それに、俺達が此処へ来る時に交わした決意、忘れたわけじゃないだろ?村を救う事は出来なかった。けれど残された俺達に出来る事は、まだ有るじゃないか。何としても此処で起きたことを解決させて、皆の無念をはらしてやろう」

これまで、どんな時でも穏やかな笑顔を浮かべていた男は、この時はじめて強い悲しみをその表情に浮かべていた。
運転手の男はセスと呼んだ目の前の青年に対し、古くからの友人であるような口ぶりで接している。話の内容からしても、この村の出身者の一人だと言うことは瞬時にわかった。そのことに今まで気付けずにいたのは、セスと呼ばれた男が血液サンプルを持って山を下りた調査員であり、今日まで一度も顔を合わすことが無かったからだろう。

運転手が呼びかけた声は確かに聞こえていた筈だった。けれど、セスに答える素振りは見られない。
依然として手の甲に額を押し当てたままのセスに、先に痺れを切らしたのは男の方で、男はセスの肩を揺らそうと手を伸ばす。だが、触れる間際にそれを避けたセスは突然に噛み殺した口元で微かに声を洩らす。それが笑いだと気付いた時、彼は激しく肩を震わせ大声を上げて笑っていた。

「こんな事、無意味なんだよ!」
「セス?」
「なぁ、この村で起きた事が人間に出来ると思うか?出来ないだろ!だったら誰に出来ると思う?……俺は聞いたんだよ。血液サンプルを持ってこの山を下りた時にさ」

セスはソファーから立ち上がり、一人一人に訴えるように言い、見渡す。
人を見下すような薄笑いを浮かべた表情はどこか恍惚とし虚ろで、それでも目の奥にだけは強い光を宿して真っ直ぐに見開く。




「人間の姿をした化け物!――――――魔女だよ!!!」




吐きつけるように言い捨て笑い出すセスの様に、スコールの手に力が込められた事を、はっとしたように息を呑んだゼルは見逃さなかった。
ゼルの脳裏には、非常に良くない事態が起こるとしか考えられず、慌ててスコールの腕を掴もうと手を伸ばす。だが、時すでに遅く、スコールは今にも殴りかからんとする勢いで椅子から立ち上がっていた。

「どういう事だ」

低く静かにスコールの声が響く。
冷静に放たれた言葉に聞こえるが、その胸中に憤怒の炎を燃やしている事を、ゼル以外の者がどれだけ気付いただろうか。少なくとも、目の前のテーブル越しに固唾を呑んで見守っている三人は気付いただろうなと、ゼルはスコールの腕にしがみ付きながら思った。
スコールに振り返ったセスは、鼻で笑い言葉を繋ぐ。

「お前達は、ずっと此処に居たからな……流れている噂なんて知る余地も無いよな、なら教えてやるよ!!今、世界で流行っている伝染病、アレがただの流行病だと思うか?アレはな!魔女の力だよ!まったく……笑える話だよ。当り前だよなぁ?どんなに足掻いたって敵う筈がない!アイツラはいつだってそうさ。世界が混乱する時に必ず現れて何人もの人間を嘲笑うように殺す!世界で起きている不安も!此処で起きた事だってそうだ!!アイツラの、バケモノの仕業に決まってんだよっ!!」

怒りを露にまくし立てたセスは、腹を抱えて呼吸も辛そうに笑っている。

ガタン、と
突然、大きな音が部屋に反響する。
それは突然、と言うよりは必然的な事態で、いつそうなったとしてもおかしくない状況だったのかもしれない。

「ふざけるな!!」

同時にスコールの叫ぶような声が響く。
その場の視線を一身に浴びてもスコールは全く気にする様子など見せない、その目は一点を恐ろしいほどに見据えている。ゼルは唇を噛み腕にぐっと力を込めた。

「ゼル!手を放せ」
「馬鹿かっ!!放す訳ないだろ!?……スコール忘れんな!今は任務中だっ!!」
「関係ない!!」

スコールはゼルの腕を振り解こうと身動ぎするが、ゼルはそれを許さない。今スコールの手を放せば、確実に相手を殴るか蹴り飛ばすかガンブレードで、とにかく最悪の結末は火を見るよりも明らか。ゼルはありったけの力を込めてスコールを押さえつける。殴り掛かりたい気持ちはゼルにも痛いほどに解った。許せないと思った。魔女を、同じ人間を化け物と呼んだセスを許す事は出来ないと感じた。魔女となってしまったリノア。彼女を想っているスコールにとって、この言葉がどれだけ不愉快だったかなんて考えなくてもわかる。

「あっ!……スコール!!!」

油断した。ほんの一瞬の隙を見計らいスコールはゼルの手からすり抜ける。ゼルが顔を上げると、セスの元へ駆け寄るスコールの後姿を見た。駄目だ!
心で吐いた諦めの言葉と共にゼルは目を瞑る。

部屋に響く鈍い音。遅れて何かが割れる高い音が次いで耳に響いた。

ゼルが目を開けると、床には腰から倒れているセスの姿と、ローテーブルから滑り落ちたクロスの横に、割れた花瓶の破片が散らばっていた。
最悪の結果を迎えた。そう思った。
けれどそこにスコールの姿は無い。
ゼルは辺りを見渡し状況を確認する。

スコールはセスが倒れている床よりも、もっと手前の場所で立っている。
―――-誰が?
ゼルは視線を再びセスに戻し、はっとした。

倒れたセスの足先に立つ存在。
殴りかかったのは運転手、あの男だった。

「何を聞いたのかは知らないが口の利き方を考えろ!……セス、いったい何が有ったんだ!お前はそんな事を言うヤツじゃないだろ!?」

男の呼びかけに、やはり彼は何も答えない。

「セス!!!」
「………………終わりなんだよ」
「えっ?」
「俺は、終わりなんだ。………………お前らも、この世界も終わりなんだよ!!!」

床に倒れたままのセスは語尾を強めてそう言った。だがそれ以上に口を開く事は無い。両腕で膝を抱え、そこに顔を埋めてしまったセスは、何かに怯えるかのように激しく震えていた。尋常ではないその様子に運転手は眉を顰める。ゆっくりとその場にしゃがむとセス、と呼び掛け、彼の手に触れる。

「さわるな!!」

運転手がセスの手の甲へと触れたと同時だった。セスは弾かれたように体を跳ね上がらせ、触れた手を力いっぱいに振り払う。振り払われた反動でバランスを失った男は一瞬崩れ、後ろへと倒れそうになった体を床に付いた手でなんとか支えると体勢を維持した。

見上げたセスの表情は言い難いものだった。

大きく見開かれた目からはいく筋もの涙が頬を伝い、薄く開かれた口からは、歯の根が合わずにカチカチと鳴らす音が洩れている。顔面は蒼白になり、戸惑い、悲しみ、怒り、恐怖、後悔、そのどれもが混在したような、心もとない表情を浮べている。
その様子に誰もが口を閉ざし、運転手すら動きを止めてしまった。

セスは唇を噛み締めて勢いよく立ち上がると、扉へ向かって脇目も触れずに走りだす。
慌てて叫ぶように名を呼んだ運転手の声も、すれ違いざまにスコールの肩にぶつかった事にも気に留めず走り抜け、彼は開け放った扉から続く、白い世界へと姿を消した。

冷気が細い筋となって足元を撫でる。
残された部屋の中には、開いたままの扉から雪がちらちらと舞い込んでいた。




そのまま、セスが姿を見せる事は無かった。




その日からまる一日経った、日も暮れようとした時刻。
雪の中で冷たく変わり果てた姿のセスが見付かった。


その場に居た誰かが小さな言葉を吐いた。
―――感染症だ。と


それが伝染病によるものだったのかは定かでは無い。だが、セスの衣服から覗く肌には、色素沈着したような痣が広がっていた。それらは昨日の時点では見受けられなかった。しかし今は確かに存在している。胸元から首にかけて。袖から覗く腕からは掌を包むように、黒ずんだ痣が広がっていた。


その晩、昨日と同じように集まり話し合った結果、ここでの調査は打ち切り。翌日には山を下りる事となった。