16.馳せる想い後悔

スコールとゼルは二人の為に用意された部屋に居た。先程から互いの間に会話は無い。
ゼルは考え込むようにベッドへ横になると、それっきり背を向けたままで、スコールは窓辺の椅子に腰を掛け端末に向かって文章を打ち込んでいた。ガーデンに帰還する前に報告書を仕上げてしまうらしい。部屋には端末のキーを打つ音だけが響き、それ以外の音は一切しない。
ここへ来た当初、余りにも無音の村という空間を異様だと、スコールとゼルは共に感じた。しかし人間の慣れとは感覚すら鈍らせるらしく、五日目を過ごした今となっては無音の空間も当然のように感じていた。

「なぁ、スコール」

ゼルは呼び掛けるがスコールの声は返らず、相変らずキーを打ち続けている。だが返事が無くとも、彼はちゃんと聞いてくれているのだと知っていたゼルは気にせず話を続けることにした。

「あれが……伝染病なのか……?」

端末を打ち込む手を休めたスコールは、顔を上げると椅子を後方へ少しだけずらし体を斜めに向けて振り返る。いつの間にかベッドの上に起き上がっていたゼルはあぐらを組んだ足に手をつき、深刻な面持ちでスコールを見つめていた。

「あれが伝染病なんだよな」

もう一度繰り返すゼルは、セスの体に広がっていた、あの痣を言いたいのだろう。
昨夜、飛び出したきり戻ることの無かったセスは一夜明けた今日、変わり果てた姿となって見付かった。雪の中でうつ伏せの状態となり倒れていたセスは、彼が苦しみもがいた様子を表すかのように、周辺の雪が積雪の奥深くに眠る土に汚され黒く濁っていた。そして彼の体に見受けられた見慣れない痣のようなもの。その場に居合わせた誰かが声を発した。「感染症だ――」と。
全身を侵食するかのように広がり、青紫とも黒ずんだとも言い難い色に変色した痣は、どこか火傷の痕にも見え、それは以前運転手の男から訊いていた感染症状と酷似していた。だがそれが本当に感染症だったのか、又は全く別の要因が絡んでいるのか……原因は明確になってはいない。

「わからない」

洩れるように一つ溜息を付きスコールは首を振る。

「だが、他に思い当たる原因が見当たらなかった。症状も酷似していたからな、感染していたと考える方が説明付くだろ?」
「うん、そうだよな。……でもあいつ、いつ感染したんだろうな。あいつさ…………泣いてたよな?」

スコールは昨日あの場で起きた出来事を思い返す。
セスの震えた体は何かしらの恐怖に怯える姿だった。涙が溢れた心もとない表情。セス自らが発した「俺は終わりだ」と、末期を思わせる言葉。それら全てはセスが感染し、以前から自身で自覚しているが故のものだったと……今更だが思う。

「いつ感染していたかまではわからないが、自覚する症状は前から有ったのかもしれないな」

そう言いながらスコールは立ち上がると端末を静かに閉じた。様子を見ていたゼルは何処に行くのかを問い、振り向いたスコールは外の空気を吸ってくる。とだけ言い残し部屋を後にした。




*  *  *  *  *




見上げた空は、漆黒の闇とは対照的に一面の星が優しい光を輝かせながら広がっていた。寒さに空気は澄み、更に街灯も無いこの場所からの星空は格別に美しく、リノアが見たら声を上げて喜び大騒ぎするに違いないなと、スコールは情景を思い描いて表情を和らげた。
吐いた息は白色をおびた薄いフィルターが横切るように目の前を霞ませる。だいぶ体が冷えていた。そろそろ戻ろうかとスコールが踵を返したその時、林の奥からこちらへと向かう足音がした。
雪の軋む音が辺りに響き、その音は徐々に近付こうとしている。もう真夜中に近い時刻だった。他の者は夜のミーティングを終えると脅えたように各自の部屋に篭ってしまい、当然、出歩いている者など居る筈もなかった。スコールは一歩後ろへと下がると身構える。奥から近寄る気配に殺気が混ざっているようには感じられなかったが、右手にガンブレードが握られていないこの状況に舌を打ってしまう。

だが、それらの行動が全くもって取り越し苦労だったとわかると、その表情に僅かながらの憤りを浮べ、深い溜息を付かずにはいられなかった。

「こんな時間に何をしているんだ……」
「スコールさん!」

林の中から現れたのは運転手の男だった。男はスコールがその場に居た事に全く気付いていなかったようで、驚きの表情を浮べると目を丸くし立ち止まった。極まりが悪そうな苦々しい顔で笑う彼は、「いえ、ちょっと……」と囁くように言い、頭の後ろに片手を回す。

「スコールさんこそ、どうしたんですか?」

逆に聞き返す男にスコールが、星を見ていた。などと、間違っても答えるはずもなく、煩わしさを表情に残したままのスコールは黙って背を向けて歩き出してしまう。慌てた男はスコールを引き止めようと肩に手を伸ばすが、触れる直前で伸ばし掛けた腕を、彼は不自然にも引いた。

「まってください!!あの、少し話をしませんか!?」

代わりに大声で叫ぶように呼び止めた男の声にスコールはあからさまに鬱陶しいと振り返る。
その表情は分かりやすいほどに不機嫌を表しており、スコールからは普段にも増した威圧的なオーラが漂っている。
男は一瞬怯んでしまい眼を泳がせるが、何かの覚悟を決めたように一つ頷くと、それ以降は怯む様子を一切見せようとしなかった。
彼は近くに在ったベンチを見付けると、まずそこを指で示して、座りませんか?と声を掛け、次に有無を言わせまいと身振りで表すようにさっさと腰を下ろしてしまう。スコールはそのあまりにも身勝手な振る舞いに呆れ、だからと言って特に断る理由も見付けられずにその場に立ち尽くしてしまった。

「さっさと済ませてくれ」

渋々そう口にしながら足を向けたスコールは隣に腰を下ろし、心の内でコイツと居ると、どうも調子が狂う。と思う。
俺は、自分のペースを乱すヤツに慣れてないのかもしれない……。そんな考えを巡らしたスコールは空を見上げた。
そう言えばリノアに対しても以前、似た想いを抱いた記憶がある。一年前の、まだ出会ったばかりの頃に。
星空を眺めるとあの日を思い出さずには居られなかった。SeeD就任パーティー。見上げた空に流れたひとつの星、あの日がリノアとの出会いだった。

ふとスコールは隣に腰掛けている存在を思い出し、目を向けた。が、瞬時に眉間に深い皺が寄る。
そこに居る存在がリノアではなく、何が楽しくて男同士で横並びに座らなければいけないのか。一つの疑問が頭に浮かぶと居心地の悪さばかりが気になってしまう。深い溜息を吐き出すスコールはやがて音も無く立ち上がった。

「……戻る」
「え、スコールさん?」
「明日、山を下りるんだろ。あんたもこんな所に居ないでさっさと寝たほうがいい」
「あ!あの……待って下さい!!スコールさん!あなたにお聞きしたい事が有るんです!…………魔女……あなたは魔女にお知り合いが居るんですか?!」

意を決したように語尾に力を込めて切り出した男は、スコールの背中へ真っ直ぐに問い掛けた。
その声にスコールの体は動きを止める。

彼にいったい何の目的が有り問い質そうとしているのか、その理由は分からない。けれど魔女とは今も忌み嫌われる存在であることは嫌でも否定出来ない事実であり、近付こうとする者の体外は根深い憎しみを抱え、又は特別な力への利用を念頭に抱くものばかりだった。
そしてセスが口にしていた、感染と魔女との繋がり。……その噂。
魔女。魔女となったリノア……。彼女に近付き危害を加えようとする者はたとえ誰であろうと許さないと、スコールはいつだって心に強く誓っていた。

ゆっくりと、スローモーションのように振り返る。振り返ったスコールは、黙って相手を見据えていた。




向けられた二つのブルーグレーの瞳。それは静かに、だが恐ろしい程に殺気を帯びて男を見据えていた。
刺すように冷たく凍てついた瞳に、全身が瞬時に凍りつく錯覚に男は見舞われる。金縛りに合ったように身動きが取れない。
男に向けられた瞳は、数日の間に見たスコールの表情で、何処にも垣間見ることのない冷徹な瞳だった。感情を持たない無機質なガラス玉の瞳。だがその奥には確かに強い意思が込められていると、男は悟る。
『それ以上、踏み込むな』と。
スコールの視線に足元から這い上がるような震えが沸き起こった。まるで狙われた小さな獲物のように目の前の恐怖から目を逸らせない。男の正面に体を向けるスコールは、ただ真っ直ぐその場に立っているだけだ。それなのに手には汗が滲んでいた。手だけではなく額にも。
―――おかしな話だ。寒空の下で汗が噴出してしまうとは……。
動きの止まった体でも思考だけは俊敏に反応を見せるらしく、彼は今の状態を冷静に把握し、ゆっくりと口を開こうとしているスコールにも気が付いた。ごくり、と無意識の内に固唾を飲み込んでいたのを、喉元で感じる。

「だったら何だ」
「…………い…いえ…話したくないのであれば、無理に伺うつもりはないんです。ただ、あの時……セスの言葉に、あなたは酷く怒っていたように見えたのが……気になってしまって……」

やっとの思いで言葉を発すると、男は長く深い息を吐く。
膝の上に乗せている掌にはじっとりと汗が滲んでいた。男はそれを片手で拭いながらスコールを見上げる。変らず殺気を帯びた瞳をスコールは向けていたが、構わず口を開く事にした。どうしても聞かない訳にはいかなかった。
同時に、聞いてもらいたいとも願っていたから。

「その………私には昔、知っている魔女が居たんです。今はもう、何処に居るのか……生きているのかさえわかりませんが。魔女………私の妹は魔女でした」

男が明かした言葉に、スコールの表情にも僅かながらの反応が現れる。
魔女の存在を、イデアとアデル、未来の魔女アルティミシアの他に聞くのは初めてだった。だが魔女はどれ程の人数が存在し、またどのような場所で生活をしているか、などのはっきりとした話は今もわかっていないと言われている。もし仮に他の魔女がどこかに存在していたとしても、それは不思議ではない。

男は独り言を呟くように口を開くと、淡々と話し始めた。
幼い頃、森の中で一人の魔女と出会い、不運にもその力を妹が継承してしまった事。その力故に忌み嫌われ、何処にも安心して暮らせる場所など無かった悔しい思い。
けれどこの村だけは違い魔女の力を持った妹を、その家族を受け入れたことを。
――ここは厳しい土地です。ですが、貴方達にとって住みやすいのであれば、いつまでも居てくれていいのですよ。
その言葉にどれだけ救われたか。この上ない幸せな時を過ごす事ができたか…………
けれど、それは一人の魔女によって呆気なく崩されてしまった。

「…………アデルの子供狩りです」


男はスコールを静かに見つめ、スコールは黙ってそれを受け止めた。

「村人達は、このような辺鄙な地に何故魔女が目を付けたのか、エスタの兵を遣したのかなど知るすべもなく、怒りの矛先が同じ魔女である妹へと向けられるのは時間の問題でした。妹を罵倒した彼らは、許しを乞うようにエスタ兵に妹を引き渡そうしました。
けれど全ての人間がそうとは限りません。護ろうと立ち上がった者達も居ました。しかし、戦闘の経験など無い村人達に勝ち目など有る筈もなく、今のこの村のように……血の流れる結果となってしまいました。以前にも話しましたが、妹は連れ去られ、両親はその時に亡くなりました。……残された人々は魔女を憎んだ。やり場の無い怒りは妹を庇った者へと向けられ、私は逃げるように村を飛び出した。セスも、その時の孤児なんです」

男は自身の両腕を体に巻きつけ摩っている。寒さからの行動なのだろう。だが耐えられない孤独を抱き締めている姿のようでもあった。いつの間にか体は完全に冷え切っていた。手の感覚が麻痺し始めていると二人は気が付いた。スコールは右腕を軽く持ち上げると、掌を閉じたり開いたりと運動を数回だけ繰り返し、男は先程まで滲み出ていた汗の影響で肌にひんやりと冷たい感覚を残している掌を、おぼろげな表情で眺めていた。

「あんたにとって、この場所に好ましい想いが有るとは思えない。何故この任務に就いた」

スコールの声に男は自身の掌から振り返る。
真っ直ぐスコールに向けた視線は不意に横へずれ、遥か遠く林の奥を見つめた。まるで記憶をたどるような虚ろな瞳で。

「取り戻したかったんです」
「取り戻す?」
「ええ、……怒りや憎しみは人の心を簡単に変えてしまう。……確かにここでは辛い想いだけを残して去る結果となりました。けれど妹を庇い助けてくれた人達が居たのも、また事実なんです。私はあの時の礼も言えず逃げ出すようにここを飛び出してしまいましたから……ずっと悔やんでいました」

男は、遠く彼方に向けていた視線をスコールに戻す。

「妹を助けようとして命を落とした人達も居たというのに……私は自分ばかりが逃げて助かり、今を生きている。幼かったとは言え、何も出来ずに逃げ出した自分がいつだって許せなかった。
何故、私だけが今も生きているのか?後悔ばかりが心を支配し……次第に思うようになりました。いつか必ずこの場所に戻りたい。妹を探し出し、誰もが幸せだった時を取り戻したい。取り戻す事で償わなければいけないと、それだけが願いになりました」
「過去を取り戻す事が、償いになるとは限らない」
「……わかっています」

冷たく言い捨てたスコールの言葉に男は苦笑しながらも何の躊躇もなくあっさり肯定してしまい、スコールは更に呆れたとばかりに腕組みをして首を横に振っていた。

「十数年以上も抱き続けていた気持ちはいつだって亡霊のように付きまとい、時が経つにつれ後悔の念は膨れ上がるばかりでした。トラビアで軍務に就いていた私は、この村で起きた不可解な現象を知り、今しかないと……やっと償える時が来たのだと思いました。私はセス達と共に任務を希望した。失われたあの時を取り戻す。村人を助ける。そう決意して。……けれど……結果として村人を救う事も叶わず、セスまでも失ってしまうなんて…………」

まるで気持ちを堪えるように彼の手に拳が握られると、その拳は込められた力によって僅かに震えた。

「セスは私達家族がこの村にやってきた時、魔女である妹を誰よりも受け入れてくれました。私がこの任務に就きたいと志願した時も、彼は笑って頷いてくれた。共にあの日を取り戻そうと言ってくれていた。――――それなのに!こんな結末、考えてもいなかった!私は、この場所へ希望を掴む為に戻りたかった。それなのに、また悔やむしか出来ないでいるんです……ここへ来なければ、真実を知らなければ、悲しむ事も……セスを失う事もなかったのかもしれない……全て私のせいです…!」

膝の上でぐっと拳を作る男がそのまま口を閉ざしてしまうと、辺りには葉と葉の擦れ合って響くさざめいた音が、風と共に交じり合い二人の間を吹き抜けた。
スコールが見上げた空には、変わらず数え切れない程の星が輝いていた。

「それは、あんたのせいじゃない」
見上げていた視線を男へと戻し、短く発せられた言葉がスコールの口元から洩れる。
「あいつは、セスは、恐らく以前から感染していたはずだ。セスが感染していたことも、この村で起きたことも、誰かの意思で回避できる事柄ではなかった。あんたが悔やんでもそれで過去が変わるわけではない」
「………………」
「悔やむくらいなら前へ進んだ方がいい。あんたは今までそう思っていたから、この場所に戻ろうと思った。誰かに役立つことで償いを果たしたかった。逃げだしたまま目を逸らしているのではなく、前に進むことで後悔を晴らす。その為にこの任務に就いたんじゃないのか」

男は地面の一点を見つめたまま唇を噛み締め、握っていた拳に更に力を込める。その様子はスコールの言葉を必死に受け止めようとしている姿にも見えた。
けれど彼は瞼を強く閉じ俯くと首を横に振ってしまう。

「ですが、その想いこそが間違えだったんです。私がそんな事を考えさえしなければ、セスは死ななかった!」
「違う」
「何が違うと言うんですか!!」

反動的に立ち上がった男は切実な表情で訴る。

「あんたは自分が信じた道を進もうとした。それが間違えだったと思えない。結果としてセスを失ったが、それはあんたのせいじゃない。ここへ来た目的とセスを失った事とは何の繋がりも無い。誰かが責任を取れる事でもなく、あいつの運命だ。セスだけではない、村人達もだ。
それに、この任務はセス自身が望んだんだろ。あんたの力になりたくて、同じように過去を取り戻したいと思い。だったら、そうやって悔やむのは筋違いなんじゃないのか?あんたが悔やむのをあいつが願っているとは思えない……もうそれ以上にあんたが悔やむことはない」


零れ落ちるものが有った。
男は立ち上がったまま両の拳を腿の横で強く握り、唇を強く噛み締めたまま顔を伏せていた。けれど抑えきれず溢れ出た感情は真っ直ぐに地面へと落下し、白い雪と混ざって融けた。

声が届く。
―――あの日に帰ろう。いつか必ず、あの場所へ。共に帰ろう。
それは遠い日の誓い合った記憶。もう、けして手の届くことのない遠い、遠い日の記憶だった。